名古屋北部青年ユニオン  2012/8/13~

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三井住友ソウル支店で部下にセクハラした日本人行員を傷害容疑で起訴

2015-10-10 | 労働ニュース
三井住友ソウル支店で部下にセクハラした日本人行員を傷害容疑で起訴
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従業員を殺害容疑 社長ら逮捕

2015-10-10 | 労働ニュース
16年前、田川市で建設作業員の当時20代の男性を川に突き落として殺害したとして、勤務先の建設会社の社長ら3人が殺人の疑いで警察に逮捕されました。
逮捕されたのは、▼嘉麻市の建設会社社長、井手口信次容疑者(52)と、従業員だった▼広島市の山元茂容疑者(42)と▼飯塚市の当時19歳の元少年です。
警察の調べによりますと、3人は、16年前、田川市で、建設作業員の神浦太志さんを川に突き落として溺れさせ殺害したとして、殺人の疑いがもたれています。
警察によりますと、去年11月、川からおよそ10キロ離れた川崎町の池に神浦さんの遺体があるという情報を得て警察が捜索していたところ、ことし4月中旬、池から白骨化した遺体が見つかり、DNA鑑定などの結果、神浦さんと確認されたということです。
警察は、3人が容疑を認めているかどうか明らかにしていません。
警察は、会社内で神浦さんが日常的に暴力を受けていた疑

従業員を殺害容疑 社長ら逮捕
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もう一つの女工哀史再び 発刊35年、岩波文庫に収録

2015-10-10 | 労働ニュース
大正期の紡績工場を描いたルポルタージュ「女工哀史」。筆者の細井和喜蔵(わきぞう)には内縁の妻、高井としをがいた。岐阜県出身の女性の半生をまとめた「わたしの『女工哀史』」が、発刊35年になる今年、岩波文庫に収録された。貧しさの中で働き続け、労働運動に尽くした生き様は今も語り継がれる。
としをは1902年に生まれ、10歳で岐阜・大垣の紡績工場に働きに出た。各地の工場を転々とし上京、18歳で細井に出会う。

 女工や女中を続けながら、病弱な細井に自らの体験も伝えて執筆を支えた。「女工哀史」は25年7月に発刊されベストセラーになったが、細井は翌月28歳で亡くなる。としをは入籍しておらず、印税を手にすることはなかった。

《女工の実態を何とか世に訴えたいと、一つの目的に結ばれてともに努力していたので、内縁の妻などということは、気にもかけていなかったのです。》(「わたしの『女工哀史』」より、以下も同じ)

 27年に労働運動の活動家だった高井信太郎と入籍したが、高井も終戦翌年に死去。としをは兵庫県伊丹市で、日給240円で「ニコヨン」と呼ばれた失業対策の日雇い労働をして5人の子を育てた。労働組合を立ち上げ、市役所と交渉し賃上げや健康保険の加入などを実現させた。

《私の一生は、女工哀史とニコヨン哀史の連続でした。なかでもニコヨン生活の二十年は、働いても働いても、食わなんだり食わなんだりの生活で、(中略)だから労働組合をつくり、団結して助けあい、生活を守りぬいたのでした。》

 「わたしの『女工哀史』」は80年に草土文化(東京)から発刊。きっかけは、当時の聖徳学園女子短大の教員と学生らでつくる「現代女性史研究会」の聞き書き調査だった。

 メンバーだった大津市の福田ひとみさん(64)もかつて愛知県一宮市の紡績工場で働き、寮から短大に通った。聞き書き調査でとしをを訪ねたころを思い出す。「プライバシーがないのはとしをさんのころと変わっていないと思った。私も寮で6人が10畳1部屋に入り、私物は鍵のかからないタンスにしまっていた」

もう一つの女工哀史再び 発刊35年、岩波文庫に収録
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沖縄の最低賃金きょうから693円 「県内11%、5万人強は未満」

2015-10-10 | 労働ニュース
沖縄の最低賃金きょうから693円 「県内11%、5万人強は未満」
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ノーベル平和賞4団体、民主化前進へ期待 「チュニジアの春」に貢献

2015-10-10 | 労働ニュース
【カイロ=大内清】ノーベル平和賞受賞が決まったチュニジアの「国民対話カルテット」は、同国最大の労働組合「チュニジア労働総同盟」(UGTT)など4団体からなる。2011年1月のベンアリ政権崩壊後の混乱期に政治勢力間の対話を仲介し、他のアラブ諸国がいわゆる「アラブの春」で不安定化する中で、比較的平和的な政権移行を達成する原動力となった。

 チュニジアでは11年1月、露天商だった青年の焼身自殺を契機とする大規模な民衆デモで、23年に及んだベンアリ政権が崩壊した。「ジャスミン革命」と呼ばれたこの政変には、UGTTなど労組の動員力も大きな役割を果たした。


ノーベル平和賞4団体、民主化前進へ期待 「チュニジアの春」に貢献
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