「奴隷」は「個人の価値」は無視され「その働き」だけが評価されます。すると「同一労働同一賃金」などと言われる資本主義社会の「労働者」は、「奴隷」あるいはせいぜい「奴隷もどき」の存在だと見なされている、ことに?
【ただいま読書中】『阿・吽(5)』おかざき真里 作、小学館、2017年、648円(税別)
第一巻を読んで読書感想を上げてから順調に一巻ずつ読んでいたのですが、あまりの迫力に読後しばし茫然とすることが多く、ついつい感想を書くのを忘れていました。忘れていたことを思い出したので、第五巻について書きます。
最澄は希望通り遣唐使に選ばれますが、なにやら周辺がざわざわしています。そして、空海は選に漏れる、というか、そもそもまだ授戒どころか得度もしていないわけで、これでは名乗りを上げる何の資格もないわけです。
しかし「真理に愛されている」空海は、奇跡的に遣唐使の一員になってしまいます。
大宰府で最澄と空海は、初めて「対面」します。物理的にも心理的にも顔を突き合わせるのは初めてのはずですが、二人はすぐに意気投合、というか、二人だけの世界に没入してしまいます。二人の読誦(どくじゅ、お経の読み合わせ)の場面は衝撃的です。二人の声が、経典に書かれた文字が、あたりを満たし輝かせます。それを作者は「絵」にします。いやあ、これはすごい。すごすぎる。このシーンに出会えただけで、この作品を読んだ意味があった、と私は腰を抜かしながら納得してしまいました。
「最澄」は「最も澄む」という「呪」をかけられていて、「空海」は「空と海」で「清濁併せのむ」。だからこそ二人は“ペア”にならなければならない、と言われると「なるほど」と私は反射的に頷いてしまいます。まだその真意はわかっていないんですけどね。またぼちぼち読んで、忘れていなければ読書日記を書きます。
いやあ、良い漫画に出会えました。