【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

根性を鍛える

2011-02-18 18:34:59 | Weblog
「最近の若い者」は徴兵して根性を鍛え直せ、という意見が以前からあります。たぶん「自分は上官である」という立ち位置から「自分の命令には四の五の言わずにきびきび従う忠実な部下」をイメージしているのかな、と私は思いますが、同時に「闇市で暴れている『おれは特攻帰りだぞ』」も思い出して複雑な気分になります。ところでそういった人は女性にはどんな意見を持っているのでしょう。もしかして「『女工哀史』の世界に放り込め」?

【ただいま読書中】『深海からの声 ──Uボート234号と友永英夫技術中佐』富永孝子 著、 新評論、2005年、2800円(税別)

1945年5月、大西洋上でドイツ降伏を知ったUボート234号は連合国への降伏を決定しました。そこには、潜水艦設計の友永技術中佐とジェットエンジン設計の庄司造兵中佐が日本へ帰国するために同乗していました。Uボートがアメリカに降伏留守ことを知った二人は、捕虜にならないために潜水艦内でルミナールを服用して自決。234号が運んでいた「宝物」はアメリカに接収されました。
庄司は1939年にイタリアへ(イタリア降伏後はスウェーデン)、友永は1943年にドイツへ日本から派遣されました。45年二人は「U234」に「U235」と書いた荷物を積みます。実はこれは酸化ウランだったのです。「U234」は大型の機雷敷設艦で大量の荷物が積めました。その中には世界で最初のジェット戦闘機「Me262」二機分の部品と設計図もありました。ヒトラーから日本へのプレゼントです。
潜水艦への便乗者は日本軍人2人を含めて12人でした。大物として空軍大将フリーゲル・ウーリッヒ・ケスラーがいます。ヒトラー暗殺計画に関与したのをゲシュタポに知られたかもしれないと、日本へ脱出するつもりでした。残りは主に軍のスペシャリストでしたが、メッサーシュミット社から派遣された民間人が二人混じっていました(派遣を断ろうとしたら「だったら徴兵して東部戦線へ送る」と脅されていました)。
自決した二人の遺体は、遺言どおり水葬されました。二人は積荷ごと潜水艦を破壊することもできたはずなのに、ドイツ人乗組員のことを思ってその手段は執りませんでした。
大西洋上での戦争は終結したはずなのに、奇妙な“戦い”がありました。“獲物”は「U234」、それを争っていたのは、英軍と米軍。どちらもこの潜水艦が“宝船”であるとの情報を得ていて、それの獲得を狙っていたのです。はじめは「ヒトラーが南米脱出のために乗っている」という情報でしたが、蓋を開けてみたらジェット戦闘機「Me262」とロケット戦闘機「Me163」、さらには「Me262」の発明者アウグスト・プリンゲバルドが出てきたのです。さらに、プラチナ3kg、そしてウラン560kg。
積荷確認の場にはオッペンハイマー博士も姿を現していました。そして広島。ドイツ人乗組員の中には、自分たちが運搬したウランが広島に使われたのではないか、という疑念に苦しめられるものがいます(アメリカ政府はウランに関してはトップシークレットとしていますが、当時アメリカがすでに1000トン以上のウランを保有していたこと、ドイツのウランはまだ濃縮前であったこと、U234のポーツマス入港が5月、初の原爆実験が7月16日、広島が8月6日というスケジュールからは、ドイツのウランが広島で使われた可能性はないでしょう)。
本書には、主に友永の人生(学校~海軍)が記述され、それに重ねて「昭和という時代の一コマ」が詳しく描写されます。潜水艦という、どちらかというと目立たない分野に世界に通用する(というか、世界を一歩リードする)きらりと光る逸材がいたこと、そして日本軍はその逸材を生かし切れなかったことがよくわかります。(ついでに、日本海軍は「潜水艦」そのものも使い切れていません。一番役に立つ通商線破壊ではなくて、艦隊決戦の補助艦、あるいは水中輸送艦として使おうとしていたのです)
しかし、意外だったのは、友永が昭和18年にドイツに出発したのは、羽田だったこと。旅客機の乗り継ぎで中国航路をたどってマラッカ海峡に面したペナンまで行き、そこで潜水艦に乗っています。当時ペナンは日本軍の潜水艦基地で、インド洋で作戦行動をする10隻のドイツUボートも基地としていました。そこで「伊29」に搭乗してインド洋を横断、マダガスカル沖で「U180」と邂逅して移乗する、という手はずでした。日本からの“手みやげ”は「自動懸吊装置」(友永の発明)「重油漏洩防止装置」(これも友永の発明)「酸素魚雷」など、当時世界最高水準の技術と金塊でした。「U180」がドイツから運んできたのは、対戦車砲弾などとチャンドラ・ボース(インド独立運動をさせて英軍を混乱させる予定)。それまで日独とも自分の手の内を相手に知らせていませんでしたが、戦況が厳しくなってからやっと協力する気になったのです。U180は大西洋を北上し、無事ボルドーに入港しました。そこから列車でたどり着いたベルリンは、空襲下でした。
ヒトラーはUボートそのものも日本に譲渡しました。これを手本にして大量生産をしろ、という意図です。最初の「U511」は1943年夏に呉に無事入港。もう一隻「U1224」は日本人で回航することを求められたため「伊8」が回航要員をブレストまで運びました。それを迎えて整備を担当したのが友永です。伊8はダイムラーベンツ社製の高速魚雷艇用エンジンなどを搭載して無事帰日できました。なお、戦争中に日本からドイツに派遣された5隻の潜水艦で無事帰れたのはこの1隻だけです。往復6箇月のほとんどが敵の制圧下ですから、無茶な試みではありました。せめてソ連が中立だったら、航空路とかシベリア鉄道が使えたのですけれど。
「関係者」の後日談も紹介されていますが、戦争未亡人となった二人の夫人の戦後の運命が詳しく述べられます。厳しい運命に翻弄される状況で、彼女らのような凜とした姿勢が持てるだろうか、と自省したくなる生き方です。



