ナカナカピエロ おきらくごくらく

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スペシャリスト

2011-08-08 22:12:25 | 日記
スペシャリスト

最後はこれで締めくくろうと思う。

ナチスドイツのヒトラーに従ったナンバー2の男、ユダヤ人のホロコーストを実質的に指揮したアドルフ・アイヒマンの裁判である。

彼は戦犯として裁判にかけられ、罪の呵責などまるで感じず、私は命令に従って実行したまで、実行しなければ私が殺されると訴え、無罪を主張する。一体この彼の訴えをどう思うだろうか。彼について考えてほしい。情報はインターネットで調べられるはずだ。

無自覚、無責任、無道徳、そして事務処理能力に異常に長け、正確無比に実行した男。

仕事は言われた通りにやればよいと思っている人は、いないだろうか。仕事の主旨と内容を、またその影響がどうなるかを、自ら理解してやっているだろうか。我々は社会人なのだ。社会的責任を全うする義務がある。第二、第三のアイヒマンはあなたのすぐ傍にいる人かもしれない。

後記
結構お疲れモード。頑張りました。初めて自分で自分をほめたいと思います。(By 有森裕子)
しばらくは、おきらくごくらくモードでやります。。。
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シンドラーのリスト

2011-08-08 21:46:14 | 日記
シンドラーのリスト

スティーヴン・スピルバーグ監督作品。
シンドラーのリストは涙なしには見られなかった。

第二次世界大戦時のナチス・ドイツによるユダヤ人の虐殺の中、ドイツ人実業家シンドラーが多くのユダヤ人の命を救った実話である。

物語はゆっくりと始まる。次第にナチスのユダヤ人に対する差別が始まる。ユダヤ人への差別はエスカレートしていき、シンドラーの工場で働いた老人が一発の銃声でナチスの憲兵に殺される。私は映画を見ていた時、ひどい、っと思わず声を出してしまった。

それを契機に次から次へと、まるで塵のように多くの人々が虐殺されていく。こんなひどいことがあっていいものか。私の涙は次々と頬をつたって落ちていき止めることはできなかった。

子供と母親は引き離され、強引にアウシュビッツへ。女性の髪は剃られ、そして毒ガスのシャワーに入れられる。怯える人々。

シンドラーは人命獲得に奔走する。経営度外視で、かつての仲間の名前をタイプライターで打ち込み、求人を要求する。

そして戦争が終わった時、ナチスの党員だったシンドラーは、逆に追われる身となる。しかし工場で働いていた人々から感謝の言葉を受け、シンドラーは泣き崩れる。私はもっと人を救えたはずだ、私は何と愚かな人間だったろうと。

映画のラストは、実際に助けられ生き残った本人、またその親族が、シンドラーの墓を訪れ、一本一本花を手向ける。

その姿を見て、もう二度と同じ過ちは犯してはいけないのだと痛切に思う。絶対に犯してはいけないのだ。

追記
後続を予定していた2つのブログは割愛する。私は語らない。ぜひ、あなた自身で手にとり、あなた自身の目で見てほしい。

一つは、アンネ・フランクの日記。
ユダヤ人でじっと家の隠れ部屋に身を隠すが、ナチスの憲兵に見つかり、アウシュビッツに送られる。髪を切られた少女の気持ちは。。。

二つ目は、アドルフに告ぐ
これは手塚治の漫画。甥っ子にも読ませた。ドイツ人とユダヤ人である二人のアドルフの少年の頃の友情が、第二次世界大戦を迎え、憎しみあうという壮絶な運命を追う。
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ヨーロッパ・ヨーロッパ

