三連休で皆さん遠慮されているせいか電話は多くかかってこないのですが(僕は平常運転)、メールではシビアな相談は続きます。初期被曝が避けられていても、最近、心臓に違和感があり、心電図をとってみたら、若い女性でも不整脈が出る話などを伺っています。今年になってから、シビアな気分が、増している人も多いのだろうなとは思っています。
そういえば、台湾などの太陰暦などの国では、きょうが正月です。僕も更に気を引き締めたいと思っています。
「捕獲したイノシシなどを食用として有効活用するため、君津市が準備を進めてきた加工処理施設の開設記念式典が11日に行われる。昨年7月に完成し、10月には稼働許可を得ていたが、イノシシの肉から基準値を超える放射性セシウムが検出され、式典が延び延びとなっていた。今年1月に出荷制限が緩和されたことで、稼働を前に施設をお披露目し、イノシシ肉の特産化を目指す。」東京新聞に上記の記事が出ていました。http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20130208/CK2013020802000133.html
こんなことは、僕のブログの読者には常識なのですが、チェルノブイリの際に、ドイツで、キノコ、ベリー系統などの山に生えているものと並んで、山の幸を食べ続けている、イノシシやシカの肉が高濃度に汚染されていて危険だというのは、常識となっている話です。ドイツのWBCで今も、人が高く検出されるのは、この類のものを食す人々なのです。
しかも、こうした放射性物質の蓄積は時間が経過すれば経過するほど、どんどんたまることは明らかで、まだ二年しか経過していないこの時期では、更なる蓄積が進むと考えるのは、普通の感覚です。しかも、鶏や豚、牛となどの家畜のように、与える餌を汚染されていないものを取らせることで、放射性物質の蓄積を防いでいるものならまだ話は分かりますが、山の獣にそんなことは適用不可能です。何をそれらが食べ続けているのか分からない。それを前提にいろんなことを考えていくしかありません。そうすると、とりあえず、極力、汚染地では食べないようにするしかありません。
完全にハイリスクが存在するので、回避するしか、リスクコントロールの観点からは、考え方がないという話です。ふつうにリスクということを思考したら、当たり前にわかる話です。
獣害で捕獲しても、食肉加工して流通させようという感覚自体、在り得ない話です。
しかし、こうしたことを組合がすすめて、君津市がGOを出している。これは、そうした獣肉が一般でない特定の人にしか流通しなくて、大きなリスクとなり得なかったのを、敢えてハイリスクにしようとしている話にしか見えません。しかも、そこには、コストを賭けて施設を作ったから、なんとかしたいという金銭事情しか見えない。
リスクコントロールとはおよそ無縁なお話です。
「わたしたちの涙でゆきだるまが溶けた こどもたちのチェルノブイリ」チェルノブイリ支援運動九州編。
チェルノブイリ事故後の子どもたちの作文集で、僕のブログ記事で前にもご紹介しました。ただし、ほぼ絶版で手に入らないため、努力された方が、ネットにデータを上げています。ここにアクセスされると、この本の全貌が分かります。チェルノブイリで、1人1人のこどもたちがどのように思い考えたのか、読まれていない方は是非読んでください。
⇒http://yukidarumanonamida.blog.fc2.com/
下記のようなお話が五十話掲載されています。
チェルノブイリの話を確認するだけでなく、読み直すと、ご自身や身のまわりでおきている身体症状にシンクロする話もあるような場合も想定することなのかもしれません。
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「小麦の種をまくのが夢だ」 アレクセイ・ヒリコ(男)
ジリチ村 キーロフ地区
不幸は巨大な鳥のように黒い翼をこの土地の上に広げ、次の犠牲者を探している。僕は最近までは、新聞やテレビや、そして母や祖母や先生の語る悲しい話からチェルノブイリの悲劇について知るだけだった。
