自動車の歴史で、「何とかならないか」と言われ続けているのがワイパーだ、と聞いたことがあります。たしかにあまりエレガントではないし、全然「進歩」を感じさせないものです。だからといって、ワイパー自身に何かすごいブレイクスルーが期待できそうな雰囲気もありません。
いっそ発想を変えて、「ワイパーが要らない環境」なんてのはどうでしょう。20世紀に盛んに描かれた「未来世紀の図」で、チューブに覆われた高速道路がよくありましたね。あれです。自動車が雨に濡れなければ、最初からワイパーは不要でしょ?
【ただいま読書中】『超撥水と超親水 ──その仕組みと応用』辻井薫 著、 米田出版、2009年、2000円(税別)
凝縮相(液体と固体)にある分子や原子には引力が働きます。この引力が熱運動に勝るから、分子や原子はバラバラにならずにすみます。その安定化のエネルギーが「凝集エネルギー」です。たとえば水分子の場合、周囲の分子と水素結合をすることや「van der Waals力」によって安定となりますが、水滴の表面の分子は外側とは結合できませんから、その分自由エネルギーが高まります。高まったエネルギーを単位表面積で表したものが「表面張力」です。過剰なエネルギーによって水はできるだけ表面積を小さくしようとします。だから水滴は丸くなろうとします。表面張力は、内部の凝集力が大きいほど大きくなり、温度が高くなれば小さくなります。
AとBの二つの凝縮相の界面には、ABそれぞれの表面張力だけではなくて、AとBの間での引力が働き、その差が「界面張力」として表現できます。界面張力が「負」なら両液体は混ざって溶液になります(例:水とエタノール)。
ある物質が少量ある液体(たとえば水)に溶けたとき、その表面の性質を著しく変化させる場合、その現象を「界面活性」と言います。最も典型的な界面活性の例が「表面張力の低下」です。そして、界面活性を示す物質を「界面活性剤」と言います。
ここまでは「前振り」です。本題はまず「濡れ」についての説明から始まります。表面に水滴がついたとき、水滴が丸くなる(接触角が90度より大きい)と「はじく」と言い、平たく広がる(接触角が90度より小さい)と「濡れる」と言います。それを表現するのが「ヤングの式」ですが、その式を支配するのが、表面張力と界面張力です。
ガラス表面に水滴が乗ると、ガラスの表面張力は大きく、ガラスと水の界面張力は小さいため、ガラスの表面張力に引っ張られて水の接触角は小さくなります。つまり「濡れ」ます。ガラス表面がテフロン加工されているとその逆となります。
親水性の表面を撥水性に変えるには、フッ化炭素やシリコンなど表面張力の小さいもので覆えば良いことになります。自動車用などの撥水スプレーは陽イオン性の撥水処理剤(フッ素系の界面活性剤)をスプレーする一時処理、撥水ガラスは界面活性剤をガラス表面に強く結合させたものです(この場合、ワイパーは界面活性剤をこすり取らないように摩擦が少ないものである必要があります)。ただし、表面が平らな場合、撥水処理で得られる最大の接触角は120度までです。もっと大きな接触角が必要な場合は何らかの凹凸構造が必要になります。というか、凹凸構造があると表面積が増しますから、濡れる場合はより濡れるようになり、はじくばあいにはよりはじくようになります。ただ、微細な構造の間に存在する空気がどう働くか、そこで二つの理論が紹介されます。詳しくは本書を読んでください。式やグラフが出てきて、ちょっとここでは説明が困難です。
自然界での「超撥水表面」の代表は「ハスの葉」です。電子顕微鏡で見ると、葉の表面にはマイクロメートル単位の突起が林立し、その突起先端をさらに拡大するとナノメートル単位の枝分かれ構造が見られます。水滴の接触角は約161度。
「バラの花びら」も超撥水表面です。ところが、ハスの葉はわずか2度傾けたら水滴がころころ落ちるのに、バラの花びらは逆さまにしても水滴が付着して落ちません。これは突起の構造の違いによる、と説明されていますが、理論はまだ確定していないようです。
セミの羽や蝶の羽、アメンボの脚なども例としてあげられます。変わったところで、蚊の目玉。その表面は超撥水性で曇り止め効果を得ているのだそうです。
自然界の超撥水表面は、ほとんどが構造を二重にして表面積を増やしていますが、表面積を極大にできるのはフラクタル表面です。計算によれば、フラクタル表面だと接触角がほとんど0度(超親水表面)やほとんど180度(超撥水表面)を作ることが可能となります。常温核融合のときには、「○度」という温度の“数字”が競われました。ここでは、研究によって得られた水滴の「接触角○度」という角度の数字が競われます。この辺が実用化されたら、ワイパーのない自動車や洗わなくて良いビルの外壁や便器がどしどし登場するかもしれません(というか、超親水表面は酸化チタンですでに実用化されています)。そのうちにもっと、今の私には思いもつかないとんでもない用途で用いられて、生活が一変するかもしれません。ちょっと楽しみです。