【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

獣苦

2020-08-12 06:52:36 | Weblog

 日本のあちこちで「三獣苦」とか「四獣苦」とかいう言葉が使われています。サル・鹿・熊・猪に畑を荒らされたりする被害のことですが、「獣」の側からはまた別の主張があるでしょうね。そういや昔は狼が食物連鎖のてっぺんで「山の獣たち」の数を最終的にコントロールしていたのですが、それを滅ぼした以上人間がちゃんと食べることで獣たちの増えすぎをコントロールしなきゃいけないのではないです?

【ただいま読書中】『ベア・アタックス(I) ──クマはなぜ人を襲うか』S・ヘレロ 著、 島田みどり・大山卓悠 訳、 北海道大学図書刊行会、2000年、2400円(税別)

 地球上にクマは7種類棲息しています。本書では北米で起きた人間と二種のクマ(グリズリー(またはブラウンベア、和名はヒグマ)とブラックベア(和名はアメリカクロクマ))の遭遇を扱っています。
 著者は「遭遇」を「人間とクマとの攻撃的な出会い」という意味で用い、「遭遇」が人身事故につながった場合には「襲撃(アタック)」と呼んでいます。著者が利用した公的なデータは、国立公園局のデータベースで、1872年(イエローストーンが北米で最初の国立公園に制定された年)から1980年までに111件のグリズリーによる「遭遇」があり130人の死傷者が出たことが記録されていました。もちろん国立公園の外でも「遭遇」はありますが、データの信憑性を担保するために著者はこの手法を採っています(もちろん著者は国立公園外の調査もしていますが、データは“参考”程度の扱いとしています)。さらに“現地”を歩き回り、証人から証言も集めます。最終的に信憑性のある記録は、143件の事故で165人の死傷者、となりました。ただ「人間もクマ(グリズリー)も負傷しなかった“遭遇”」も135件見つかりました。
 著者はブラックベアとの遭遇は除外していますが、これは人間が負傷するにしても24時間以内の入院加療で済む軽傷がほとんどだったためです。ということは「どのクマとの遭遇か」も重要になります。もっともブラックベアでも例外的に重傷になる場合はあるので「ブラックベアは絶対に安全」とまでは言えないのですが。
 著者は、具体的に遭遇の分析を行い、それぞれの対策を考えます。最終目標は「共存(お互いがお互いを傷つけずに生きていける環境の維持)」です。
 まずは「突然の遭遇」。野生動物はふつうは敵の気配に敏感です(でないと生存できません)。クマも人の気配を感じると、基本的には逃げます。しかし、出会い頭などの場合には、どちらもパニックになってしまうのです。ここでの対処法は「闘う」「逃げる」が考えられますが、著者は「死んだふり」を推奨しています。クマの視点からは「脅威」が排除されたらそれで襲撃の目的は達成できたわけですから、「脅威」が死んだように静かになったらそれで自分(あるいは子グマ)は安全になった、と納得してくれるかもしれないのです。ただし、本当に死んでいるかどうか確認するためにクマが噛むことがありますが、その時に我慢して静かにしている必要があります。死んだふりにも根性が必要です。それと、もしもクマの腹が減っていたらこれ幸いと食べられてしまうかもしれませんが。
 次は「挑発」。グリズリーをわざわざ挑発する人がいるのか、と思ったら、いました。まずはハンター。突然撃たれたら、そりゃクマも怒るでしょう。それから写真家。しつこくつけ回されたらやはり怒るでしょう。クマを捕獲・解放する行為、犬がクマに吠えかかる、もクマは“被害者”ということになります。
 「餌付け」の問題は深刻です。わざわざグリズリーを餌付けする人は今はいませんが(かつてはいたそうです)、生ごみを国立公園内に放置する行為は餌付けと同じ、と著者は見ています。その生ごみをあさることを覚えたクマは「エサ=人間」と見なすようになります。まだクマが人を恐れていれば良いのですが、人の姿を日常的に眺めていると「人慣れ」します。その人慣れしたクマが人間の食糧を食べるようになると、危険なのです。ゴミをあさるどころかテントに侵入して食糧をあさりますから(この時テント内の人間は「エサを奪おうとする脅威」とクマに見なされる、つまり「襲撃されるべき対象」となります)。対策として必要なのは「ゴミの適切な処理」「動線の分離」です。キャンプ地や人の移動ルートを、クマの生息地や移動ルートと重ならないようにする(これは固定的なものではなくて、季節によっても変更する必要があります)。
 「人を襲う凶暴なクマ」と言うとおどろおどろしい響きですが、どうもその言葉ほど一方的な現象ではなさそうだ、というのが私の印象です。本書には、自分の手からクマに残飯を食べさせようとして結果として小さな傷を負った人間が激怒してそのクマの射殺を公園管理者に要求した、なんてひどい例も紹介されています。


汗の代償

2020-08-12 06:52:36 | Weblog

 この前初めてウーバーイーツで出前をしてもらいました。「どんな人がどんな手段で運んでいて、今どこにいるか」をスマホで簡単に確認できるのは便利ですね。ただ、東京の中心地のような大都会ならともかく、地方都市では「配達距離が伸びる」「配達依頼数は少なくなる」というデメリットがありますから、「配達員をするメリット」はどのくらいなのかな、なんてことは思いました。ちゃんと儲かっているのかな?