2011-08-08 21:32:16 | 日記
ヨーロッパ・ヨーロッパ

この映画は昔関内アカデミーという小さいシネマハウスでみた。今はもうない。映画館も他の施設と同じように文化資産のうちに入れてほしいものだ。

ヨーロッパ・ヨーロッパは、第二次世界大戦時に、ユダヤ人の子供が家族と離れ離れとなり、自分がユダヤ人であることをひた隠しにして、ナチスのユーゲントに入ってしまう。

子供だからと侮ってはいけない。子供ほど、特に優秀な子供にかぎって、従順に隊列に従い、逃亡者を見つけるな否や、高らかに笛を鳴らすものだ。

ユダヤ人は皆戒律で幼くして割礼を行う儀式があるので、体を調べられたら一巻の終わりだ。

しかし、あるドイツ人の男性にばれてしまう。男性ははその子供を不敏に思い、思いっきり抱きしめる。

一体、誰がこの子供を攻められよう。その子供は必至になって生きる術を得ようとしたのだ。戦争はいつでも一番弱いものから全てを奪っていく。その全ては大人の責任といっても過言ではないだろう。
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戦場のピアニスト

2011-08-08 21:20:47 | 日記
戦場のピアニスト

この映画に特に思い入れはないが、小休止として入れておこうと思う。ここを境にベトナム戦争からヨーロッパを中心とした第二次世界大戦に移る。

第二次世界大戦前後、ドイツでピアニストを生業としたユダヤ人の話である。ナチスドイツが台頭するにつれ、ユダヤ人は迫害されていく。ユダヤ人居住地区ゲットーができ、その後、ユダヤ人は大きな収容所へと移される。しかしピアニストである彼は、一人抜け出し、戦地にとどまる。砲撃を受け瓦礫となった家を見つからないように、食べ物を探しながら隠れ続けるが、ナチスドイツのある将校に見つかってしまう。将校は、彼がピアニストと知ると、瓦礫の中に残ったピアノを弾けと命じ、彼は演奏する。将校は彼を見逃してくれた。戦争が終わり、今度は逆の立場となった将校が、ピアニストを助けたことを告白し、助けを請うが聞き入れられなかった。

彼がもしピアニストでなかったら、どうだろう。もし仮に彼の立場に私が立たされたら、私は何もできずに、命を請うか、戦いを挑んで逃げるかのどちらかであろう。彼はピアニストとして生きることを神から命じられたのであろう。

それでは、私は何のために神に生かされているのだろうか。
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プラトーン

2011-08-08 21:06:46 | 日記
プラトーン

ベトナム戦争を題材としたオリバーストーン監督の映画である。

印象にあるのは、若い志願兵に二人の全く異なるタイプの指導軍人が、対立的に描かれている場面である。一人は、無頼者で戦場ではなんでもありとマフィアのように振る舞う軍人、もう一人は己の職務とそれに向き合う姿勢を常に検証している誠実な軍人。しかし誠実な軍人は無頼者の軍人に、はからずも殺されてしまう。その二人の指導教官を乗り越えて志願兵は成長していく。しかしある意味、そこが戦場である必然性はない。

思うに米国は常に正義を謳う。自身が行った行動は正しかったと。米国はベトナム戦争でゲリラ戦に手を焼き、枯葉剤を大量に散布した。この行為に言及するものは、やはり誰もいないのか。今でも奇形児が生まれている現実を直視する必要があるのではないか。

米国が発する正義とか聖戦とかいう言葉には正直閉口する。
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ディア・ハンター

2011-08-08 20:56:55 | 日記
ディア・ハンター

これもベトナム戦争の映画。

米国出身の大の親友3人がベトナムの戦地で捕虜となる。そこで現地の敵方の軍人から捕虜にロシアンルーレットを強要される。誰が生き残るのか、皆で賭けをするのである。

親友の一人がロシアンルーレットのテーブルに坐らされる。彼は恐怖のあまり正確に頭に拳銃を突き付けなかった。玉は脳をかすめ、生き残った彼は水に沈められた檻でネズミの餌食となる。

次のターゲットは親友の二人。ロバートデニーロ演じるマイケルとクリストファーウォーケン演じるニックがロシアンルーレットを行う。ここで人生の賭けにでる。マイケルが玉を二発入れるというのである。うまく切り抜ければ、敵方を射殺するに十分の玉数になる。緊張の張りつめた中、二人は死を覚悟し、拳銃の引き金を引く。生か死か。二つの選択に彼らは勝った。残りの玉で敵を銃殺し、脱出する。

