瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

今日、はじめてそれに気づいた

2007年02月27日 | 瞑想日記
昨日、「臨死体験・気功・瞑想」のトップ「心に響く言葉」に引用したのは、鈴木秀子氏の次の言葉だった。

「自分の人生に起ることは必然であり、
無駄なことは何一つありません。
そして、人生には余計な回り道というものもありません。
嫌なことや苦しいことは、私たちが自分自身を大きくするために
自ら引き寄せたものであり、それを乗り越えたときに
ひとまわりもふたまわりも大きく成長することができるのです。」
(鈴木秀子『「こころの目」で見る』(清流出版))

こうした考え方自体は、多くの人が様々に語っているものだ。私も、これまでに何度もこうした考え方に接してきた。しかし、それを自分のこととしてどれだけ深いところで受け止めるかどうかは、その人なりの「時節」によるのだろう。

私には、この言葉と、「真の精神的覚醒とは何もかも失うことを通して得られるもの」という言葉とが響き合って聞こえる。自分自身が大きくなるとは、「自我」を捨てていくということなのだ。

今、私が直面している苦しみは、私自身に「何もかも失う覚悟はあのか」と問いかけているような気がする。今日、はじめてそれに気づいた。
コメント (4)
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