瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

朝の瞑想

2005年07月18日 | 瞑想日記
◆朝の瞑想
近所から音がする。何の音かは分からない。しかし、人が出した音だという無意識の判断が付随しているのには気づく。音に「人」という観念、あるいはイメージにならないような「人」のイメージが結びついて聞こえてくる。たぶん音の種類や音が発生する場所から、瞬時にそういう判断がなされるのだろう。

前回と前々回の瞑想合宿で、前半、半分夢のような妄想(=イメージ・思考)に振り回された。しかし、その後の展開を考えると、妄想に苦しんでいるときこそ、無意識下で着々と準備が進んでいたのかもしれない。瞑想合宿後そんなことを何回か思った。今日もふとそう思った。妄想に苦しむことにも意味があったと。少なくとも妄想を否定的にとらえる必要はない。

何かになろうとする強烈な思いが、妄想のエネルギー源になる。それは、これまでの経験で骨身に沁みて分かった。しかし妄想の洪水は洪水でまた意味がある。

次の瞑想合宿で何がどのように展開するか、もちろん全く予想はできないが、もしかしたら、妄想と戦おうとする姿勢は、あまりなくなっているかもしれない。

「何かになろうとすることを一切止めたとき、あるがままの状態に入る。」しかし、何かになろうとすることを一切止めることは難しい。自己は、意識は、つねに何かになろうとしている。「何かになろうとすることを一切止めた状態」にすら、「なろう」としてしまう。それでも、この言葉には引かれる。

◆昨日の腹食
昨日は、結局11時半ごろに便通があった。金曜日に食べた粕がすべて出た感じだった。そのあとおかゆで腹食。ところがその後に食欲が来て、間食がまたまた多かった。夜、59.4キロだったから、1.2キロ分以上食べたことになる。断食中はあまり空腹感はないが、腹食後にかなりの食欲が来るというパターンは相変わらずだ。それも徐々に変わっていくかもしれないが。
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