七曜工房みかん島

18年間の大三島暮らしに区切りをつけ、
滋賀大津湖西で、新たに木のクラフトと笛の工房
七曜工房を楽しみます

芋たきの会

2007年10月30日 | 大三島での生活
午前中、ウコッケイをさばいた後は、
いよいよ、芋たき会の準備です。

集会所横のゲートボール場に、ゴザを敷き、机を並べ
カラオケセットまで、セッティングします。



賄い役の主婦たちは、集会所で、
芋たきとおにぎり作りです。

朝夕の冷え込みとは、打って変わり、
「背中に炬燵背おっとるみたいに、暖かいね」と、喋りながら
円陣を組み、キャリー1杯、山ほどの小芋を、手際よくむいていきます。 



ゴボウ、ニンジン、大根、こんにゃく、ちくわ、などの材料を切り
大鍋2杯に、お替り自由の,新鮮ウコッケイ入りの芋たきを、仕込みます。


米粉で作った、お団子も入れるらしく、
あ~!芋たきは、お月見でしたね。


芋たきも煮えた、3時過ぎ、
みんなが、そろそろと集まりだします。



カラオケのテレビがセッティングされている様子を見て
冗談好きのYさんが 「おう、NHKが来とるんかと思うたわ」 と
会を盛りあげてくれ、嬉しそうです。



どうしても、セットしたカラオケセットの歌手の声が消えず
歌手とのデュエットになるのですが、 

「一緒に、歌やーいいんよ」 
「歌手の声に負けんように大きな声で歌やーいいんよ」
と おおらかです。 


「しばらく歌とっらんから、よう、歌わん」
と尻込みする人には、
「歌手が歌ってくれるんやから、みやすいもんよ」
と、後押しもします、

アルコールも入り、一層盛り上がり、
意外な人が歌う、声の良さに、驚きます。

そして、会も半ば、真打ち登場です。
組でたった一人の、小学生Yちゃんが、獅子を舞ってくれます。
太鼓好きの何人かが、入れ替わり、太鼓を叩きます。

みんな、思わぬ出し物に、大喜びです。
島の人は、獅子舞いや祭りが、好きなんです。
島には、獅子頭を作る人が、何人かいらっしゃって、
青年団が、獅子頭を、借りてきてくれたのです。





夕闇に紛れ、夫が、自作の笛を取り出すと
「おっ、笛吹き童子が、笛持っとるで」 とのせてくれる声が上がり、
練習不足の、途切れ途切れの演奏を披露しました。



すぐに詰まってしまう夫を、カバーしようと、笛演奏に合わせて、
「月の砂漠」を歌ってくださる、Yさんと一緒に 


暗くなり、寒くなっても、芋たき会は、続いていました。



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自給自足 ウコッケイの肉は、本当に、黒かった!

2007年10月29日 | 大三島での生活
我が出走組は、30世帯足らずの組で、
大三島の中でも、中心部より離れた風光明媚な場所にあります。

その出走組の青年団から、
“出走ならではのイベントをやりたい”という声があがり、
“芋炊き会” が、行われることになりました。

が、芋炊き会に先立つ、“プレイベント” が、
青年団の腕のふるいどころでもありました。

というのは、
出走にIターンして、養鶏をされているTさんから、
芋炊き材料として、ウコッケイを提供するという申し出があったのです。

“生きた” オスのウコッケイ9羽です。
    

在りし頃の 雄のウッコケイ。
平飼いの有精卵屋さんだが、多すぎるオスも可愛くて?オス部屋を増築。
 
 さあ~鶏を絞められるか 誰が絞める 

 「首を絞めるって、首を抜く?切る?折る?」
 「首なしで、100メートル走り出した鶏を、昔、見た」
 「羽は、どうして、むしる?」
 「足は切る?」 「どうして、さばく?」 etc・・・
   
 自分で、手塩をかけて、ヒナから育てると
 「絞めるのは気がすすまない」と 心優しいTさん、
 修行時代は、毎日絞めていたので、指導役に。

 たった一人、高校の頃、
 鶏を絞めて、友人達と宴会をした、楽しい思い出のある
 Mちゃんが、「よし、やってみよう!」と、名乗りを上げた。

 すると、恐る恐る
 「死んだ鶏の、羽ならむしれる」
 「さばくくらいは、やれる」
 みんなでやれば、怖くないと、志願者が次々と。
 
 もちろん夫も、自給自足実現に向けての、
 願ってもない、貴重な体験と,、
 青年団に、急遽仲間入りです。
 

朝8時、Tさんの鶏小屋より、みかんキャリーに入れられて、
9羽の、ウコッケイが我が家に到着

大鍋でお湯を薪で沸かし、吊るし台を作り、
建築用の足場台とコンパネでまな板の設定する。



1羽ずつ、みかんキャリーから、鶏を取り出し、足をくくる。



鶏の首を引っ張り、首の関節を抜いて気絶させる?
いや、首が硬くて、簡単には抜けない鶏も。
脚を持つ人、首を引っ張る人、見守る人と
1羽のウコッケイを気絶させるのに、3,4人ががりです。

