「林」……木が二本
「森林」……森と林の差は、木一本だけ
「魚付き林」……魚がお付きとなっている林
「竹林」……前にチンをつけてはいけない
「営林」……営業の林くん
「林檎」……林くんの檎
「小林檎」……小林くんの檎
「学林」……林間学校専用スペース
「スーパー林道」……林道という名前のスーパーマーケット
「農林省」……日本の山を破壊した元凶
「聖林」……日本にはハリウッドのことと誤解している人がいる(本当はHolyではなくてHolly)
「小林寺」……本当は少林寺
「酒池肉林」……すごいにおいがしそう
「森林公園」……安全無害な森林
「砂防林」……高性能フィルターが装備されている林
【ただいま読書中】『三元豚に賭けた男 新田嘉一 ──平田牧場の43年』石川好・佐高信 著、 七つ森書館、2010年、1500円(税別)
著者二人は、「酒田には変わり者が多い」と言いたい様子です。明治26年に地元有力者が集まって行なった「宮中風大宴会」(天皇皇后や参議などのコスプレをしての新年会)で話が始まりますが、それってマズイのでは?と思っていると案の定、不敬罪で地元有力者(議員、豪商、地主など)が根こそぎ逮捕です(相馬屋事件)。で、稲作から畜産に転換し、さらには美術品収集と競馬の馬主でも知られる新田嘉一もそういった変わり者の系譜に位置づけられているようです。
周囲の反対を押し切って先祖伝来の田んぼを潰して畜産を始めた新田は、1969年に山形県畜産振興計画でヨーロッパに派遣されます。そこで畜産技術を習得すると同時に、美術館めぐりもやっています。畜産技術だけではなくてヨーロッパには「文化」が存在することを知って、新田は帰国しました。
資金繰り・販路開拓など、道は平坦ではありません。むしろピンチの連続です。しかしそういったときになぜか“救いの手”が登場します(敵も多く作っているようですが)。豚も交配を繰り返して、ランドレース種(ヨーロッパ)とデュロック種(アメリカ)と黒豚バークシャー種(鹿児島)とから、三元豚を生みだしていますが、同時に中国(台湾)で滅びかけていた桃園豚の保存もしています。
中国黒竜江省との合弁事業では、なんとロシア領のアムール川を使っての水上輸送ルートを開拓してしまいます。ここは国境紛争の火種の場所で、なんと新田の働きによって134年ぶりに中ソの国境を商船が通過できることになりました。
美術品では、無名時代の森田茂画伯を援助し、画伯が文化勲章を得たときには「ありがとう」が繰り返し書かれたお礼状をもらっています。そのことに関連して多田富雄は新田を「強力な破壊力を持った不発弾」と称しています。それを本書では、新田自身が不発弾であるというより「不発に終わりそうな人生を送っていた人が新田と出会うことで何事かを始めてしまう」と解釈していますが、その“事業”は1989年に誕生した東北公益文科大学の理事長に2009年に就任することでまた別の局面を迎えたのかもしれません。
「三元豚」が有名になったのを見てそれに味の素が便乗するという“商法”(「三元豚」は商標登録をしてないのだそうです。だから「三元豚」と商品につけても、違法ではないわけ)も紹介されます。ふうむ、本書で「三元豚を食べてみたいな」と思ったのですが、「平牧の三元豚」かどうかをちゃんと見ないといけないのね(「平牧」は登録してあるそうです)。
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「森林」……森と林の差は、木一本だけ
「魚付き林」……魚がお付きとなっている林
「竹林」……前にチンをつけてはいけない
「営林」……営業の林くん
「林檎」……林くんの檎
「小林檎」……小林くんの檎
「学林」……林間学校専用スペース
「スーパー林道」……林道という名前のスーパーマーケット
「農林省」……日本の山を破壊した元凶
「聖林」……日本にはハリウッドのことと誤解している人がいる(本当はHolyではなくてHolly)
「小林寺」……本当は少林寺
「酒池肉林」……すごいにおいがしそう
「森林公園」……安全無害な森林
「砂防林」……高性能フィルターが装備されている林
【ただいま読書中】『三元豚に賭けた男 新田嘉一 ──平田牧場の43年』石川好・佐高信 著、 七つ森書館、2010年、1500円(税別)
著者二人は、「酒田には変わり者が多い」と言いたい様子です。明治26年に地元有力者が集まって行なった「宮中風大宴会」(天皇皇后や参議などのコスプレをしての新年会)で話が始まりますが、それってマズイのでは?と思っていると案の定、不敬罪で地元有力者(議員、豪商、地主など)が根こそぎ逮捕です(相馬屋事件)。で、稲作から畜産に転換し、さらには美術品収集と競馬の馬主でも知られる新田嘉一もそういった変わり者の系譜に位置づけられているようです。
周囲の反対を押し切って先祖伝来の田んぼを潰して畜産を始めた新田は、1969年に山形県畜産振興計画でヨーロッパに派遣されます。そこで畜産技術を習得すると同時に、美術館めぐりもやっています。畜産技術だけではなくてヨーロッパには「文化」が存在することを知って、新田は帰国しました。
資金繰り・販路開拓など、道は平坦ではありません。むしろピンチの連続です。しかしそういったときになぜか“救いの手”が登場します(敵も多く作っているようですが)。豚も交配を繰り返して、ランドレース種(ヨーロッパ)とデュロック種(アメリカ)と黒豚バークシャー種(鹿児島)とから、三元豚を生みだしていますが、同時に中国(台湾)で滅びかけていた桃園豚の保存もしています。
中国黒竜江省との合弁事業では、なんとロシア領のアムール川を使っての水上輸送ルートを開拓してしまいます。ここは国境紛争の火種の場所で、なんと新田の働きによって134年ぶりに中ソの国境を商船が通過できることになりました。
美術品では、無名時代の森田茂画伯を援助し、画伯が文化勲章を得たときには「ありがとう」が繰り返し書かれたお礼状をもらっています。そのことに関連して多田富雄は新田を「強力な破壊力を持った不発弾」と称しています。それを本書では、新田自身が不発弾であるというより「不発に終わりそうな人生を送っていた人が新田と出会うことで何事かを始めてしまう」と解釈していますが、その“事業”は1989年に誕生した東北公益文科大学の理事長に2009年に就任することでまた別の局面を迎えたのかもしれません。
「三元豚」が有名になったのを見てそれに味の素が便乗するという“商法”(「三元豚」は商標登録をしてないのだそうです。だから「三元豚」と商品につけても、違法ではないわけ)も紹介されます。ふうむ、本書で「三元豚を食べてみたいな」と思ったのですが、「平牧の三元豚」かどうかをちゃんと見ないといけないのね(「平牧」は登録してあるそうです)。
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