瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

偉大な探究2

2006年03月26日 | 読書日誌
◆『存在することのシンプルな感覚』より

《要約:続き》わたしたちは、「スピリット」のないところから、「スピリット」のある場所へ移行したいと願う。

しかし、「スピリット」のない場所はない。いかなる場所にも「スピリット」は完全に輝いている。あらゆる種類の探究は、まったく役に立たない。偉大な探究は、「スピリット」の不在の場所から、それが充満する場所へと移行しなければ、という誤った前提を強化してしまう。しかし、「スピリット」が不在の場所などない。

「スピリット」の偉大な探究は、単なる衝動であり、それが現在における「スピリット」への目覚めを妨害する。「偉大な探究」は、分離した自己の感覚の核に隠された、愛のない緊張、収縮であって、やがて救済が訪れるまで、わたしは今のわたしであり続けようという、強い欲求を動かし続ける。探求が偉大であるほど、その興奮が自己の輪郭を形作る。偉大な探究は、現にあるものに対する大いなる敵である。p353-354(『統合心理学への道』より)

このテーマは、これまにでも何度も語られてきた。にもかかわらず、ウィルバーは、修行や瞑想を否定しているわけではない。それは何故だろうか。追って見ていく。

心理療法家に胸倉をつかまれるわたしの夢も、ウィルバーのこうした記述に影響されているのだろうか。

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