7~9月にかけて、猛暑と日照り続きの大三島でしたが、
温州みかんの木は、暑さにも負けず、
元気に、たくさんの実をつけてくれてます。
滋賀の友人Sさんからの絵手紙
みかんの木クラフトシリーズ 亥年(干支)のハガキ&写真立て 七曜工房作
9月は、温州みかんの最終摘果の季節です。
7月には、小さくてどの実を摘果するのか、
なかなか見極めが難しかったのですが、
7月の摘果の様子 迷いつつ、小さな実や鈴なりの実をちぎる
9月になると、実も随分大きくなり、
成育不全の実や、大きくても汚い実が、分かり易くなり、
潔く、摘果ができます。
食酢代わりに使う摘果みかん、すぐに収穫籠一杯たまってしまう。
今年は、表年なので、去年とは大違いに,
随分と大胆に威勢よく、ちぎることもできるようです。
みかんの木の下に落した摘果みかん
暑い中の摘果作業、
摘果みかんをほおばると、酸味も甘みもまだまだですが、
乾いた喉には、
ほんのりとしたみかんの香りの甘みと酸味が、とても美味しいです。、
運動会の頃のご馳走、酸っぱい青切りみかんの味はどんなんだったか・・・
剥くと、オレンジ色の実が美味しそうな摘果みかん
きれいな実ばかりを残したみかん畑、
11月末頃には、黄色く色付き、甘くて酸っぱい、
美味しいみかんになってくれるのが、楽しみです。
しかし、しかし
まだまだ、安心できない、台風被害・・
そして、このところ、イノシシ算で増え続けているイノシシ。
過疎化、そして高齢化の、大三島で、
「人間が一所懸命作った農産物で、イノシシをせっせっと育てて
今に、イノシシの方が、人間より、おお(多く)なるわ~」
冗談を言いつつも、みかん農家にとっては、深刻な問題です。
今日は、涼しくて喜んでいたら、
雨の中で、随分と肌寒い摘果作業となりました。
明日は、大山祇神社の
国土安泰、五穀豊穣感謝、海上安全を祈念する、
産須奈大祭(うぶすなたいさい)です。
島中の、祭り一行が、大山祇神社に勢ぞろいします。
さて、わが瀬戸八幡神社の祭り巡行、
準備万端ぬかりなく、整えたはずですが、
今晩、急遽、“雨の場合の祭り”の相談がありそうです。
去年2006年の産須奈大祭の様子はこちらです。
みかんの木クラフトシリーズ 兜パズル 七曜工房作
陸・海・空の動物たち(象、鯨、梟、鳥)をうまく組み合わせると、
大山祇神社に因む兜が、浮かび上がるパズルです。
大山祇神社には、
数々の武将たちが戦勝祈願と戦勝のお礼に奉納した甲冑や鎧兜があり、
国宝の80%を所蔵することで、有名です。
温州みかんの木は、暑さにも負けず、
元気に、たくさんの実をつけてくれてます。
滋賀の友人Sさんからの絵手紙
みかんの木クラフトシリーズ 亥年(干支)のハガキ&写真立て 七曜工房作
9月は、温州みかんの最終摘果の季節です。
7月には、小さくてどの実を摘果するのか、
なかなか見極めが難しかったのですが、
7月の摘果の様子 迷いつつ、小さな実や鈴なりの実をちぎる
9月になると、実も随分大きくなり、
成育不全の実や、大きくても汚い実が、分かり易くなり、
潔く、摘果ができます。
食酢代わりに使う摘果みかん、すぐに収穫籠一杯たまってしまう。
今年は、表年なので、去年とは大違いに,
随分と大胆に威勢よく、ちぎることもできるようです。
みかんの木の下に落した摘果みかん
暑い中の摘果作業、
摘果みかんをほおばると、酸味も甘みもまだまだですが、
乾いた喉には、
ほんのりとしたみかんの香りの甘みと酸味が、とても美味しいです。、
運動会の頃のご馳走、酸っぱい青切りみかんの味はどんなんだったか・・・
剥くと、オレンジ色の実が美味しそうな摘果みかん
きれいな実ばかりを残したみかん畑、
11月末頃には、黄色く色付き、甘くて酸っぱい、
美味しいみかんになってくれるのが、楽しみです。
しかし、しかし
まだまだ、安心できない、台風被害・・
そして、このところ、イノシシ算で増え続けているイノシシ。
過疎化、そして高齢化の、大三島で、
「人間が一所懸命作った農産物で、イノシシをせっせっと育てて
今に、イノシシの方が、人間より、おお(多く)なるわ~」
冗談を言いつつも、みかん農家にとっては、深刻な問題です。
今日は、涼しくて喜んでいたら、
雨の中で、随分と肌寒い摘果作業となりました。
明日は、大山祇神社の
国土安泰、五穀豊穣感謝、海上安全を祈念する、
産須奈大祭(うぶすなたいさい)です。
島中の、祭り一行が、大山祇神社に勢ぞろいします。
さて、わが瀬戸八幡神社の祭り巡行、
準備万端ぬかりなく、整えたはずですが、
今晩、急遽、“雨の場合の祭り”の相談がありそうです。
去年2006年の産須奈大祭の様子はこちらです。
みかんの木クラフトシリーズ 兜パズル 七曜工房作
陸・海・空の動物たち(象、鯨、梟、鳥)をうまく組み合わせると、
大山祇神社に因む兜が、浮かび上がるパズルです。
大山祇神社には、
数々の武将たちが戦勝祈願と戦勝のお礼に奉納した甲冑や鎧兜があり、
国宝の80%を所蔵することで、有名です。
本日は我が家のPCからです。
故郷での魚釣りの記憶は中学、高校時代に学校から帰ってからの時間に、まずエサを掘りは
潮が引いていると波止場の周りに岩が多く、岩をひっくり返すと、ムシ(ごかい)をとりました、
潮が満ちて岩場が海底となると
観音橋の川でミミズをほりエサを調達しました。
当時はフグ、コチ、キス、カラコギが良く釣れていました
時々、浜辺につないである伝馬船を持ち主に了解なしに、勝手に漕ぎ出して本潮まで出て潮の流れに任せ、釣り糸をたれていました。
当時は伯方島栽培漁業センターがタイの稚魚を放流しており、7,8月はタイゴも釣れていました。
夏は潜ってモリでチヌ、タコ、コチをつきました。
子丸子の灯台の潮の早い磯へ行くとサザエ、メバルをついていました。
ウニもありましたが、当時ウニを食べれ、美味しいものとは知らずとげを折って遊んでいました
小学校の5年の時は近所の友達4人と伝馬船を繰り出し
伯方島のエガハマ、能島、宮窪の方まで行き
途中から潮順がわるくなり潮の流れに逆らっての航海で
1人は櫂をこぎ、あと2人は船の底に敷いている板をかき
、1人は船にたまるアカを空き缶でかえだす役で
4人で力を合わせて冒険も経験しました
鼻栗瀬戸と伯方島大島の間の潮流の激しさは
鳴門の潮流、渦潮に匹敵すると思っています
(ちなみに今でも、櫓と櫂はこげます、、)
島の昔話は、そのまま映画の物語になりそうです。
子供の頃、親に内緒で、友達同士で
潮の流れを読み、海が静かな時に、お向かいの大島まで、泳いだという話を、聞いて、驚いたものです。
命がけの冒険ですよね。そんな思い出があるって、ちょっと、羨ましい話でした。
今は橋ができ、陸続きになり、便利になりましたが、
その分、舟に頼っていた、島ならではの、懐かしい、海と密着した生活が失われかもしれませんね。