◆ブログの更新状況‥‥ブログ「クールジャパン★Cool Japan」に以下の記事をアップした。
「カワイイ」文化の魅力:世界に広がるマンガ・アニメ04
◆『意識のスペクトル 1 意識の進化』
「時間的・空間的事項からなる宇宙は、われわれが原初の二元論と呼んだ原初の分断行為によって創造される。といってもこの分断は歴史的出来事ではない。ここには第一原因は存在せず、在るのは「永遠の始まり」、原因も動機も目的(‥省略‥)もなく永遠の現在において生起する出来事である。時間と空間を生み出し、そのために、それ自体、時間と空間を超えているこの分断はさまざまな形で呼ばれる。内省、分解‥‥」(p186)
「この原初の二元論の「両半分」はさまざまな名前で呼ばれる。主体と客体、男と女、内部と外部、天と地、有と無‥‥もっとも便利な言葉は、主体と客体、自己と他者、あるいは単に有機体と環境である。というのは、原初の二元論によって、いまや人間は環境と対立するものとしての自らの有機体にもっぱら同一化しており、この幻想上の限界を課したのが自分自身であったことを完全に忘れているからである。したがって‥‥、人間が解放されたいと願っているのは、この限界からなのである。」(p187)
「本当は、あなたがみじめで不幸になる原因など何もない。あなた自身が無限なる存在である自分の本姓に限界を設け、自らが有限の生き物であること嘆いているのだ。だから、わたしはいう。実はあなた無限なるもの、純粋な存在、絶対的な自己であることを知れ、と。あなたはつねにその自己であり、自己以外の何者でもない。したがって、実際にはあなたが自己を知らないということなどありえない。あなたの無知は単に形のうえでのものにすぎない。」(ラマナ・マハリシ)(p187)
最後の言葉はラマナ・マハリシのものだが、彼とその根本体験については、ラマナ・マハルシに、その一端を掲載しているので参照されたい。
確かに、この分断された「私」は、幻想上の限界であるにすぎず、自分の本姓に自分自身で限界を儲けているにすぎない。だから、「私」をとことん追求すると、「私」を成立させるいかなる根拠もないことがわかる。「私」が「私」として存在していることの根拠を示せと問われても、いかなる根拠を示すこともできない。それは、まさに幻想にすぎないのだから。ラマナ・マハリシが「私」とは何かを問い続けよというのもそのためだろう。
「カワイイ」文化の魅力:世界に広がるマンガ・アニメ04
◆『意識のスペクトル 1 意識の進化』
「時間的・空間的事項からなる宇宙は、われわれが原初の二元論と呼んだ原初の分断行為によって創造される。といってもこの分断は歴史的出来事ではない。ここには第一原因は存在せず、在るのは「永遠の始まり」、原因も動機も目的(‥省略‥)もなく永遠の現在において生起する出来事である。時間と空間を生み出し、そのために、それ自体、時間と空間を超えているこの分断はさまざまな形で呼ばれる。内省、分解‥‥」(p186)
「この原初の二元論の「両半分」はさまざまな名前で呼ばれる。主体と客体、男と女、内部と外部、天と地、有と無‥‥もっとも便利な言葉は、主体と客体、自己と他者、あるいは単に有機体と環境である。というのは、原初の二元論によって、いまや人間は環境と対立するものとしての自らの有機体にもっぱら同一化しており、この幻想上の限界を課したのが自分自身であったことを完全に忘れているからである。したがって‥‥、人間が解放されたいと願っているのは、この限界からなのである。」(p187)
「本当は、あなたがみじめで不幸になる原因など何もない。あなた自身が無限なる存在である自分の本姓に限界を設け、自らが有限の生き物であること嘆いているのだ。だから、わたしはいう。実はあなた無限なるもの、純粋な存在、絶対的な自己であることを知れ、と。あなたはつねにその自己であり、自己以外の何者でもない。したがって、実際にはあなたが自己を知らないということなどありえない。あなたの無知は単に形のうえでのものにすぎない。」(ラマナ・マハリシ)(p187)
最後の言葉はラマナ・マハリシのものだが、彼とその根本体験については、ラマナ・マハルシに、その一端を掲載しているので参照されたい。
確かに、この分断された「私」は、幻想上の限界であるにすぎず、自分の本姓に自分自身で限界を儲けているにすぎない。だから、「私」をとことん追求すると、「私」を成立させるいかなる根拠もないことがわかる。「私」が「私」として存在していることの根拠を示せと問われても、いかなる根拠を示すこともできない。それは、まさに幻想にすぎないのだから。ラマナ・マハリシが「私」とは何かを問い続けよというのもそのためだろう。
私 の身体は 消滅、死、
が 確実に 訪れます。
では 身体で無い 私は?
