自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

母を送る最後の朝と雑学

2023年05月25日 | なかま道志ベース

5月21日 いつもの朝を迎えました。先ずはお線香を立て仏壇に向かっておはようございますのご挨拶です。

母は我が家での最後の朝食になりました。昨日は四十九日法要が菩提寺で営まれます。

私にとっては75年間お世話になったお別れの朝でした。

四十九日前は霊であり、法要後は仏さまになります。

骨壺や白木の位牌と新らたにお作りした位牌、お写真を運びだしました。運転は次男坊です。私は助手席に座りお骨を持ちました。後部座席には女房が白木のお位牌とお写真を持って座ります。

私の妹には新しいお位牌を抱えていただき、後部にはお花やお供物などを乗せました。

菩提寺に着き、その後姉さまたちも到着し四十九日の法要がは会式されました。

読経を終えて住職からの思い出話しなどがありました。

そして納骨式です。

石屋さんがすでにカロートの石蓋を開けていました。カロートとは遺骨を納め、墓石を支える空間のことです。外からは見えないのですが、お墓の中でとても大切な場所とされています。

お墓のカロートとは | 墓石部分名称 | 三和石材株式会社

カロートは骨壺を保存する内部のことです。

住職がお経を唱えます。菩提寺は日蓮宗ですので「南無妙法蓮華経」です。

骨壺には享年100歳。父は83歳となっています。本来は享年は数え年ですので、母は102歳になります。

「享年(きょうねん)」とは、天から享(う)けた年数という意味で、数え年で考えます。
「行年(ぎょうねん)」とは、この世に生まれて何歳まで修行したかを意味する満年齢です。

私たちが日常的に使用しているのは満年齢のほうで、生まれた時点を0歳とし、誕生日を迎えるごとに年齢を加算する数え方です。
昔は数え年といって、生まれた時を1歳として1月1日(元旦)に歳を加算する数え方をしていました。

カロートの石蓋を閉じ、ご焼香となります。これで納骨式が終了いたしました。

この後、粗飯ですが参加された親族で昼食となりました。

姉さまたちは、その後 高田馬場の菩提寺に行くそうです。

私たちは、新宿を抜けて家に戻りました。

何故か、疲れがどっと出てきました。マサージ機に乗ってうたた寝している私がいます。やはり、いろいろな準備などで疲れていたのでしょう。一先ず、四十九日の法要は無事終えることが出来ました。

雑学です【冷や水をかける】です。

お墓に『水をかけますか?』それとも『水をかけませんか?』そもそもどうしてお墓に水をかける習慣があるのでしょうか?

『お墓にお水をかける』行為と『お墓にお水をかけない』行為はそれぞれ、歴史や地域の習慣によって違います。お寺にお世話になられているかたは、ご住職に聞いてみるのも良いのかも知れません。また、その家の代々の考え方もありますので、ご家族に相談されるのもいいでしょう。どちらが正解というものは無いようです。お墓を建ててそのまま放置するのではなく、お墓に行き、お墓を掃除してキレイな状態に保ち、ご先祖様や故人を思いながら、手を合わせる。という気持ちが大事なのです。日蓮宗はお清めの水として墓石の頭から水をかけています。

『お墓に水をかける』行為は他にも意味があり、亡くなられたかたが仏様になっても喉が渇く為という説もあり、お仏壇にお水を供えるのも、同じような考えといえます。

また、ご先祖様の魂をお呼びするためにお墓に水をかけるという説もあり、その際には1杯、2杯ではなくたっぷりとお墓全体が濡れるくらい水をかけます。これにはたっぷりお水かけてお墓の汚れを洗い清めるという意味も込められています。

一方、地域の慣わしや宗教宗旨宗派による違いがあります。

『お墓にお水をかけない』理由としては、ご先祖様の頭に水をかける行為は侮辱に値するということのようです。簡単にいえば、ご先祖様や故人に対して、『冷や水を浴びせる』ということに繋がるという考えです。また、お水をかけずに、濡れたタオルで拭いてあげるという習慣もあります。直接、お墓に触れる事でよりご先祖様や故人を身近に感じるという意味もあるといわれています。

私は気持ちの問題とおもいます。各宗派のしきたりは、やはり住職からお聞きになった方が良いのでしょう。

【草葉の陰】という意味です。

「草葉の陰(くさばのかげ)」とは、「お墓の下」や「あの世」のことを表す言葉です。他にもいろいろと表現や考え方はあります。

草葉の陰の「草葉」とは、文字通り草の葉のことであり、草が生い茂った場所を表します。後に続く「陰」という言葉には、光が当たらない場所という意味があります。草葉の陰は、「草が生い茂り見えない場所」という意味になることから、墓の下やあの世を表すようになりました。

ここで言いたかったのは、墓石を覆い被さるような木を植えては良くないと言うことです。植えても良いのですが、刈り込んだり手入れすることが必要なのです。草ぼうぼうではお墓はお参りしていない証に思われても致し方ありません。

お彼岸などの機会に、お参りした時にを清掃することによって、自分の気持ちも清められるかと思います。雑学でした。

 

Hiro