連邦

2011-02-17 18:52:50 | Weblog
USAやスイスは多数の州からなる連邦国家です。スイスのことは詳しく知りませんが、USAでは各州の権限はとても大きくて、独自の法律や社会制度、軍隊(州兵)まで持っています。
日本でも道州制とか新しい「都」の提案とかが行なわれていますが、どうせならいっそ連邦制を敷いたらどうでしょう。武力が大好きな知事さんは、たとえば「(地元専用)自衛隊」が持てて嬉しいかもしれません。でも、「東海道戦争」が勃発したりして……

【ただいま読書中】『恋人たち』フィリップ・ホセ・ファーマー 著、 伊藤典夫 訳、 早川書房、1971年

シグメン暦550年(旧暦3050年)、極端な過密状態(一部屋を二組の夫婦が交代で使用)、シグメンと呼ばれる宗教と階級と密告制度でがちがちに固められた息詰まるような社会(『1984年』(ジョージ・オーウェル、1949年)を思い出すような描写です。ちなみに本書は1953年発行)。そこで大学に勤務する「言語専門家」としてのハル・ヤーロウはみじめな生活を送っていました。しかし、そこ(底)から脱出の機会が与えられます。新しく発見された、しかも知的生命体が住む惑星オザゲンへ。
オザゲンでシッド人(先祖はバッタ)と一緒に過ごしていたハルは、森で“妖精”を見ます。シッド人に滅ぼされた哺乳類の生き残りなのでしょうか、見かけは人間の女性にそっくり、そして、地球から40光年も離れているのに、非常に訛っているフランス語そっくりの言葉をしゃべるのです。名前はジャネット。かつて黙示戦争の前に地球から他の星へ移民をした人びとの子孫であるとハルは考えます。
ジャネットはハルを愛し、ハルはジャネットに溺れます。これまで自分が生きていた世界がいかに不自然で非人間的なものであったのか、皮肉なことに異星に出ることで初めて気づくことができます。しかし……
本書が初めて発表されたときには、とんでもない衝撃をSF界に与えたそうです。なにしろ本書の主要なテーマ(の一つ)が「セックス」だったのですから(それまでのSFで、“それ”はタブーでした。半裸の女性がBEMに攫われるのがやっとこさ、だったのです)。セックスシーンを(擬似)科学的に解説するシーンなんか、笑ったらいいのか興奮したらいいのかわかりませんが、発表当時としては、セックスシーンを描くことだけでも大きな“冒険”だったことでしょう。ただ、私はやはり「時代」を読みたいですね。冷戦や核戦争による世界破滅の恐怖が色濃く作品に投影されています。その中での“救い”が、異星人との愛、というのは、なんという救いだったのだろう、と私には感じられます。


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フェア・トレード

2011-02-16 19:11:10 | Weblog
この前ラジオで「コート・ジボアールのカカオ豆のフェア・トレード」の話題を話していました。持続可能な生産を確保するため、子供労働などの搾取を防止するために、フェア・トレードが役立っている、ということですが、それを聞いていて気になったのが、私たちが食べるチョコレートに必要なのはカカオ豆だけではないこと。砂糖やミルクなどについても「フェア・トレード」が必要ではないのかな、と考えていて、連想はさらに広がりました。日本の農民がこれまでの歴史で経済的に「フェア」に扱われていたことがどのくらいあったっけ?と。