消滅 しないし 死も無い
永遠 の 存在。
ただ それに 気付くだけ、
それだけが この世に
生きている 理由 だと
考えています。
ここに挙げられている幾つかの抜粋は正に私が詩で表現しようとしていることそのものです。
懐かしくなって思わず投稿してしまいました。
私も、ラマナ・マハリシは大好きで、何度も読みました。
コメントいただいたことに刺激され、再び読み返してみたいと思っています。
芦田さん、その節はたいへんありがとうございました。
覚醒・至高体験事例集は、いまでも訪れる人はかなりいると思います。
そして芦田さんの詩に触れて、様々に影響を受けたり、心が洗われたりする人も多いと思います。
でもいろんな事を体験して、心が震えて息も出来ない程の愛あふれる感受性が発達し、自分を守ってくれている何かに感謝。
そして、もらった愛や優しさを、今度は自分が誰かにしたくなる。
誰かに頂いた優しさや愛を、残すことなく誰かに渡す時、自分はこれをするためにここにいる、そう思えます。
物理でいうエネルギーは、伝導する事によって、エネルギーを他方に伝えます。
人も(魂も)与えられた、少しでも質の高い愛を、誰かに伝える事の為に存在するのではないでしょうか?
お体を大切に。
>誰かに頂いた優しさや愛を、残すことなく誰かに渡す時、自分はこれをするためにここにいる、そう思えます。
私もそのようなことを大切に生きていきたいと思います。
入院してお世話になった病院のスタッフの人々は、信じられないくらい優しさに溢れた方ばかりでした。
上手に伝えられなかったかも。。。
素敵な病院のスタッフに巡り合えて本当にラッキーでしたね。
沢山の優しさを受け取られたようで。
でももう一つ、肉眼で見えない人?というか存在から愛をもらっているので、その愛を、今度は肉体を持った方々に残すところなく。。。
瀕死状態の時、トンネルを抜けたすご~く綺麗な所で、優しそうな初老の女性に「帰りなさい」って教えてもらって、おじいさんが死にいく私の身代わりを申し出てくれて、数人がトンネルの向こうから私が戻れるように道案内をしてくれて。
そんな沢山の人の優しさで、瀕死から急遽カムバックで突如元気になりました!!
