私はもう30年以上前から、新聞の挿絵の切り抜きをしていました。スクラップブックも大量になり、決断して断捨離(すべて処分)することにいたしました。
何十冊もあったスクラップブックです。先日から切り取るのは止めましたが、なんか断捨離するって淋しさもあります。
そんな記事の中で、これはと思う新聞が挟んでありました。読売新聞1994年(平成6年)3月28日(月)のものです。
まさに、私たちの生まれ育った理想の生活環境かも知れません。お父さんが食事の準備をしています。ニュータウンや団地族が多く進出?した時代です。今では団地は建替えられ、ユータウンは買取りですので売るに売れず、子どもたちは他で暮らし、残るは高齢者ばかりになって、また過疎化したところも東京近郊であります。
私の祖父母は明治生まれです。今では明治生まれの方は祖父母くらいの時代です。家督相続した者が絶対的な存在でした。
老いては子に従えですかね。
大正時代です。妻も家族と一緒に食卓を囲むようになった時代です。まだ男尊女卑の時代だったかも知れません。
今では逆転しているように感じます。
大正生まれの方はもう95歳を過ぎていますので、少ない人口比だと思います。先日大正11年生まれの母も100歳5カ月で他界したばかりです。この100年間にはいろいろと経験したことでしょう。
関東大震災や太平洋戦争もありました。古い家に行くと戦争で亡くなられた方の遺影が鴨居に並べられていました。
田舎(女房の実家)ではこのような一家が集まっての団らんだったのでしょう。
女房の親父さんもポッポ屋やさんで、機関区で汽車の整備をしていました。
私は戦後生まれの団塊の世代です。
水洗化した家やごみ収集もほとんどなく、おあい(便所)やごみなどは家庭内で処分していたくらいです。
小学校時代です。中学は一学年で13クラスありました。おそらく、拙ブログをご笑覧いただいている方々も同年配?だと思います。みなさんこんな経験を思い浮かべるかと思います。
その後、バブル期もあいまって高度経済成長となり、田舎の両親を置いて核家族化となりました。切り抜きには「まだ妻が夫に従う・家族もミニサイズとあります。」この少し以前はほとんどが狭い家に家族が川の字になって暮らしていた時代です。これを見た外国の方が、日本の家屋はウサギ小屋みたいだと言われた時代です。
早く、自分の部屋が欲しいと思っていました。
まだ、こんな家に住んでいます。それでもキッチンや居間、寝室などは床暖房になっています。
昭和48年に結婚し、50年経ちました。子どもたちもそれぞれの道を歩んでいます。
やっと自分の部屋も出来て、パソコンも買い求めました。初めて買ったパソコンはアップルのブラックマックでした。データーの容量も少なく、ほとんど飾り物です。
考えて見ると、現在は部屋数が多すぎて困るくらいです。本宅・実家・別荘と3軒を管理することになっています。別荘はいつでも処分できますが・・・。これが今の悩みかも知れません。
現在の私は無職であり、(少しある福祉団体の評議員は仰せつかっていますが)年金受給者です。これが現状です。
やがて、家族の変遷としては、夫婦二人生活から、介護施設にお世話になるころでしょう。認知症で家族の世話をかけたりするかも知れません。
昔は、認知症があったのでしょうかね?しかし、若いお兄さんやお姉さんにお世話になる時が来るのでしょう。夫婦どちらが先か分かりませんが・・・。そのお世話になる蓄えも必要です。
医者通いも多くなります。貯金は増えませんが、診察券と体重が増えてきました。
この時期が、夫婦と子どもたちにもあるかも知れません。子ども世話になることは考えていません・・・。
こんな本を読みたくなる年齢です。近未来の出来事になると思います。
家族(私)の居場所がこのようなところになるのでしょう。
いろいろな施設がありますが、逆に以前 役職など幹部となった方は、その状況や立場を思い出しては施設に対して威張る方も多いとか、特に公務員とか教員に多いようです。
家族の変遷を垣間見たような気もいたします。ちゃぶ台に丸座になって囲み、お茶を飲み、みかんを食べたり、また反抗期があったり、ニューファミリーが出現し、核家族になり、夫婦二人(次男坊はいますけど)になり、愛好していた競技ダンスも体力とコロナ禍の影響で遠ざかり、いつか最後は一人になる日が来るのでしょう。
「お父さん」って頼もしい!!なんて言われたこともありません。
しかし、いつかすれば施設のお世話になって、可愛いお姉ちゃんに世話してもらうことを考えると、それも有りだな?!と感じる今日この頃になってきました。
*一部の画像はネットや広告から引用させていただいています。お許しを!
Hiro