マイケルは無事。ニックは行方不明。もう一人は半身不随。戦争は終わった。マイケルは趣味のハンティングを始めるが、ニックのことが気掛かりで、再びベトナムへ。

ニックを探し出したマイケルだが、ニックはロシアンルーレットの賭けの元締めに麻薬漬けにされ、マイケルのことを思い出せない。ニックは数々のロシアンルーレットを潜り抜けてきたラッキーボーイだったのだ。

マイケルはニックを説得するため、再び二人でロシアンルーレットのテーブルにつく。交互に引き金を引くが、途中でニックは悲しげな顔をする。何か思い出そうと苦しんでいるのだ。しかし結局思い出せず、ニックは少し笑って引き金を引いてしまう。ニックの頭からは大量の血が流れ、ニックは遺体になって帰還する。

人間が極限状態に追い込まれた時、人間の精神がどれほど耐えうるだろうか。私は少なくとも耐えられないだろう。
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フル・メタル・ ジャケット

2011-08-08 20:47:37 | 日記
フル・メタル・ ジャケット

スタンリー・キューブリック監督によるベトナム戦争映画である。三部構成となっており、最初の一部と三部が印象的だ。

一部では兵隊訓練でお荷物の太った冴えない訓練兵が指揮官の罵倒に耐えられず、精神的におかしくなり、教官を殺害し、自らの命も立つ。

二部は内容が思い出せない。

三部では、戦場で狙撃兵(スナイパー)に遭遇し、撃ち殺すまで。どんなに遠距離にいても正確無比な狙撃兵には、少しでも体の一部を見せれば、格好の餌食である。何とか狙撃兵のいる建屋まで辿りつき、潜入すると狙撃兵は、現地人の少女だった。その少女が狙撃兵にならざるを得ない程、悲惨な状況なのだろう。もちろん狙撃兵の少女は銃殺される。

スタンリー・キューブリックは、彼独特の映像で映画化するが、この映画は今一つメッセージ性に欠ける。
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地獄の黙示録

2011-08-08 20:33:48 | 日記
地獄の黙示録

地獄の黙示録は、ベトナム戦争に対する大いなる問いかけのみならず、戦争の原点を探っていく、フランシス・コッポラの意欲作である。

ある優秀な指揮官が突如として戦地のはずれに独裁国家を立ち上げる。当局の諜報部隊の経験をもつ主人公は、この元指揮官の殺害を命じられ、小さな哨戒艇で管轄外の地区に赴く。

哨戒艇の乗組員が一人また一人と命を落としていく中で、突如慰問のためのショーが始まったり、テレビ中継されていたりと、あたかも戦争がショウビジネスであるかのようにとらえられている。一方で、最前線の戦地は腐敗しきっており、敵のゲリラ活動に苦戦。正常な精神など保てないことは、もちろん、麻薬に溺れた兵士が続出する。

国家とは何か、戦争とは何か、根底から、その概念から問いただす問題作である。ある意味、哲学的な構図をもつ。

ジム・モリソン擁するドアーズの曲、ジ・エンドがマッチする。
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鎌倉ぼんぼり祭

2011-08-08 00:04:51 | 日記
鎌倉ぼんぼり祭

家族で鎌倉のぼんぼり祭を見に行った。

鶴岡八幡宮で行われる、夏の風物詩だ。そのお祭は、有名人を含む様々な人々の書画を四角い提灯のような”ぼんぼり”にして飾り、夜には中に明かりを灯して、美しい限りの風景を見せてくれる。

ブログにて、忙しく戦争について多くを語った。これでも戦争の一部しかコメントしていないと思っている。戦争という行為の本質をとらえることが急務である。我々は、永遠に閉じられることのない平和と言う輪を追い求めているのかもしれない。それでも忍耐強く、平和を望み続けるのである。これは残された我々の”責任”なのだ。今度は舞台を日本から世界に移して、私なりの戦争の史観を述べたいと思う。

日が明けたら、病院を2つもまわらなければならない。とりあえず、ここで終わりにしようと思う。なるべく早く片づけたい。
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