何とか、気絶したであろう、鶏をまな板の上に寝かせて、
深呼吸して、精神統一して、「南無阿弥陀仏」と唱え
「成仏してくれ」と、しっかりと首を見据えて、いや目をつぶり
「エイ!」と 鉈を振り下ろし、首を落す。

脚を持ち、逆さにして、首から血を抜くのだが。
首がなくても、まだ、暴れるので、収まるのを待つ。

脚を括った紐で、吊るし台にしばらくぶら下げて、血を抜く。




 
大鍋より、一斗缶に熱湯を移し、70度のお湯を作る。
ウコッケイを1分半、お湯の中に沈めておく。



1分半後、引き上げたウコッケイは、茹だってる?



温かいウコッケイの羽むしりです。
もうすっかり、成仏してくれてるはずなんですが、
羽をむしっていた Mちゃん
「えっ、今、鳴いたぞぉ なんか、鳴いたな?」

 
 
お湯につけると、なぜか意外なほど、羽は抜き易くなり
羽が舞って困るのでは、 という心配は皆無。



丁寧に羽を抜くけれど、
細かい羽は抜け切らないので火で、羽を焼ききる。

聞いてはいたが、
ひやあ~ ウコッケイの身は、本当に黒い!



殺気を感じたウッコケイ2羽が逃げ出すという
ハプニングは、あったものの。


隣の空地へ脱走した、2羽を追いかける。


ここまでは、案ずるより産むが易し
手早く、できました。
 
さて、解体開始です。
小学生の理科の時間の「カエルの解剖」さながら
  
 足先を切り落し、
 モモ、手羽と、取り外し
 胸肉をそぎ落し、胸骨をはずす。
 食べれる内臓、食べれない内臓のの腑分けをする。
 心臓、肝臓、砂肝、腸 他)
   
 みんな、真剣そのもの


「あれ~、こりゃあ~メスじゃわ



お腹から、卵まで、出てきました。
まさに、今日生もうとする、卵が、1個コロンと
 

「トサカが大きいから、オスとメスを間違えたらしい」
と、かなりショックな様子のTさん

「商売物を、食べて悪いね。損したね」
と慰めるものの、

産みたて卵ならぬ、産む直前卵を割り、
醤油をかけて、ゴクンと、一飲みする、K君

 「ウ~ン。味が濃い効きそうや
  
本命の、芋炊き用の黒い、ちょっと、不気味な、ウッコケイの味は? 


モモ、ささみ、手羽、骨付き肉、ガラ、皮、ホルモンと分ける。

芋炊きに先立ち
 
はいだ皮も、串に刺し、焼き皮にしたのですが、 
硬くて硬くて、
お裾分けしてもらったハナまでも、困り顔の様子でしたが

新鮮なホルモン焼きのお味見は、役得と
ハツ、レバー、砂肝は、
ウ~ン 全然臭みがなくて、いけました。




撮影班を命ぜられた私は
ウコッケイの首が切り取られるショッキングシーンも、
目をそむけつつ、シャッターを押し続けました。
夫が、「切りとられた首や脚まで撮れ」と命ずるので、
遠くから、離れて、写しました。

なのに、夫は、「ブログアップはならぬ」と、
写真の削除を命じました。

「えっ、貴重な記録じゃないの?
    撮れて言うら、せっかく撮ったのに。それほど、怖くないよ」

切り取った頭や足は、
Tさんが、
鶏泥棒の野犬の罠を仕掛ける為
持ち帰られました。
依頼した罠が届くまで、冷凍庫保存ですって。 
奥さん、きっと、絶対凄く怒るよねぇ~