【ただいま読書中】『チャイナ・フリー ──中国製品なしの1年間』サラ・ボンジョルニ 著、 雨宮寛/今井章子 訳、 東洋経済新聞社、2008年、1800円(税別)

2004年のクリスマス、集まったプレゼントを著者は分類してみて、その過半数が「Made in China」であることに気づきました。一種の“冒険”(あるいは実験)として、著者は「これから1年間『Made in China』の製品を一切家に新しく入れない」ことを家族に提案します。
著者は別に「反中国」ではありません。その祖先の一人(3世紀前にドイツにたどり着いた人)が中国人であることをきっちり意識しています。ただ、アメリカにあまりに安い中国製品が満ちあふれていることに行動で“異議”をとなえたくなっただけ。
事態は静かに難航します。「Made in USA」しか売らないと宣言している通信販売サイトが実は嘘を言っていたり、箱に「Made in USA」と書いてあっても中の製品は「Made in China」だったり。あるいは、中の部品の一部が中国製だったり(著者の“先達”は、アメリカ製のゲーム「モノポリー」を買ったら、さいころが「Made in China」だったので返品した経験を持っていました)。著者は熟考し、ルールを定めます。「避けるのは“Made in China”の表示だけ」と。
「ハードル」は下がりましたが、それでも大変です。量販店に山積みになっている安い商品は基本的に中国製ばかりです。子供のおもちゃは当然、子供のスニーカーを探して著者は愕然となります。中国製以外見つからないのですから。見つからない物はまだまだあります。コーヒーメイカー、サングラス、ランプ、プリンターのインクカートリッジ、ホチキスの針、そしてレゴまでも。
著者をストレスやトラブルがつぎつぎ襲いますが、問題は物だけではありません。「中国製品を買う(売る)アメリカ人」が著者の回りに充満しています。当然著者一家の“プロジェクト”は、人間関係にまで影響を与えるのです。そして家族の間もぎくしゃくしてきます。生活がどんどん不便になって夫は不機嫌となり、小さな子供は店に行くと商品の箱をひっくり返して「ちゅーごく」とつぶやきます。著者はあせります。「中国製品に支配された消費生活に異議を申し立てること」と「中国(中国人、中国という国)を嫌悪すること」とは違うのですから。
ネットで「ボイコット 中国」で見つかるサイトと「ボイコット フランス」(「フリーダムフライ」の時期でしたね)で見つかるサイトとの比較検証もありますが、ここは素直に笑って次に行きましょう。
楽しい行事であるべき、誕生日・独立記念日・ハロウィーン・クリスマス……店頭に並んでいるすべての「物」はほぼ中国製です。子供は泣きます。著者も泣きたくなります。
やっと「新年の誓い」の期限である1年間が過ぎたとき、中国製品ボイコットを続けるかどうか著者夫婦は話し合いをします。そこで出た結論は……
著者一家のこの“実験”は、グローバル化した世界経済の“現実”を発見する旅でした。店頭の商品がどんどん中国製に置き換えられていったら、それまでその製品を作っていた人たちはどこに行くのか、中国製の商品を買うことで中国の労働者は豊かになるのか、中国製品なしで平均的なアメリカ人の生活は成り立つのか……さまざまなものを考えさせられます。本書に「反中国」の“スローガン”は期待しないで下さい。中立的な心と穏やかな態度で書かれた「中国製品ボイコット」の記録ですから。
そうそう、日本人として残念だったのは、本書に日本製品がほとんど登場しなかったことでした。トヨタ車とプリンターのインクと……あと何かあったかな? 日本製品って、アメリカではそんなに影が薄いのかしら。



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読んで字の如し〈木ー6〉「柳」

2011-02-15 18:41:03 | Weblog
「川柳」……川に自生する柳
「風に柳」……台風には負けることがある
「柳に風」……葉ずれが生じる
「柳の下にいつも泥鰌はいない」……泥鰌にも引っ越す自由がある
「青柳」……青ざめた柳
「柳生」……柳発祥の地
「蒲柳の質」……カワヤナギの質
「見返り柳」……柳の幹がねじれている
「柳川鍋」……柳川市が丸ごと入っている鍋

【ただいま読書中】『耳の聞こえないお医者さん、今日も大忙し』フィリップ・ザゾヴ 著、 相原真理子 訳、 草思社、2002年、1900円(税別)

