瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート15

2005年01月22日 | 瞑想合宿レポート
◆起床からサティが続く
8日目、2005年、元旦。といっても修行者は、いつもと同様に黙々とサティを続けるだけである。この日は、起床して服を着る動作から自然にサティが入り続けた。トイレへいく一歩一歩の足の動き、スイッチをいれ扉を開ける動作、トイレ内への移動‥‥。これまでは、トイレの中の動作のどこかでサティが途切れていたが、この日は途切れなかった。続いて、掃除機を使って部屋の掃除。かがみこんでコードを引き、コンセントに差込み、掃除機を移動させ、という複雑な動作にも苦もなくサティが入り続ける。掃除の途中で、「あ、完璧にサティが入り続けている」と気づいた瞬間、その思考にはサティが入らなかった。先生によると、前の晩のよい瞑想状態が、翌朝にも引きつがれていく傾向があるとのことだった。

その後の瞑想も、昨晩ほどの深い禅定感はなかったものの、サティがクリアに続いた。

◆達成ゲーム
8日目、9日目は、恒例の達成ゲームがある。先生のダンマトークでのお話ぶりでは、今回も達成ゲームを行うかどうか、若干の迷いがあったようだ。が、結局行うこととなった。たしかに甘いサティだとどうしても思考モードに流れることが多く、思考=エゴが裁量する範囲での洞察しか得られない。思考の入らない厳密なサティを続け、それでも浮上してくる妄想やイメージにもサティを入れていると、エゴの裁量を超えた洞察、自己変革につながる劇的な変化が起こりやすい。だからこそ純粋なサティが大切なのだ。これが、達成ゲームを行う、先生の狙いのひとつだ。

厳密なサティの意味は充分納得できる。しかし私は、せっかく瞑想が軌道に乗ってきたところへ、また新たなルールを意識して心を乱されることに抵抗を感じていた。サティを連続させる3時間という時間を意識してしまい、またサティが途切れたかどうかをいちいち厳密にチェックしていくことは、かなりわずらわしい。これまでの瞑想の流れを断ち切られるような感じだった。サティがどれぐらい続いたかに意識を奪われるのがいやであった。

ダンマトーク後の瞑想は、やはり達成ゲームを意識して全体によくなかった。3階で少し早足で歩行瞑想をした。少しは足裏の感覚に集中できるが、15分、せいぜい30分でサティの入らない思考に気づく。そうするとまた振り出しに戻って時間を計る。その繰り返しだった。
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