本当は真犯人ではない人間が真犯人だとして罰せられる場合は「そんなことがあってはならない」とわかりやすいのですが、その逆、本当は真犯人なのに無罪と宣告された場合は何と言えば良いんでしょうか。
【ただいま読書中】『検証・「雪印」崩壊 ──その時、何がおこったか』北海道新聞取材班、講談社文庫、2002年、590円(税別)
食品衛生法で定義された「牛乳」は、乳牛から絞った生乳だけを原料としたもので乳脂肪や無脂乳固形分に一定の基準があります。それ以外の「牛乳」は加工乳で、いろいろ付け加えたり(「濃厚型」の加工乳)発酵させたり(ヨーグルト)成分を取り去ったり(脱脂乳)の加工がされています。製造コストは加工乳の方が安い(生乳ではなくて脱脂粉乳などが使える)ため、メーカーは加工乳への依存を深めていました。また、大規模スーパーの安売りに対応するため、売れ残りの「余乳」が大量に発生するようになっていました。
2000年、雪印乳業の加工乳を原因とする集団食中毒が発生しました。この時に会社が示したリスク管理の甘さ(その典型が社長の「私だって寝てないんだ」でしょう)は非常に印象的でしたが、それ以上に「情報の隠蔽」「情報の小出し」「改竄」が強い印象を私に残しました。(ちょっと話がとびますが、この時の「雪印の不祥事」で、雪印乳業はスキー部以外の運動部の休止を決めました。しかしそのときの話の進め方もまた、「情報の隠蔽」「情報の小出し」が目立ち、スポーツファンや関係者の不信をかうことになってしまいました)
もとは、大樹工場での数時間の停電が原因でした。停電によってタンクの温度が上がり黄色ブドウ球菌が繁殖、加熱殺菌では壊せない菌の毒素が貯まってしまったのです。もちろん停電があったときにタンクに入っていた牛乳を捨てなかったのは問題ですが、もっと“本質的”な問題がありました。検査で毒素が検出されていたのに、現場の責任者がそれを無視して製品の脱脂粉乳を出荷してしまったこと。もう一つ、“前例”(雪印の八雲工場でまったく同じシチュエーションで同じ食中毒を起こしたことがある)の“教訓”が活かされなかったこと。さらに、大樹工場の脱脂粉乳を原料として加工乳を製造していた大阪工場では、賞味期限の切れた加工乳の再利用というとんでもないことまでしていたことが明るみに出ます。
「雪印」の売り上げは激減し、株価は3割以上落ちました。経営陣は刷新され、「雪印」は苦闘の再建への道を歩むことになった……のですが、2年後に「雪印食品」の食肉偽装問題が発覚。
数々の失言で責められ続けていた武部農水相は、ここぞとばかり大張り切りで雪印食品を責め立てます。「雪印の体質」はたしかに大きな問題でした。しかし……実は他社にも同じような「加工日の改竄」「賞味期限の改竄」「産地表示の偽装」などがあったのでした(「雪印」以降、次々発覚しました)。もしかしたらこういったものは「業界の体質」だったのではないか、という疑いがあります。
結局雪印食品は解散。そして「雪印グループ」自体も解体の道をたどることになります。
本書を読んでいて私が痛切に感じるのは「理念」「志」の問題です。雪印乳業は本来「牛飼三徳」「健土健民」といった「理念」を企業の出発点としていました。しかし企業が大きくなるにつれ、そういった理念よりも儲けの方が重要視されるようになります。その“集大成”が上記の不祥事でした。
しかし、そのときに対応や事後処理に動いた官僚や政治家たちの姿もまた、国民や家畜の健康よりも権益や省益を重視する醜い動きです。彼らもまた、青雲の志をもって、省庁に入ったり選挙に打って出たはず(少なくともそれくらいの“信頼”を私は持っています)。だけどいつのまにかそれらはすり切れ失われ、「益」を最重要視する行動をすることになってしまったようです。
雪印の不祥事は、実は「日本」の不祥事(の“氷山の一角”)でしかない、と言うと、ちょっとネガティブすぎます?