人間失格
人間失格は太宰治の自伝的小説である。
この本は、私が近代文学へ傾倒せしめた最初の小説である。私は小学校の時から国語が苦手で平均点は取れるものの、他の学科に比べて苦手だった。
中学3年生の時、同じクラスの友達にそのことを話したら、何か本を読めば?と勧められた。そう言えば、本など、ほとんど読まなかったなと気づき、本屋で一番お手軽な、星新一のショートショートを読んでいた。とても面白くて文庫本で当時20冊ぐらい一気に読んだ。その後、赤川次郎を読み、よしそろそろ本格的な文学小説にチャレンジしてみようと思っていた頃だった。
どうせ読むなら暗く重厚な感じの小説がいいと、背表紙が真っ黒なものを探し手にとったのが、新潮文庫の太宰治「人間失格」だった。そこから近代文学のやみつきになった。
何故、近代文学が面白いかを話そう。近頃の小説を批判するわけではないが、内容がすべてが物語になっている。しかしながら、近代文学は私小説的な要素が強い。つまり自分の人生をかけて、妥協のない冷徹なまでの自己分析がなされているのである。私とは、人間とは、人生とは何なのかを外側からではなく、私の内部からさらにその内部に問いかけているのである。精神的に追い詰めるまでの、壮絶な自己分析は、哲学など超えてしまうだろう。「私」を小説の形態をとって、語るのだ。
「人間失格」は、まさに妥協のない「私」の壮絶な自己分析の記録なのである。我々は小説の「私」に自分の「私」を投影してしまう。そこがこの小説の凄いところ。
多感な時期を送る10代後半の少年・少女がもっとも読まれるべき小説と思う。
後記
昨今の異常気象に辟易。何かおかしいよ。何もかもが。。。
人間失格は太宰治の自伝的小説である。
この本は、私が近代文学へ傾倒せしめた最初の小説である。私は小学校の時から国語が苦手で平均点は取れるものの、他の学科に比べて苦手だった。
中学3年生の時、同じクラスの友達にそのことを話したら、何か本を読めば?と勧められた。そう言えば、本など、ほとんど読まなかったなと気づき、本屋で一番お手軽な、星新一のショートショートを読んでいた。とても面白くて文庫本で当時20冊ぐらい一気に読んだ。その後、赤川次郎を読み、よしそろそろ本格的な文学小説にチャレンジしてみようと思っていた頃だった。
どうせ読むなら暗く重厚な感じの小説がいいと、背表紙が真っ黒なものを探し手にとったのが、新潮文庫の太宰治「人間失格」だった。そこから近代文学のやみつきになった。
何故、近代文学が面白いかを話そう。近頃の小説を批判するわけではないが、内容がすべてが物語になっている。しかしながら、近代文学は私小説的な要素が強い。つまり自分の人生をかけて、妥協のない冷徹なまでの自己分析がなされているのである。私とは、人間とは、人生とは何なのかを外側からではなく、私の内部からさらにその内部に問いかけているのである。精神的に追い詰めるまでの、壮絶な自己分析は、哲学など超えてしまうだろう。「私」を小説の形態をとって、語るのだ。
「人間失格」は、まさに妥協のない「私」の壮絶な自己分析の記録なのである。我々は小説の「私」に自分の「私」を投影してしまう。そこがこの小説の凄いところ。
多感な時期を送る10代後半の少年・少女がもっとも読まれるべき小説と思う。
後記
昨今の異常気象に辟易。何かおかしいよ。何もかもが。。。