お医者様から「何かした?」「なにか宗教かしているの?」とビックリされてしまいましたが。
私は何の宗教も信仰していないし、何もしていないけど、肉体のない人は何かをしてくれたようです。
そういう人達が毎日のように側にいて、本当に本当に優しくしてくれるので、その恩返しに「心を綺麗にして、頂いた優しさや愛を肉体を持つ人に全て引き渡す」事が大切みたいです。
そうしても減らないどころか、ますます日々の中でおっちょこちょいの私をサポートのしてくれて。。。ますます申し訳なく思い、その優しさを人に渡します。
人生ってその循環かもしれないな~と思ったりします。
本当にものすごくわかりやすい方法で、色々と頭が下がるほど気にしてくれている、肉体のない人達が側にいるのがわかるようになりますよ。
全然難しくないので、コミュニケーションをとってみてください。
絶対出来ますよ
>でももう一つ、肉眼で見えない人?というか存在から愛をもらっているので、その愛を、今度は肉体を持った方々に残すところなく。。。
私は、そういう存在を感じ取る感受性は今、もっていませんが、今回の病気で何か目に見えない存在にこのような機会を与えられたという感じは強くもっています。
まず妻のおかげで発見が早かったこと、それで麻痺が軽かったこと、時期的に職場への迷惑が最小限で済んだことなどです。他にも思い当たることがいくつかあり、あまりにどんぴしゃりな感じがしています。
時期的なことでいうと、学期末で授業に2時間しか穴をあけず、期末の成績処理はほどんと病院でできたこと、その後は夏休みに入り、心置きなくリハビリに励めること、8月31日まで病欠という診断書がで、2学期からは職場に復帰できそうなことです。
ということで、だらしない私に、もっとしっかり生きよと、何者かがいちばんいい時期にもう一度チャンスをくれたのだと思わざるを得ないのです。
>瀕死状態の時、トンネルを抜けたすご~く綺麗な所で、優しそうな初老の女性に「帰りなさい」って教えてもらって、おじいさんが死にいく私の身代わりを申し出てくれて、数人がトンネルの向こうから私が戻れるように道案内をしてくれて。
そんな沢山の人の優しさで、瀕死から急遽カムバックで突如元気になりました!!
モモさんは、単に体外離脱しただけでなく、とても深い臨死体験をなさっていたのですね。興味深く読ませていただきました。
>本当にものすごくわかりやすい方法で、色々と頭が下がるほど気にしてくれている、肉体のない人達が側にいるのがわかるようになりますよ。
私は今、そういう存在を感じ取ることはできませんが、感じ取るようになりたいです。少なくとも、こちらからいつも感謝の言葉を投げかけていきたいです。
ところでお願いがあるのですが、モモさんのコメント、少しでも多くの方に読んでもらいたいので、ブログの本文の方に再録してもいいでしょうか。もちろんご承諾があればの話ですが。
私もそう思ってたし、願望や興味すらありませんでした。
でも
例1 軽い山歩きをしてた夕方、完全に道に迷い、誰も冗談も出ない程ビビってまた。すると突然女の人に出会ったので下山の道を聞くと、その女性の立っている道だと教えてくれました。すごく怪しい感じのけもの道でしたが、無事帰れました。
例2 バスターミナルでipodを拾い、返してあげようと天使の心になりましたが、派出所が遠いのに気が付いて「めんどくさ」と悪魔になった、その瞬間、目の前で携帯を落としサッサと気がつかず歩いていた女性に、男性がそれを拾って渡しました。その女性のすごく嬉しそうな顔を見たので、私も頑張って派出所に届けました。
例3 ある物が必要で急遽スーパーの行ったのに、他のものに気を取られて完全に忘れてました。そしたら隣にいた女の人が突然「◯◯買わなきゃ」とその商品名を言ったので私も無事買えました。
こんな感じです。お告げとかの言葉じゃないですが、キャッチボールの様な感じで助けてくれたりするんです。日に何度もあったりします。
絶対みんなにもそういう経験はあるはずですよ。
そんな時、お礼と綺麗な心になる誓いを立てます。
それとこんな体験が人様の役に立つなら、どうぞ使ってください。
私だけの物にしていたら勿体無いですから。
奥さんが早く見つけてくださって良かったですね。でも偶然って無いんですよ!!
なるほど、そのような形でのやりとりが日々何度もあるということですね。
思えば、私の今回の脳梗塞そのものが私にとっても何かの計らいで起こされたと思わざるを得ません。ほとんど後遺症が残らない形で、しかも職場や周囲への迷惑が最小限の形で、私にこれまでの生き方の反省を迫ってきたと思わざるを得ないのです。そうすると出てくのは、「ありがとございます」という言葉だけです。そして「ありがとうございます」という言葉を繰り返すたびに、これからの生き方への強い想いが出てくるのです。
生活習慣やパターンを変え、魂の浄化や成長ということを第一にする生活への生き方を変えていくことで、このような計らいに応えていこうという想いです。