著者はアメリカではごく普通の家庭医(開業医)です。くさい鼻水が止まらない子供の鼻の穴から異物(たぶん腐ったスポンジ)をまるで手品のように取り出したり(時には本当に手品で子供ののどから赤いボールを取り出して見せたり、なんて芸当もします)、前立腺癌の診断をつけたり、急なお産で赤ちゃんを取り上げたり、“守備範囲”は日本の開業医よりはずいぶん広い印象ではありますが。ただ、アメリカでもユニークなのは、彼の耳がほとんど聞こえないことでしょう。
著者の両親も医者ですが、ユダヤ人差別のために医学部入学で二人とも苦労していました。そして著者は、成績は優秀なのに耳が聞こえないことで入学に苦労します。面接官は「どうやって患者とコミュニケーションを取る?」(今あなたとやっているように)、「授業についてこれるのか?」(高校の成績を見たら?)と著者を不合格にする理由ばかり探します。
日本にもたとえば全盲の医者がいますが、国家試験を受けるのは(そして合格するのは)大変だった様子です。そして、アメリカでもその事情は似ています。著者は「戦い」続け、自分の夢を実現していきます。そしてその戦いは、開業医となってからも続きます。医者としての仕事の大変さだけではなくて、聾者としての大変さも加わりますから(教師、銀行や保険会社の障害に対する無理解ぶりには、他人事なのに読んでいて腹が立ちました)。さらに、著者の「お客さんたち」のユニークな人間像。もうここまで変な人が集まりますか、と言いたくなるくらい凄い人たちを著者は相手にしています。ただ、仕事の大変さを著者はそれほど苦にしていません。著者が自分の仕事と同時に、「人間」と自分の人生を愛しているからでしょう。
そうそう、意外なのは、高音は全然聞こえず低音がかろうじて、なのに、著者は聴診器が使えることです。これは本人も「不思議」と言っています。

そうそう、「聴覚障害者」とまとめて表現されることは、著者にとっては腹立たしいことのようです。聴覚障害の程度によって、それぞれの人が住んでいる世界が全然違うのに、それを十把一絡げにするんじゃない、と言いたい様子。単純に「全聾」と「程度が中くらいの聾(難聴者)」とでも二分しても、前者は手話しか使わず「ろう社会」の一員として生きますが、難聴者は(特に手話が使えない場合には)ろう社会で生きることはできずだからといって健常者の社会で生きるのも難しいのです。そして「聴覚障害者」は「二分」できるような単純な集団ではありません。アメリカの開業医の生活に興味がある人と、ほとんどの音が聞こえない人の生活に興味がある人には、面白くて面白くて堪らない本のはずです。



時パン

2011-02-14 18:42:54 | Weblog
行きつけのパン屋では、買った金額に応じてポイントカードにハンコを押してくれます。「1、2、3……」と数えながら押しているおばさんの姿を見ていて思わず「今、何どきだい?」と言いたくなる衝動を抑えるのに、苦労してしまいました。

【ただいま読書中】『ガルガンチュワとパンタグリュエル 第一之書 ガルガンチュワ物語』フランソワ・ラブレー 著、 渡邊一夫 訳、 白水社、1943年(51年5刷)、580圓

