【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

八百長カイメイ

2011-02-10 19:12:12 | Weblog
そういえば昔「無気力相撲」という言葉がありましたね。あの頃から、知っている人は知っていたわけでしょう。
で、現在大切なのは何でしょう。相撲協会は「全容解明」と言っていますが、捜査権はないわけでしょう? 全容解明の権力を存分に振るえる検察や警察でもチョンボをするのに、そういったことに慣れていなくて権力も持っていなくて(たぶん全容解明の熱意も持っていない)人たちに何ができるのかなあ、なんて私は冷たく思っています。
だとすると、再発予防。取り組みを実際に見て「この取り組みには“待った”」と発言できる人で監視委員会を作ります? ただ、“試験”はしないといけないでしょうね。どの取り組みがガチンコか先に話し合いができているか、監視員にはわからないようにしておいてから、目の前で百番くらい取り組みを見せてどのくらいがガチンコかを指摘させるの。
いっそ「大相撲」を「花相撲」と解明、じゃなかった、改名する、という手もありますが。

【ただいま読書中】『戦国武将の手紙を読む ──浮かびあがる人間模様』小和田哲男 著、 中公新書2084、2010年、840円(税別)

「手紙の写真」「翻刻」「読み下し文」「現代語訳」「解説」の順で各章が構成されています。取り上げられている手紙の差出人は、武田信玄・北条早雲から始まって、松永久秀・毛利元就で巻を閉じるまで、家康・光秀・謙信・秀吉・信長など有名どころがずらりと並んでいます。右筆のものだけではなくて、自筆のものも半分近く含まれていますが、これがまた個性豊か。
最初の信玄のものは、昭和44年に発見されました。それまで読み物では軍師としての「山本勘助」は有名でしたが、確かな文書にまったくその名が出ないことから学問の世界では「架空の存在」とされていました。ところがこの文書に「猶山本管助口上有るべく候」とあり、ここから(軍師ではなくて)軍使(一種の情報将校、手紙に書けない情報を相手に口で述べる役割)としての「山本勘助」の実在が確かなものとされるきっかけとなったのだそうです。
私は墨書きの文字は読めませんので写真は眺めるだけですが、それぞれ個性豊かです。右筆のものはさすがに堅い漢文となっていますが、自筆でも明智光秀はみごとな漢文。教養人ですねえ。他の武将の自筆の手紙は大体漢字かな交じり文ですが、特にひらがなが目立つのが森長可。もっとかなが目立つのが秀吉の自筆書状です(もちろんあちこちに漢字が散りばめてありますが、「申」「候」といったごく限定された数種類だけです)。手紙を眺めるだけで、おそらく光秀と秀吉は本当に“波長”が合わなかっただろう、と思えます。タイプが違いすぎて仲良くなる、ということがあったかもしれませんけれどね。
書状から心の内がすべて読み取れるわけではありませんが、それでもある程度の“肉声”が文字から聞こえてくるような気がします。「日本語」なのに読めないとは、ちょっと悔しいものですね。