瞑想と精神世界

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覚醒・至高体験をめぐって14:  (2)至高体験の特徴⑥

2010年07月30日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《タゴール》

次に取り上げるのは、インドの詩人であり、宗教哲学者でもあったタゴール(Rabi_ndrana_th Tagore 、1861~1941)である。彼は21歳のときに、以下に紹介するような神秘体験をしている。その体験によって彼の詩の作風は大きく変わり、現実の混沌の背後にある神の創造の美と歓喜の世界を描く大詩人への成長していく。辻邦生が、若き日の至高体験を、その後の作品に色濃く反映させているのに似ていなくもない。(以下、タゴールの体験前後の記述は、森本達雄『ガンディーとタゴール (レグルス文庫)』第三文明社、一九九五年、から要約した。)

少年のころ、生来の自然児だったタゴールは、イギリス式の厳格な詰め込み教育に耐えられず、いわゆる「おちこぼれ」で、三度も学校を変えた。にもかかわらず、生涯一枚も学校の卒業証書を授与されなかったという。そんなタゴールを心配した父は、17歳になった彼をイギリスに留学させた。

一年半のイギリスでの生活は、その後の詩人の成長にとって無益ではなかった。彼はロンドン滞在中、西洋の古典文学やイギリス浪漫派の詩人たちの作品に親しみ、同時に西洋音楽の精神に参入した。

懐かしい故国に帰ったタゴールの創作意欲はますます旺盛で、内心の孤独や失意を、形式や韻律の伝統にとらわれることなく、自由にうたうことで、新しい自己表現の方法を見出した。こうして書かれた一連の作品は、一八八二年に『夕べの歌』と題する一冊の詩集として出版された。これらの作品によって彼は、「ベンガルのシェリー」として、一躍文壇にその名を知られるようになった。

しかし、これらの作品はおおむね、「主観的な幻想と自己陶酔のなかで孤独を嘆き、人生を悲しむといった青年期特有の憂欝や不安」を表現していた。後年タゴールは、この時代の作品を「心の荒野」としてまとめている。タゴールがそうした病的な感傷世界の殻を破って、「遍照する朝の光へ、生命の歓喜の世界へと躍り出た」のは、それからまもない21歳の初秋のことである。

ある朝タゴールは、カルカッタのヴィクトリア博物館に近いある街の、兄の家のヴェランダに立って、外を眺めていた。東の方向にある学園の校庭の樹々の向こうに、ちょうど朝日が昇りはじめた。陽はみるみる樹をつたって昇り、茂った葉のあいだから金色の光が射し、葉の一枚一枚が光を浴びて踊っていた。タゴールは、そのときの不思議な感動を次のように回想する。

「ある朝、わたしはたまたまヴェランダに立って、その方角を見ていた。太陽がちょうどそれらの樹々の葉の茂った梢をぬけて昇ってゆくところだった。わたしが見つづけていたとき、突然にわたしの眼から覆いが落ちたらしく、わたしは世界がある不思議な光輝に浴し、同時に美と歓喜の波が四方に高まってゆくのを見た。この光輝は一瞬にして、わたしの心に鬱積していた悲哀と意気消沈の壁をつき破り、心を普遍的な光で満たしたのだった。」

「私がバルコニーに立っていると、通行人のそれぞれの歩きぶりや姿や顔つきが、それが誰であろうと、すべて異常なまでにすばらしく見えた――宇宙の海の波の上をみんなが流れて過ぎてゆくように、子供の時から私はただ自分の眼だけで見ていたのに、今や私は自分の意識全体で見はじめたのだ。

私は一方が相手の肩に腕をかけて無頓着に道を歩いてゆく二人の笑っている若者の姿を、些細の出来事と見なすことはできなかった――それを通して私は、そこから無数の笑いの飛沫が世界中に踊り出る、永遠の喜びをたたえた泉の底知れぬ深みを見ることができたのだから」(タゴール『わが回想』、『自伝・回想・旅行記 (タゴール著作集)』第三文明社、一九八七年所収)
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