瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

日常の中のタオ

2010年02月24日 | 瞑想日記
あるきっかけで、数年前に書いたアーノルド・ミンデル関係の書評を読み直した。本の世界の旅プロセス指向心理学

それに刺激されて久しぶりにミンデルを読みたくなった。ミンデルの著作の中から読み直す本を一つ選ぶとすれば、やはり私にとっては、『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』だった。

自分の書いたいくつかの書評を読み直し、『シャーマンズボディ』を再度読み始めて、私にとってミンデルが魅力的である理由が、以前にもましてはっきりと分かった気がした。

その話の前にミンデルのプロセス指向心理学の基本的な考え方を、書評の一部からかんたんに紹介しておこう。

『ミンデルは、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。』

それで、ミンデルのどこが魅力的なのかというと、これもまず以前書いた他の書評の文章から引用してみる。

「ミンデルには、心理療法のこれまでの理論家に感じたのとは違う根源性を感じる。それはやはり、パーソナリティではなく、タオと表現されるような、生成し展開するプロセスを、中心あるいは基盤にすえているという点だろうか。トランスパーソナル心理学でさえ中心はやはりパーソナリティであり、パーソナリティを超えるにしてもパーソナリティの視点があってこそのトランスパーソナルなのだ。ミンデルにおいては、生成し展開するプロセスそのものへの信頼が、実践の中で現実に起こるプロセスとして確認される。」

「ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。『大きい力』を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。」

タオ=「ドリームボディ」=「大きい力」=「時空を超えた世界」が、実はこの日常的現実とひとつであり、夢や身体症状や偶然の一致や、一見不幸な出来事などの形をとって、絶えずこの現実の中でプロセスを展開しているということ。タオと現実とがひとつらなりであること。その働きかけを自覚してそのプロセスに自らをゆだねることが心理療法という実践のかなめであり、人間の心理的成長にとっても大切なことなのだ。

現実の中の病や人間関係のトラブルや苦悩や絶望や挫折、それらがすべてタオからのメッセージ、いやタオそのものが発現するための大切なきっかけなのだとしたら。そうだとすれば私は、日常を生きながら、その現実のプロセスの中により深い次元を発見し、その深い次元を生きることができる。そこに気づかせてくれるのが、ミンデルのたまらない魅力なのだ。
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