瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「物語」

2007年05月08日 | 瞑想日記
最近ガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』を読み直している。彼女がババジに出会って覚醒する経緯を「覚醒・至高体験事例集」に収録したいと思い、その準備もしている。

これまで様々な取組みをしてきた彼女は、パパジに「何もしないでいなさい」と言われる。それがきっかけとなって、これまで彼女が欲しがっていたすべてが「すでにここに、純粋で永遠なる存在の基盤として存在している」ことに気づく。

「このことに気づいたとき、私という存在の物語から、物語の奥底にいつもあった存在の終わりのない深みへと、驚くべきフォーカスの転換が起こりました。それは何という平安、何という休息だったでしょう! それまでにも私には宇宙との一体感や崇高な至福感を感じた瞬間がありまあしたが、これはまったくその性質が違っていました。それはいわば冷静な恍惚状態であり、その瞬間、私は「私」という物語に縛られてはいない! ということに気づいたのです。」

私は、ガンガジのいう「物語」という言葉が好きだ。結局、私が思考によって織り成す一切は、ひとつの「物語」にすぎない。自分が自分の都合にあわせて作り上げた「物語」。でありながらその「物語」こそこの世でいちばん大切なものと思い込んで、それに執着し、苦しみを生み出している。しかし、所詮それは「物語」に過ぎない。

「物語」は、いずれは消え去る。一夜で消え去る夢まぼろしと変わらない。しかし「物語」の底には、消え去らない無限の存在の基盤がある。「物語」が飛び散るように消えてしまうことで、かえって開ける無限の地平がある。

子供の頃、母が読んでくれた恐ろしい物語が終わってほっとしたように、私が今、夢中で織り上げている「物語」も、そこから解放されてしまえば、まったく別の、思考を超えた限りなく静かな世界が開けるのだろう。

「物語」という言葉は、そんなことまで予感させる言葉だ。
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