瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

好循環

2010年07月03日 | 瞑想日記
◆起床後すぐに50分瞑想。やはり全体に思考がかなり少なくなっている。思考が出てもすぐにサティが入る。思考が連鎖することも少ない。50分の中で2回ほど連鎖があったが、ごく短いものだった。やはり思考が出たら心随観を、という受け入れ姿勢がいいのだろうか。

腹の動きにサティしているとき、それを観察している「自己」を感じるときがある。そういうときは「自己」とラベリングする。今日もそういう時間がかなりあった。「自己」の強固さを感じると同時に、「自己」すらもひとつの現象としてサティする、すべての現象に公平にサティすることの大切さを思った。無限に後退しつつ気づきを入れていく。

◆夜10時よりまた30分ほど、街中を歩きながらサティを続ける。朝の瞑想時よりはるかに思考は多く、集中も悪かった。後半、雨が降ってきたせいもあるかも知れない。思考から心随観へと向かうサティもあまりよくなかった。

朝も感じたが、ある程度、思考が少なくなってくるとしっかりとサティしやすくなる。そうするとますます思考が少なくなるという好循環が生まれるようだ。あるいは思考から心随観へのサティも鋭くなる。

瞑想時や歩きながらのサティの時以外は、かなり意識が散漫だ。これからの課題だろう。

◆「エゴから解放されるために必要なのは、エゴに気づくことだけだ。気づきとエゴは共存できないからである。気づきとは、いまのこの瞬間に秘められた力だ。‥‥人間という存在の究極の目的は、この『いまに在る』力を世界に広めることだ。」(『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-』より)
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2 コメント

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 (halleluiah)
2010-07-04 00:01:53
マインドは考えで、ハートは感じること。
マインドは常に対象が必要。
ハートは常に自身しか感じていない。
二元と一元の違い。
感じることの中で思考は一つになっていたが、思考が一人歩きを始めた。
思考によって感情、五感という錯覚が生じた。
思考を取り去れば、本来、すべて悦しかないことを感じるでしょう。
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流れの中で (Noboru)
2010-07-04 10:57:34
halleluiaさん、コメントありがとうございます。

思考を取り去ることの難しさを、これまでいやというほど感じてきました。もちろん今も感じています。その中で自分なりの道を探していくほかないと思っています。

halleluiaさんのお言葉も、こころのどこかで受け取りながら。
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