昭和18年にどうして“こんな本”が出版できたのでしょう。そのこと自体に私は震えを感じます。
豆知識ですが、著者は1532年にまず「第二之書 パンタグリュエル物語」を発表し2年後にこの「第一之書」を発表しています。
まずは長々と訳者の解説(著者について、著作について、時代背景について)があります。そして「世にも名高い酔漢の諸君、また、いとも貴い梅瘡病みの各々方よ」との呼びかけで作者の序詞は始まりますが、一転、プラトンの『饗宴』『国家』やらホメロスの『イリヤス』『オデュセイヤ』やらが散りばめられ、格調は上がったり下がったり大忙しです。で、やっと物語が始まるのは、なんと113ページから。ここまでで私はもう疲れ切っています。もう何が始まっても驚かないぞ、と。
ガルガンチュワを胎内に宿したガルガメルは牛の臓物料理を鱈腹喰って「肛門が抜け出るほどの」下痢となってしまいます。そして、その最中に産気づいてしまうという…… で、生まれた子供は「のみたーい! のみたーい! のみたーい!」と叫びます。
ガルガンチュワは巨人族の一員ですので、何でもスケールが大きくなります。飲食の量や衣服に必要な布の量など次々天文学的な数字が登場して読者の度肝を抜いてくれます。まあ「でっかいことはいいことだ」ですが。(一例:街の見物をしているガルガンチュワを見物しようと人が集まったので、ちょっと巫山戯て金色の雨を降らしたら(立小便をしたら)溺れ死んだものが弐拾六萬四百拾八人だった、とか。ついでですが「巫山戯る(par rys)」からその街は「パリ」と名付けられたのだそうです)
ガルガンチュワ5歳のときには父親のグラングゥジエと「尻を拭く妙法」についての熱い会話をします。さまざまなものでお尻を拭いての実験の末、最後にガルガンチュワが得た結論は……
やがて戦争が起きます。その原因は煎餅数枚。なんともあきれますな。黒死病が流行している中でも、軍勢は侵攻します。やがてピクロコル王の軍勢はグラングゥジエの領内に侵入してきます。父は息子をパリから呼び寄せます。長々と平和交渉が行なわれますが、その途中に登場する地図(ピクロコル王世界制覇夢想図)が笑えます。全ヨーロッパから北アフリカにアラビア、グリーンランドまで、ということはたぶん当時の人たちにとっての「全世界」を一地方領主が征服しようと言うのですから。
さて、ガルガンチュワは出陣しますが、戦いの前に乗っていた牝馬が放尿したらそれが大洪水となってヴェード浅瀬にいた敵の守備隊を全滅させてしまいます。ガルガンチュワは大木で城壁をぶん殴り、城を一つ潰してしまいます。なおその時敵が撃ちまくった火縄銃や大砲の弾は、ガルガンチュワの髪の毛の中で捕らえられ、後刻髪の毛を櫛ですいたらまるで虱のようにバラバラバラと。
男女が共同生活をする修道院(結婚も還俗も自由)なんて“過激”なものも登場します。そこでの決まりは「欲するところを行へ」! 壮大なほら話の中に、著者は権力(王や教会)に対する皮肉をしっかり混ぜています。「自由な精神」は、時代を超えています。



鬼の居ぬ間に

2011-02-13 18:17:02 | Weblog
先週、家内が数日留守をしました。休日にはのんびり朝寝を、と思いましたが、いつもより1時間くらいしか余分に寝られませんでした。天気予報を確認したらその日は寒いけれど、晴れの予報。まずは洗濯機を回すことにしました。見よう見まねで、お風呂の残り湯を入れてスイッチポン。機械がやってくれるのは快適ですね。洗濯物ができあがるまでに朝飯を子供の分と、と薬缶をしかけたところで朝のブログへの投稿を忘れていることに気づきました。パソコンを起こしてごちゃごちゃやってるとお湯が沸きます。
いつもよりあわただしいなあ。やっぱり「鬼」はいてくれた方が良いのかな?

【ただいま読書中】『夢小説/闇への闘争 他一篇』シュニッツラー 著、 池内紀・武村知子 訳、 岩波文庫(赤430-5)、553円(税別)

目次:「死んだガブリエル」「夢小説」「闇への闘争」

巻頭に置かれている、タイトルでは「他一篇」とされている「死んだガブリエル」がわずか29ページの短編ですが、拾いものです。
恋人の大女優ヴィルヘルミーネに捨てられたガブリエルが自殺して1ヶ月。ガブリエルの旧友だったフェルディナントは、やっと人前に出る気になって参加した舞踏会で、ガブリエルに恋いこがれていた(そしてその愛が実らなかった)イレーネと出会います。彼女もまたガブリエルを失った虚脱感からやっと脱して、人前に出る気になっていたのでした。お互いを探り合うような、イレーネとフェルディナントの会話は、ぎりぎりの緊張感のエッジを進みます。さらにイレーネはヴィルヘルミーネを訪問する計画をフェルディナントに打ち明けます。夜の町、二人は馬車で出かけます。
三人の会話では、本当のことをあからさまに語られず、言葉は“真相”の回りをたゆたいます。闇の中をぼんやりとランプか蝋燭で照らして透かしてみるような雰囲気が濃厚な作品です。
そして、その「ランプか蝋燭で闇を照らして透かしてみるような雰囲気」がもっと濃厚なのが「夢小説」。これは5年くらい前に『アイズ・ワイド・シャット』(映画の脚本と原作の合本)で読みました。あちらでは「ドリーム・ノベル」というタイトルでしたが。
仮面舞踏会から戻ってきた夫婦。夫は、自分の中に妻以外の女性への欲望があることに気づいていますが、それと同じことが妻の心の中にもあることを知って衝撃を受けます。妻は結婚したとき処女でしたが、それはただの偶然だった、と彼女は言います。19世紀末のウィーンには自由恋愛の気風が充満していたはずですから、あえてそういうこと自体に意味があったのでしょう。
夫の職業は医者。死と毎日向き合っています。死とエロス。あるいはクリムトの絵。そして映画の「アイズ・ワイド・シャット」。スタンリー・キューブリック監督がこの作品の「雰囲気」を(光と闇をうまく配合することで)いかに上手く映像化していたかには、原作を読んでからあらためて感心します。ストーリー? そんなものはどーでもよろしい(極言)。
どーでもよろしいと言ったら、最後の「闇の闘争」でもストーリーはそれほど重要ではないように思えます。強いて言うなら「蝋燭の表面に描かれた絵」のようなもの、かな。もちろん美しい絵が描かれているのは良いのですが、蝋燭には火がつけられるのです。そして、その絵は少しずつ燃えていきます。ああ、美しいなあ、はかないなあ、と呟きながら私は本を閉じることになります。



