火曜日って、焚き火か何かをしなければならない曜日でしたっけ?
【ただいま読書中】『火の賜物 ──ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム 著、 依田卓巳 訳、 NTT出版、2010年、2400円(税別)
ヒトが「サル」から「ヒト」になった原因として、著者は「火」を考えています。著者が注目するのは「料理によって摂取できるカロリーが増加すること」。使えるエネルギーによってヒトは進化し、環境に適応しますが、、その「環境」に「火(料理)」も含まれていました。人の体は「料理した食物」にも適応しているのです。
ドイツでおこなわれた「生食実験(火を通さないものだけを食べる実験)」では、被験者はほぼ例外なく体重が減り生殖能力も低下しました。ほとんど運動をせず十分なカロリーを摂取するように計画してあったのですが。(実験のデザインを見る限り、私には「メニューに生の肉と内臓が入っていないこと」が重大な問題(欠陥)だと思えます。私が知る限り世界で「まったく生の食物だけ」で生きている民族は北極圏のイヌイット(エスキモー)ですが(でしたが)、彼らの“主食”は「生の肉」です(でした)。北極圏では野菜は入手できないし燃料もろくにありません。野生動物や魚の内臓と肉を生で摂取する以外にサバイバルの道はなかったのですが、それが偶然ビタミンを破壊せずに摂取する道でもあったのです。もっとも、燃料が手に入りやすい定住地では肉には十分火を通して食べることを好んでいたようですが)
野生動物は生の食品を食べて繁栄しています。しかしヒトは火がないと繁栄できません。「どこかおかしい」のです。もっとも、家畜は「調理した試料」では生のものよりも良く育ちます。ただ、ヒトは、小さな口・弱々しい咀嚼筋・貧弱な消化器官など、明らかに「調理した食物」に適した肉体になってしまっているのです。
ヒトはいつから火を使っていたかは、不明です。ヨーロッパでは40万年前の遺跡(イギリスとドイツ)で炉の跡が発見されています。イスラエルでは79万年前の焚き火の跡(焼けた種、木、火打ち石の集積)が。しかしその前は“神話”でしかありません。こういったときにいつも私は真剣に思います。タイムマシンが欲しい、と。
人が大きな脳を持ったのは、消化器官が貧弱だったから、という説が紹介されます。一瞬「あれ?」と思いますが、「消化器官が消費するエネルギーが減らせたら、その分を脳に回すことができる」と言われて私は納得します。ただしそのためには「高品位の食品」を食べる必要があります。霊長類では、脳の重さと消化器官の大きさとは“トレードオフ”となっています。ヒトはそこに「火」をつけ加えたのです。著者は「火の使用」にプラスして「料理法の進歩」が「人の脳の増大」と平行して起きているはずだ、と考えています。
料理には時間がかかります。狩猟・採集生活で「食品」を「生」で食べたら料理時間は節約できます。しかし「生の食品」は食べるのに時間がかかります。たとえばステーキではなくて生肉の塊を食べたらかみ砕くだけで一苦労。チンパンジーの“主食”は熟した果物ですが、1日で咀嚼している時間は6時間です。一日6時間も食卓に向かっているヒトはあまりいないでしょう。かくして生まれたのが「自由時間」です。ただ「料理に要する時間」は誰かが提供しなければなりません。そこで「社会的な分業体制=結婚制度」が生じた、と著者は考えます。それまでにも、生殖行動をベースに置いたペアリングはあったはずですが、それに「社会的」な要素が加わったのです。そして「強者が弱者から調理済みの食品を奪う」ことを予防するために「(強制力のある)エチケット」が生まれます。このエチケットは、現在の狩猟採集民社会に広く見られます。そしてそういった社会的規範に従わない人には共同体としての制裁が加えられます。かくして男と女に「夫」と「妻」になるべき強力な動機が発生します。両者に経済的・社会的に大きなメリットがあるのです。ただし狩猟採集社会では「女が特定の男(夫)のために料理を作ること」と「特定の男とだけセックスをする」こととが必ずしもイコールではないところが「結婚が社会的な制度」であることを示しているようです。
「調理済みの食品」を食べることで人が進化した、と言ったら「獲得形質は遺伝する」と同等のことのようにも聞こえますが、数十万年のスパンで考えたらあり得るかもしれません(江戸時代に、徳川将軍の頭蓋骨が、「戦国武将」の無骨なものから「公家」のほっそり顔に変化していたことも私は思いだしています。この変化に「食べるもの」の影響は大きかったはず)。特に「結婚」が「動物の結婚」から料理によって「社会的な結婚」に変化した、という指摘は私には重大なものに聞こえます。いやいや、大変美味しい本でした。