「エネルギー」って、日本語ではなんと言うんでしたっけ?
【ただいま読書中】『エネルギーの科学史』小山慶太 著、 河出書房新社、2012年、1300円(税別)
元素が出す光を分光器に通すと固有のスペクトラムが生じることが発見され、1860年代に「分光学」が確立しました。1868年の皆既日食で、太陽本体が月に隠されたとき、その周囲のコロナのスペクトラム分析で、未知の元素が発するスペクトラムが発見され、その元素は「ヘリウム」と名付けられました。地球上でヘリウムが発見されたのは1895年のことです。1852年ケルヴィンは「自然における力学的エネルギーの普遍的な散逸傾向について」という論文で、「変換によってもエネルギーの総和は保存されるが、変換によってエネルギーの有用性は減少する方向に一方通行的に進行する」と述べました。1846年ニュートン力学理論の応用によって、海王星が発見されました。物理学者たちは自信過剰となり、物理学は完成した、と考えます。
古典物理学に衝撃を与えたのは、1903年ピエール・キュリーが、ラジウムの発熱量がそれまでの物理学では説明できないくらい莫大でしかも時間によって減少しないのを発見したことでした。まるでエネルギー保存則が破られたかのように見えます。
電気の研究には、フランクリン、ヴォルタ、ファラデーなど“有名人”が次々登場します。その「電気」と「磁気」を統一したのがマックスウェル(マックスウェル方程式は、電場と磁場の相互作用を表わす連立方程式です)。この方程式を解くことで、「光は電磁波である」という解が導かれました。
「化学反応」とは「電子のやり取り」と言うことができます。つまりは原子の表層部での出来ごと。ところが「錬金術」は原子の内奥、核の部分をいじる必要があります。だから「化学反応」に頼る錬金術は、絶対に目標を達成することはできません。それでも人は原子の内側に切り込んでいきます。「偶然」を武器として。たとえば1895年レントゲンによるX線の発見、そして1896年ベクレルによる放射能の発見はどちらも「偶然」の産物でした。こういった「偶然」が連続する確率って、どのくらいなんでしょうねえ。
そこから核エネルギーが解放され、ついで反物質が生成され、宇宙では「真空のエネルギー」やら「暗黒のエネルギー」が論じられ…… 核エネルギーさえ持てあましている現在の人類の“実力”では、それ以上のものは「知る」にとどめて「扱う」はまだやめておいた方がよい、と私は思うのですが、これは慎重すぎる態度ですか?