TOYOTAたたき

2011-02-12 18:07:19 | Weblog
アメリカで盛んに行なわれていたトヨタ叩きがやっと終息しそうだそうです。叩いていた人たちは「所定の目標」が達成できた、という判断なんでしょうか。

【ただいま読書中】『海の火 ──ノーチラス号の冒険(5)』ヴォルフガング・ホールバイン 著、 平井吉夫 訳、 創元社、2007年、952円(税別)

第一次世界大戦が始まって1年が経過しました。ドイツの戦艦レオポルド号(艦長はヴィンターフェルト。本シリーズの主人公マイク(ネモ艦長の息子)の親友パウルの父親)は、まるで全世界を相手に宣戦布告をしたかのように、各国の艦船や港町を襲っていました。その中には、自分たちが所属するドイツのものまで含まれていました。ノーチラス号にある不思議な装置(「テレ・ヴィジョン」と登場人物の一人ベンは名付けます)でその姿を見た一行は、その凶行にショックを受けると同時に、冷静で優秀な軍人であったヴィンターフェルトらしからぬ振る舞いに首を傾げます。
もう一つ、マイクたちを悩ませていることがありました。「将来」です。いつまでもノーチラス号に乗ったまま世界を放浪するわけにはいきません。いつかは陸に上がらなければならないでしょう。そのときノーチラス号をどうしたらよいのか。世界大戦でお互いを破壊し合うことに夢中になっている人類に、この“超兵器”を渡すことが良いこととはとても思えません。では、どうしたら……
少年たちの人間関係にも、明らかな変化が見えます。とげとげしいことばかり言って周囲に喧嘩をふっかけ続けていたベンは、基本パターンはあまり変わりませんが、それでも少し自制を覚えてきています。天性のリーダー格のようだったフアンは、ときに気弱な面を覗かせます。それと交換のように、マイクがときにリーダーとしての資質を覗かせるようになっています。
ノーチラス号の一行はまたまた軍隊に捕まってしまいます。さらに「戦争」がマイクたちのすぐそばを破壊していきます。その“主犯”は、ヴィンターフェルト。しかしその部下たちは、軍服を脱いで思い思いの服装をしているのです。これは……海賊? 「海賊ではない」とヴィンターフェルトは語ります。「自分は戦争を終わらせたいのだ」と。息子のパウルを亡くしたヴィンターフェルトは自身の正気さえ否定します。「戦争という狂気を終わらせるためには、くるった人間が必要だ」とも。
その目論見は、文字通り驚天動地。氷河期の再来によってヨーロッパを凍り漬けにしてしまおうというのです。そしてそのためにはノーチラス号が必要不可欠なのです。
海底の激しい潮流のように、ストーリーは激しく流れます。そして巻末、まるで死出の旅立ちのような状況になったノーチラス号の中で、マイクは不思議な笑みを浮かべます。リアルタイムで読んでいた読者は、次巻が待ちきれなかったでしょうね。


読んで字の如し〈木ー5〉「林」

2011-02-11 18:04:01 | Weblog
「林」……木が二本
「森林」……森と林の差は、木一本だけ
「魚付き林」……魚がお付きとなっている林
「竹林」……前にチンをつけてはいけない
「営林」……営業の林くん
「林檎」……林くんの檎
「小林檎」……小林くんの檎
「学林」……林間学校専用スペース
「スーパー林道」……林道という名前のスーパーマーケット
「農林省」……日本の山を破壊した元凶
「聖林」……日本にはハリウッドのことと誤解している人がいる(本当はHolyではなくてHolly)
「小林寺」……本当は少林寺
「酒池肉林」……すごいにおいがしそう
「森林公園」……安全無害な森林
「砂防林」……高性能フィルターが装備されている林

【ただいま読書中】『三元豚に賭けた男 新田嘉一 ──平田牧場の43年』石川好・佐高信 著、 七つ森書館、2010年、1500円(税別)

