【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

汚染水の管理

2015-02-27 07:03:19 | Weblog

 「汚染水は完全にコントロールされている」のだったら、「漏れたこと」もまた「コントロールの一環」ということになります? では「コントロールして漏らした」ことの意図は? 「浄化しない汚染水を排出しても、大量の海水で希釈したらデータは検出限界以下にしかならない」ことの確認?

【ただいま読書中】『ロビンソン・クルーソーを探して』高橋大輔 著、 新潮社、1999年、1500円(税別)

 1719年に発表された『ロビンソン・クルーソー漂流記』(ダニエル・デフォー)には「実在のモデル」が存在していることは、広く知られています。しかしその人がどこの誰でどこでなぜ漂流生活を行い、その生活は実際にはどのようなものだったのか、は世界にはあまり知られていません。著者はそれを調べます。つまり本書は、「実在のロビンソン・クルーソーの冒険」についてと、著者が“それ”を求めて世界を探って回った旅についての、記録です。
 “モデル”の名前は、アレクサンダー・セルカーク。スコットランドのラルゴという小さな村の出身です。ラルゴにたどり着いた著者は、「自分の曾祖父の曾祖父の祖父の弟がアレクサンダー・セルカーク」という人と出会えます。ちなみに、タクシーが連れて行ってくれたホテルは「ザ・クルーソー・ホテル」。
 1703年セルカークはキャプテン・ウィリアム・ダンピアに指揮される2隻の私掠船団に(2番船の)航海長として乗り組みました。目的地は地球の反対側の南太平洋。私掠船とは要するに国家公認の海賊です。しかし獲物は乏しく、気性の荒いセルカークは“専制君主”のストラドリング船長と激しく衝突し、とうとう無人島に置き去りになってしまいました。
 1994年チリの首都サンチャゴ、著者はとても頼りなく見える小さなセスナ機に乗り込みます。目的地は670km向こうの「ロビンソン・クルーソー島」。もしかしたらセルカークの痕跡が何か残っているかもしれませんから、実際に“その島”を探検しようというのです。しかし情報が乏しい。そもそも「島の地図」さえ手に入りません。かつての無人島には現在は小さな集落があり人々がロブスター漁で生計を立てていました。しかし彼らもセルカークのことはほとんど知りません。唯一「セルカークの見張り台」と呼ばれる標高565mの丘は存在していました。セルカークが救いの船がやってくるのを見張っていた場所です。著者もそこに登り、水平線と島全体を眺めます。そして想像します。自分がセルカークだったら、どこに住むだろうか、と。必要なのは、水・食料・住居、そして見張り台。さあ、25kgのバックパックを背負って、探検の始まりです。
 「ロビンソンの洞穴」という伝説のある場所。そこに船で送ってもらって著者は一人で上陸します。慣れない環境で孤独な夜を過ごします。ここでの目的は、ロビンソンの洞穴からセルカークの見張り台までのルートがあるかどうかの確認です。しかし絶壁が著者を阻みます。では島の反対側は? こちらは“海へのアクセス”が困難です。最後に残った候補地は、現在集落がある場所。人が住むには一番良い条件を揃えている、つまりセルカークの痕跡が最も残っていないであろう土地です。それでも人がはいっていない場所に何か残っているかもしれない、と著者は茨の道(トゲトゲだらけのブラックベリーの藪)に潜り込みます。
 結論から言うと、著者は「ロビンソン・クルーソー」を発見はできませんでした。しかし、数少ない文献に描かれた「セルカークの生活」を、自分で追体験することはできました。慣れない自然の中でのサバイバルの困難さと孤独をしっかり味わえたのです。ロビンソン・クルーソーは28年2ヶ月19日、アレクサンダー・セルカークは4年4ヶ月。そして著者は1ヶ月。島の豊かさが彼らの命を支えました。
 1997年スコットランド。著者はセルカークが救出された後の人生を追跡していました。
 セルカークを助けたイギリスの私掠船デューク号には、なんとかつての総指揮官キャプテン・ダンピアが乗り組んでいました。そしてセルカークは、自分が乗っていた(そして置き去りにされた)セント・ジョージ号がスペイン人に拿捕され、乗組員の多くが死んだことを知らされます。生と死は紙一重だったのです。
 帰国したセルカークは一時有名人となりますが、やがてフィクションの『ロビンソン・クルーソー』に人気をさらわれ世間から忘れられます。セルカークは再び「海」に戻ります。
 そして、日本に帰国した著者は、またもスコットランドに出かけることになります。セルカークの日誌がある、というのです。さらに著者は「時を超える旅」も行います。デフォーとセルカークが出会ったとされるブリストルの住所が特定できたため、古地図を片手に現代のブリストルを歩き回るのです。二人が本当に会ったかどうか、それはわかりません。ただ、セルカークの体験がデフォーに大きな影響を与え、59歳で初めて小説を書かせたことは確かです。そして「ロビンソン・クルーソー」によって人生が変わった人もたくさんいるようです。本書の著者もそうですが、世界のあちこちで彼は同じように「ロビンソン・クルーソーによって人生が変わった人」と出会っています。たかがフィクション、とは言えないんですね。