【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

働き方改革

2020-03-19 06:38:35 | Weblog

 「働かせ方」を改革しない限り、変わるのは表面だけ、という嫌な予感がします。というか、「働き方改革」という言葉を選択することで「問題の所在は労働者」と主張する人の意識も改革しないと、結局改革されるのは言葉だけ、になるのではないかな。

【ただいま読書中】『過労死110番 ──働かせ方を問い続けて30年』森岡孝二・大阪過労死問題連絡会 編、岩波書店(岩波ブックレット)、2019年、520円(税別)

 「働き方改革」を旗印に、2018年に「働き方改革」法案が閣議決定、国会を通過して2019年4月から施行されました。しかしこの法案には「過労死」をむしろ助長する「罠」が仕掛けてあります。たとえば残業時間の「上限」設定は、「法定労働時間」の形骸化を招きます。「上限までこき使っても良いと政府が保証してくれた」と考える人間は必ず存在し、数字がひとり歩きを始めますから。
 1988年「過労死110番」が始まりました。それ以前には、たとえば心臓死が過労死と認定されるためには労働災害に匹敵する異常事態が職場で発生したのでなければ労働基準監督署は認定をしない、という態度でした(「過労で人が死ぬはずがない」と著者らは言われたそうです)。くも膜下出血も同様です。そもそも「過労死」という言葉が社会に定着していなかったため、これを問題にする人たちは「急性死」「労災認定」などをキーワードに使っていました。それがまず大阪で「過労死110番」が始まると、相談の電話が鳴り始めます。4月には大阪だけだったのが、6月には全国に「過労死110番」が広がります。裁判が起きるようになり、会社が謝罪と損害賠償、というものが出ます。「病気持ちの弱い個人の問題」と決めつけられていたものが「社会の問題」と認識されるようになったのです。
 「脳」と「心臓」から、次のステップは過労によって生じる「精神障害」「自殺」です。自殺は自分の意思で医師でなくなるのだから労働者災害補償保険法では「故意による事故」とされていました。それを遺族が裁判で争う中、1999年に労働省(当時)は「病気にさせた仕事・長時間労働・パワハラが原因」という判断基準を示します。2000年に最高裁で「電通青年過労死自殺」の判決が下されます。「電通」と言えば「高橋まつりさん」を私は思い出しますが、それより前にも上司から「靴に入れたビールを飲め」とかのパワハラを受けて自殺した人がいたのです。最高裁はこの事件で被災者遺族の全面勝訴の判決を下しました。2001年には「6箇月前の長期間の過重な業務も評価の対象にする」という現行の認定基準ができました。判決が次々下されるものだから、行政もしかたなく基準を明確にするしかなかったのでしょう。
 2001年〜08年に「脳」「心臓」の過労死で、59件の裁判があり、遺族勝訴(労災と認定されたの)は24件。40%かと思いますが、実はこれには「前の段階」があります。遺族はまず労働基準監督署に申し立てます。そこで却下されると労働局の審査官に審査請求。そこで却下されると中央の労働保険審査会に再審査請求ができます。そこまで全部却下された(つまり行政に“三連敗”した)場合にだけ訴訟が起こされるわけです。それで40%も認定される(行政が判断ミスをした)ということは、日本の行政はきちんとした審査を本当にしているのか?と疑問を感じます。大きな疑問を。
 人は様々なものに依存します。有名なのは、麻薬・アルコール・煙草・カフェインなど。そういった「物」ではなくて、対人関係や生きがいや宗教に依存して生きている人もいます。そしてもちろん仕事も依存の対象です。私の視点からは、過労死は「仕事に対する依存の結果」に見えます。すると「死ぬまで働くことはない」という非難や、「つらいならやめれば良い」という提案は、まったく無効ということになります。やめたいと思うだけではやめられないのが「依存」ですから。さらに仕事の場合、やめると生きていけなくなるのが困りもの。さて、この「依存症」に対する効果的な治療法は、あるのでしょうか?