著者二人は、「酒田には変わり者が多い」と言いたい様子です。明治26年に地元有力者が集まって行なった「宮中風大宴会」(天皇皇后や参議などのコスプレをしての新年会)で話が始まりますが、それってマズイのでは?と思っていると案の定、不敬罪で地元有力者(議員、豪商、地主など)が根こそぎ逮捕です(相馬屋事件)。で、稲作から畜産に転換し、さらには美術品収集と競馬の馬主でも知られる新田嘉一もそういった変わり者の系譜に位置づけられているようです。
周囲の反対を押し切って先祖伝来の田んぼを潰して畜産を始めた新田は、1969年に山形県畜産振興計画でヨーロッパに派遣されます。そこで畜産技術を習得すると同時に、美術館めぐりもやっています。畜産技術だけではなくてヨーロッパには「文化」が存在することを知って、新田は帰国しました。
資金繰り・販路開拓など、道は平坦ではありません。むしろピンチの連続です。しかしそういったときになぜか“救いの手”が登場します(敵も多く作っているようですが)。豚も交配を繰り返して、ランドレース種(ヨーロッパ)とデュロック種(アメリカ)と黒豚バークシャー種(鹿児島)とから、三元豚を生みだしていますが、同時に中国(台湾)で滅びかけていた桃園豚の保存もしています。
中国黒竜江省との合弁事業では、なんとロシア領のアムール川を使っての水上輸送ルートを開拓してしまいます。ここは国境紛争の火種の場所で、なんと新田の働きによって134年ぶりに中ソの国境を商船が通過できることになりました。
美術品では、無名時代の森田茂画伯を援助し、画伯が文化勲章を得たときには「ありがとう」が繰り返し書かれたお礼状をもらっています。そのことに関連して多田富雄は新田を「強力な破壊力を持った不発弾」と称しています。それを本書では、新田自身が不発弾であるというより「不発に終わりそうな人生を送っていた人が新田と出会うことで何事かを始めてしまう」と解釈していますが、その“事業”は1989年に誕生した東北公益文科大学の理事長に2009年に就任することでまた別の局面を迎えたのかもしれません。
「三元豚」が有名になったのを見てそれに味の素が便乗するという“商法”(「三元豚」は商標登録をしてないのだそうです。だから「三元豚」と商品につけても、違法ではないわけ)も紹介されます。ふうむ、本書で「三元豚を食べてみたいな」と思ったのですが、「平牧の三元豚」かどうかをちゃんと見ないといけないのね(「平牧」は登録してあるそうです)。



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八百長カイメイ

2011-02-10 19:12:12 | Weblog
そういえば昔「無気力相撲」という言葉がありましたね。あの頃から、知っている人は知っていたわけでしょう。
で、現在大切なのは何でしょう。相撲協会は「全容解明」と言っていますが、捜査権はないわけでしょう? 全容解明の権力を存分に振るえる検察や警察でもチョンボをするのに、そういったことに慣れていなくて権力も持っていなくて(たぶん全容解明の熱意も持っていない)人たちに何ができるのかなあ、なんて私は冷たく思っています。
だとすると、再発予防。取り組みを実際に見て「この取り組みには“待った”」と発言できる人で監視委員会を作ります? ただ、“試験”はしないといけないでしょうね。どの取り組みがガチンコか先に話し合いができているか、監視員にはわからないようにしておいてから、目の前で百番くらい取り組みを見せてどのくらいがガチンコかを指摘させるの。
いっそ「大相撲」を「花相撲」と解明、じゃなかった、改名する、という手もありますが。

【ただいま読書中】『戦国武将の手紙を読む ──浮かびあがる人間模様』小和田哲男 著、 中公新書2084、2010年、840円(税別)

