【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

仮説

2012-04-22 07:24:51 | Weblog

 「仮説」という言葉を私は最初に“文系”の文脈で覚えました。国語辞典に載っている「ある現象を合理的に説明するために仮に立てる説」という意味です。のちに“理系”の文脈で「帰無仮説」を知り、頭がぐらんぐらんしましたっけ。私個人の知の“地平線”は広がったので、それはそれで良かったのですが。

【ただいま読書中】『はじめに仮説ありき ──明日を拓く“技術屋魂”の世界』佐々木正 著、 クレスト選書、1995年(96年3刷)、1456円(税別)

 著者は本書を執筆当時シャープの顧問です。本書では「仮説」は、「(企業の)哲学」とほぼ同義に使われています。あるハードウエア(たとえばシャープの製品)に込められた「ポリシー」とか「道(技術ではなくて技道)」とか「ビジョン」。
 最初の「仮説」は「(当時は企業のための器機であった)電卓が将来はパーソナルなものになる」でした。著者がそれを主張した当時、それは単なる「思い込み」「ホラ」扱いでした。しかし著者は半ば強引にその「仮説」を実証してしまいます。
 トランジスタはICとなり、著者はMOS-LSIを採用しようとします。しかしMOS-LSIはまだ新しい技術で歩留まりも悪く、日本のメーカーは全部、アメリカのメーカーもほとんどがその話に耳を貸そうとはしません。唯一、ロックウェル社だけが(おそらく清水の舞台から飛び降りる気持ちで)MOS-LSIの生産を始めることにしてくれました。昭和44年(アポロの初めての月着陸の年)シャープはLSIを使用した電卓を送り出しました。電卓は大ヒット、日米ともメーカーは電卓とLSIに注目するようになります。そのため著者は日本のある半導体メーカーから「国賊」呼ばわりをされました。貴重な外貨を大量にアメリカに流している、と。でもそこは、はじめに著者が国内で「製造をしてくれ」と頼んで回ったときにけんもほろろで断ったところだったんですけどねえ。自分が儲け口を断っておいて、その鬱憤晴らしのために「国賊」呼ばわりとは、情けない輩です。どこのメーカーの誰だったんだろう? 本書には固有名詞がありませんが、知りたいなあ。
 電卓は部品がどんどん減りとうとうワンチップの時代となります。では次は? 著者はLSIの次は超LSIと考えますが、それは失敗“仮説”でした。マイクロプロセッサーの発想が会議で出たのを潰していたのです。さらに「答一発カシオミニ」の登場。「もっと良い技術」ではなくて「機能を削ぎ落としても、市場が求めるもの」を提供したカシオに、著者は素直の頭をさげます。
 電卓には激しい価格競争が起きますが、著者は“次”はまた技術競争だと考えます。もっと小さく薄い“パーソナルな電卓”だ、と。そこで必要なのは、もっと小型の電池、そしてもっと薄い表示画面(つまり液晶)です。著者はまたもや「ほら吹き」と呼ばれながら、液晶に向けて驀進します。
 「予言」も本書にはたくさん含まれています。たとえば「現在(本書出版時)液晶で日本はトップランナーだが、それはいつまでもは続かない」とか「消費者が企業の製品を文句を言わずに使い続ける時代はもう終わろうとしている」とか。
 19歳の孫正義(当時どこの馬の骨かわからない学生)は、翻訳ソフトを売り込みにまず松下電器を訪問しましたが門前払いでした。次に訪問したのがシャープ。現物を見た著者は約1億円で買い取り、松下よりも早く翻訳機能付き電卓を市場に出すことに成功しました。すると松下幸之助が自社の幹部を対象に講演をしてくれと著者に依頼を。「シャープの佐々木に話を聞いて、勉強しなおせ」と直々の指令だったそうです。驚いた著者ですが社長に相談、こちらでもすんなりOKが出たそうです。なんというか、面白い体験ですね。著者自身が「理解者」に出会えたことで「成功体験」を得たのですが、今度はその「お返し」ということだったのかもしれませんが、孫正義との縁はその後も続くことになります。
 「日本的」とまとめて言ってしまいがちですが、その中にもよいものもあれば悪いものも混じっています。それらに対して、著者は建設的な提言を行なっています。前世紀の本ですから、もう古くなっているところもありますが、その“芯”の部分はまだまだ使えます。それこそ「哲学」の部分が。