ここジリチはとても美しいところである。ここにはブルゴク領主の旧屋敷が、17世紀の記念建造物として残っている。村は巨大な菩提樹の古木や、堂々としたカシの木や、魔法使いのようなカエデの並木に囲まれている。ソフホーズの公園には、木の葉が騒がしく音を立てている。村では春になると明るいピンクの花が辺りに咲き乱れ、いい香りでいっぱいになる。花々は人々を喜ばせ、楽しませる。ここでは、夏はもっと美しい。小さなドバスナ川が、心地よい音を立てて僕たちのそばを流れている。僕はその川のひんやりと住んだ水で泳ぎ、川辺で日光浴をし、友だちと遊ぶのが大好きだ。特に洗礼者ヨハネ祭の日はとても楽しい。草原には大きな火がたかれ、少女たちは川面に花輪を流し、おばあさんたちは心のこもった歌を歌う。
僕には父、母、兄弟姉妹がいる。僕はみんなが大好きだ。一番下のレーナが生まれたのは1993年の夏だった。彼女はとてもきれいで可愛い女の子だった。僕はよくレーナと遊び、彼女の子守りをした。だが、レーナは死んでしまった。まだ、たったの生後5か月だった。
僕の家には不幸が居着いてしまった。父と兄たちの目は悲しみに染まってしまった。母が苦しみをこらえ、僕たちに涙を見せないようにしているのを見ると僕はたまらなくなる。母は穏やかで優しく、働き者だった。以前は楽天的で明るく、僕たちに冗談ばかり言っていた。
僕には分かっている。僕たちの不幸の原因はチェルノブイリだ。レーナの病気は脳水腫だと、母はボブイスクの病院で告げられた。僕たちはレーナのために小さな墓を作り、そのそばにモミの木を植えた。僕たちは度々そこへ行き、僕たちが彼女のことでいかに苦しんだか、そして、彼女をいかに愛しているかを話すのだ。
最近、僕の学校で健康診断が行われた。僕も検診を受け、甲状腺に異常があるといわれた。医療相談を受けるためにモギリョフの病院に送られた。健康診断の結果は正しかった。甲状腺肥大の第二期だった。何人かの友だちは第三期だと診断された。僕はよく頭痛がする。目も悪くなり、眼鏡をかけることになった。放射能の影響を低くするために、クルミ、オレンジ、バナナ、パイナップルなど外国の果物をとるように言われる。でも、そんなものがどこで手に入れられるというのか。
2年前、僕たちのクラスは療養のためクリミヤに行った。僕はそこが大変気に入り、みんな目に見えて元気になった。今はもう、クリミヤへの旅行もない。療養所の利用券が手に入らないそうだ。いろんな困難があることは分かる。しかしただ一つ理解できないのは、なぜ僕たち子どもが一番苦しまなければならないのか、ということだ。
僕は生きて学校を卒業したら、すでに2人の兄が通っているコルホーズの技術学校に入学したいと思っている。僕は農学者になってこの土地と運命を共にしたい。僕はこの広い大地を治療し、小麦の種をまくことを夢見ている。僕は社会に必要な人間になり、多くの苦しみを見てきたベラルーシのために働きたいと思っている。でも一体、僕の夢は実現するのだろうか。
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僕のメールアドレスnagaikenji20070927@yahoo.co.jp
健康被害と思われる症状が急増、深刻化しています。
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事故発生当時の行動記録や数値データなどを細かく教えてください。問い合わせの内容も書いてください。 健康被害の状態を皆で共有化し、事態の推移をあきらかにしていく作業が最も必要です。
「関東・南東北の被曝エリア(東京全域を含む大半のエリア)にいる皆さんは、放射性物質の少ないエリア、できれば愛知県から西のエリアに、移住するべきです。妊婦、子供、未成年、妊娠可能な女性は優先して移住すべきです。他の皆さんも極力移住してください。被曝から二年近く経過しています。初期被曝は深刻で、慢性被曝の影響がさらに危険です。食物、飲料のみならず、吸気による被曝も軽視できません。回避する方法は限定的です。あなたやあなたの家族の命が何よりも大切です。一刻も早く移住してください。」
甲状腺の検査、甲状腺のエコー検査、さらにふつうの血液検査のうち、 血液像の検査(白血球、特に好中球)や異型リンパ球の確認、大人の女性はサイログロブリンの 数値も確認した方が良いと思います。