「手紙の写真」「翻刻」「読み下し文」「現代語訳」「解説」の順で各章が構成されています。取り上げられている手紙の差出人は、武田信玄・北条早雲から始まって、松永久秀・毛利元就で巻を閉じるまで、家康・光秀・謙信・秀吉・信長など有名どころがずらりと並んでいます。右筆のものだけではなくて、自筆のものも半分近く含まれていますが、これがまた個性豊か。
最初の信玄のものは、昭和44年に発見されました。それまで読み物では軍師としての「山本勘助」は有名でしたが、確かな文書にまったくその名が出ないことから学問の世界では「架空の存在」とされていました。ところがこの文書に「猶山本管助口上有るべく候」とあり、ここから(軍師ではなくて)軍使(一種の情報将校、手紙に書けない情報を相手に口で述べる役割)としての「山本勘助」の実在が確かなものとされるきっかけとなったのだそうです。
私は墨書きの文字は読めませんので写真は眺めるだけですが、それぞれ個性豊かです。右筆のものはさすがに堅い漢文となっていますが、自筆でも明智光秀はみごとな漢文。教養人ですねえ。他の武将の自筆の手紙は大体漢字かな交じり文ですが、特にひらがなが目立つのが森長可。もっとかなが目立つのが秀吉の自筆書状です(もちろんあちこちに漢字が散りばめてありますが、「申」「候」といったごく限定された数種類だけです)。手紙を眺めるだけで、おそらく光秀と秀吉は本当に“波長”が合わなかっただろう、と思えます。タイプが違いすぎて仲良くなる、ということがあったかもしれませんけれどね。
書状から心の内がすべて読み取れるわけではありませんが、それでもある程度の“肉声”が文字から聞こえてくるような気がします。「日本語」なのに読めないとは、ちょっと悔しいものですね。



もやし嫌い

2011-02-08 18:56:56 | Weblog
ラーメン屋で食べていたら、少し離れたところの若者グループの話が耳に入ってきました。傍若無人にしゃべっているから店内の全員が聞くことができただけですが。でまあ「○○君」やら「××ちゃん」やらの行状についていろいろ興味深いことが開陳されていたのですが、そのうち話が突然もやしに。唐突に「あたし、もやし、きらい」という宣言がされたのです。ところが周囲は反応なし。せっかくの宣言が無視されたのがお気に召さなかったのか、発言はエスカレートします。いかにもやしがしょうもない存在であるかそんなものを食べたらいかに人間がダメになるか、についてのご高説が展開されます。
しかしねえ、もやし農家の人がすぐそばにいる可能性とか、ここの店主がラーメンに入れるもやしを厳選している可能性とかを考えないのかなあ、と私は思ってしまいましたよ。さらに言うなら、ここはラーメン屋、メニューに「もやしラーメン」がございます。そういえば少し向こうの席の人、さっきもやしラーメンを注文してませんでしたっけ?

【ただいま読書中】『タイム・パトロール』ポール・アンダースン 著、 深町真理子 訳、 早川書房、1971年

求人広告で本書は始まります。笑っちゃいますよね。タイム・パトロール隊員を「求人。21歳~40歳の男子。なるべく独身。軍隊もしくは技術者としての経歴を有する身体頑健者。海外出張を含む業務で、高給保証」という広告で募集ですよ。もちろん読者はワクワクしながらそのオフィスの扉を開けるわけです。1960年代の読者だったら、タイトルとこの求人広告で、どんな“新しい物語”に出会えるのだろうと期待で心がはち切れそうだったはずです。
冒険をしたくてふらりと応募したエヴァラートはめでたく採用。訓練と教育の後めでたくタイム・パトロール隊員としての勤務を始めます。初っ端は、ヴィクトリア時代。紀元前のサクソン人の古墳から出てきた箱に密閉されていた「毒の金属」が貴族をあっという間に殺したのです。これは放射性物質だ。エヴァラートは直感し、さっそく調査を開始します。現場にいたのは敏腕の私立探偵。名前は名乗りませんが、どう見てもシャーロック・ホームズです。いやもう、著者は遊んでいます。
歴史改変で面白かったのは、アケメネス朝ペルシアの祖キュロスの物語です。あろうことか現代人がキュロスに成り代わってその偉業を行なってしまいそうになり、そこにタイムパトロールが関与して、というか自らいろいろやっちゃって……最後に「わが家」に帰ってきた隊員の感想が笑わせてくれます。古風なタイプの女性は笑えないかもしれませんが。
クビライ・カンが派遣した探検隊がアメリカ大陸を発見、というビッグ・ニュースも飛び込んできます。これは違法なタイムトラベラーが関与しているにちがいない、とパトロールは調査をしますが、そんな証拠は一切ありません。さらに、タイム・パトロールを統括している超未来人から、納得しがたい指令が……
明白な歴史改変事件もあります。古代ローマ時代を持たない、ケルト人に支配された世界に急に歴史が書き換えられてしまったのです。そこに偶然飛び込んでしまったエヴァラートは装備を一切没収されと囚われの身となり、かろうじて通じることば(古代ギリシア語)と己の才覚だけを武器に戦いを開始します。そこで浮かび上がってきたのは、ハンニバルとスキピオ。“たかがSF”を読むのに、広範な歴史の知識が必要になるとは、当時は思いませんでしたっけ。“入り口”は何であれ、歴史の面白さを知る人間が増えることは良いことではありますが。