【ただいま読書中】『哺乳類の卵 ──発生学の父、フォン・ベーアの生涯』石川裕二 著、 工作舎、2019年、2000円(税別)
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 19世紀初め、オーストリアで医学教育を受けて医師になったカール・エルンスト・フォン・ベーア(エストニア生まれ、国籍はロシア、血縁と言語はドイツ、信仰はプロテスタント、身分は騎士貴族、というちとややこしい感じです)は、臨床医学ではなくて比較解剖学(様々な動物を解剖して、その構造の異同を学ぶ学)をドイツ(というか、後に統一されて「ドイツ」になる地域)で研究することにします。1年間師事したのは当時第一人者のデリンガー教授。教授の弟子の一人がシーボルト、という「日本との接点」があります。デリンガーは、専門の比較解剖学だけではなくて自然誌全般に広範な研究を行っており、それはそのままシーボルトに(そしてフォン・ベーアにも)受け継がれています。
 デリンガーは鶏の胚を数多く観察することで「鶏の発生」について明らかにしようとしていました。当時「発生」に関しては「前成説(精子か卵子の中に最初から「完全な小さな個体」があって、それが成長して見えるようになる)」と「後生説(最初は何もないところからしだいに複雑な構造ができあがる)」とが激しく議論(というか口げんか)をしていました。それに決着を付けよう、というのです。
 就職先はプロイセン王国ケーニヒスベルク大学で仕事は解剖士。そこでフォン・ベーアは発生に関する研究を進めることになります。
 動物には種によってそれぞれ違う身体の構造があります。それを比較するのが比較解剖学ですが、ではその違いはどうやって生まれるのか? それを知るためには発生段階まで遡っての比較研究が必要になります。人間の胎児を解剖するわけにはいきませんが、動物なら可能です。フォン・ベーアはまず鶏の受精卵数千個を解剖することによって雛の発生過程をつぶさに描写します。そこでフォン・ベーアは「脊索」の存在に気づきます。そういえば私がこの言葉を初めて習ったのは高校の生物の授業でしたっけ。最初は脊髄と脊椎と脊索がごっちゃになって、頭を整理するのが大変でした。
 発生における「動物の型(タイプ)」について詳しく知るため、フォン・ベーアは無脊椎動物から脊椎動物まで、多種多様な動物の解剖に没頭します(ただ、魚だけは良い材料が入手できなかったそうです)。犬の胎内でフォン・ベーアは、初期胚(受精卵)を子宮の中(卵管開口部)で、ついで卵管の中でも発見します。ただ、卵管の中のものは子宮内のものに比較してもっと小さく黄色でした。フォン・ベーアは「未成熟な卵だ」と直感します。当時の教科書には「卵胞が破裂して発生した液体が子宮に流れ込んで固まって卵子になる」と書かれていました。しかしそれを無視してフォン・ベーアは発情期の犬の卵巣を調べ、そこに多数の「卵」が存在していることを発見しました。さらに犬以外の動物にも研究の網を広げ、そのどこでも「動物の卵」を発見します(ただし、犬以外は白っぽくて見えづらいものばかり。たまたま黄色で発見しやすかったのは犬だけでした)。
 フォン・ベーアは「前成説」を明確に否定。さらに当時人気があった「個体の発生は系統発生を繰り返す(人間の受精卵は発生過程で、原始的な生物からしだいに高等生物になるという「人間は進化の頂点」の考え方)も明確に否定します。だってそんなものはどこにも見えないのですから。この研究は、ヨーロッパの学界にじわじわと影響を与えました(なぜかドイツでは「そんなことは昔から知られていた」と誤解する(発見前には反対していたのが発見直後にころりと意見を変えるどころか自分がその発見者だと主張したりする)人がやたらと多かったのですが)。ただ発生のメカニズムが分子的に説明できるようになるのは20世紀後半まで待たなければなりません。
 健康状態の悪化やドイツでの冷遇などのせいか、研究の絶頂期でフォン・ベーアはロシアのペテルブルク科学アカデミーに転職します。しかし当時のロシアでは発生学研究のための材料が豊富には入手できず、結局彼の研究はそこまでとなりました。なんとももったいないことです。ただ「鳥だけではなくてすべての動物には『卵』が存在する」という彼の発見の重要性は、いくら強調してもしすぎることはないでしょう。当時ドイツ学界がそれを軽視したように、現在の人たちも「フォン・ベーア? 誰それ?」であるのは、残念なことです。