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やっと、イカが釣れた ♪

2007年10月28日 | 
 「おっ、イカが、釣れとるやないか」
夫は、我が家の前の道路に染み付いたイカ墨を見付け、
点々と並ぶイカ墨の数を数えていた。


堤防に点々と染み付いた イカ墨の跡
 
 釣り人とも、話をしたようで、
 
 「『イカ釣れるか』と、聞くと、 『4つ』と返事しおった。
  4匹と答えへんところが、プロやねえ~」
 
  と、 悔しそうにもしていた。

 我が家の前は、潮の流れが早く、釣りのポイントである。

  休みの日には、釣船が何艘も浮かび、
  突堤には、釣り人が、釣り糸を垂れ
  家の前の道路を、他府県ナンバーの釣り人が、行き来する。


夫は、突堤に釣り人がいると、いつも気になるらしい・・・

   9月中祭り準備の為、秋の夜釣りができなかった夫は、
 
  「昼間は潮が悪いから、釣れんのよ。素人じゃのう。」

  と、憎まれ口を叩いて、ウサを晴らしていた。

  今は、10月の大潮 
  潮時表を眺めていた夫は、

 「よし、釣るぞ。刺身食べたいやろ」
 「満ちこみ3分はチヌ狙い、満潮時はイカや」
 「11時まで釣るわ。夕飯には帰るし、夜は忙しいぞ」
  
  と宣言するや、イワムシ堀りに出かけた。    


まずは、仕事が終わるや、
5時過ぎ頃の満ちこみ3分から、 チヌ狙いが始める。


満ちこみ3分頃


潮が堤防に押し寄せてくるギリギりまで粘る。


25センチと38センチのチヌが2匹


小さなアナゴが2匹
ハナの目と満月が光っている。

 
サメの仲間の ノークリ
背中に点々模様があるのは、刺身にすると美味しい、高級魚

 夕食をはさんで、満潮時は、再び、イカ釣りにでかける。




初めて釣ったイカに
夫は興奮して、写真を撮るように呼びに来た。


釣りだちのイカは、透き通っていて、キレイ
あおりイカであった。

チヌ用のエサのイワムシがなくなるまでの、3日間の夜釣りであった。



、ムッチリとしたノークリ と 甘くてねっとりとしたイカ の刺身

  チヌ飯と初めて釣ったイカの刺身を食べながら、

 「釣りは疲れるわ~。しんどいものやで」

 
 
夫の釣ったアオリイカの墨 べっとりと、沢山である!

「イカ墨が見つかると、イカ釣りのポイントがばれるから、
 明日、洗っといてくれ」

 と冗談めかしていう夫である。

 が・・・・・・・


 もしかして、本気かも・・・・
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家紋 タコ供養~妻から家作り実況版3

2007年10月26日 | 妻から「家作り実況版」
夫は、昆虫少年であった。
幼い頃は、京都の西山を、
捕虫網を振り回して、駆け巡っていたそうだ。

そういえば、高校の九州修学旅行の時、
団体行動なのに、一人捕虫網を掲げ持ち、
友人達から、
「珍しい蝶が、いるんけ?」
と不審がられていた、夫を思い出す。

結婚前の、プレゼントも、アクセサリーではなく
蝶の標本や図鑑であった。 


30年以上経ち、鱗粉もはげて、輝きがなくなったミドリシジミの標本


上下巻の2冊を合本して製本し、表紙をつけたもの。
題名も夫が書いた。

夫にとっては、価値ある、素晴らしいモノだったらしい。


ブックスタンドに飾る 図鑑「野に咲く花」
七曜工房作 ナラ材 オイルフィニシュ仕上げ

 今もって、昆虫オジサンの夫は、

 「無駄な殺生はしたくない」と
 蝶だけでなく、芋虫、クモ、ムカデ にいたるまで
 畑や山で、そして家の中でさえも
 虫などを、 積極的には殺そうとしない。

 そんな夫の態度が、大いに、不可解な私は
 「魚やタコは、一杯殺してるヤン」
 と、責めると、

 「人間が食べる為の殺生はいいのや」

 と、講釈をタレて、弁解する ”釣り好きの夫”である。

 そう言いつつも、

 タコを捕り、海で、頭を裏返して内臓を取る作業には、
 いつも、心が痛むらしく 

 「凄く、タコに、むごたらしいことをしているから、
  もしかしたら、タコの祟りがあるかもしれない」

  と、時々、気弱に呟くことがある。

  タコは、
  8本足が、人間の手足のように動き、
  頭も人間の顔のように、表情がありそうである。

  おまけに、内臓を取り出した後までも、
  足が、クネクネと、動き続け、
  調理の時も、吸盤が、まな板にしっかりと吸い付く。


内臓を取り出した後も、バケツに吸い付くタコ

   タコ獲り仲間のKちゃんも、
   同じ様に後ろめたさを感じているのか、
 
  タコがかかると、狂喜しながらも、

 「昨日、海で溺れた人のお葬式に行ったけれど、
  口がタコのように、とんがっとった。
  タコ捕っとたから、タコの崇りじゃろうか」

  などと、恐怖を分かち合おうとする。
  
  お互い
  常々、タコ獲りを楽しみ、美味しくいただきながら、
  タコへの懺悔の気持ちを持ち続けているようである。


 タコに懺悔しながらも、タコ獲りに興ずる。
 

  そんな夫は
 
 タコへの、感謝、お詫び、そして、供養の思いを込めて、

 新居の朝日の昇る東側の妻に、屋根の破風飾りとして、

 タコの彫り物を掲げることを、思い付いた。



タコの冥福を祈りつつ タコの彫り物を製作中



東妻に飾ったタコの彫り物

 西側の妻飾りには、
 「いつか、釣ってみたい」と願っている
 50センチ大の“チヌ”を彫り始めている。


50センチ大のチヌの彫り物を製作中
 
 こちらは、
 不思議なことに  “チヌ釣り祈願” らしい。


西側妻側の破風に、チヌ祈願のチヌを取り付け中
 
 破風にある妻飾りをみつけて、Hさんが、

 「ホウー、いい家紋が、ついたのう」

  と,誉めてくれた。


タコとチヌの妻飾り ヒノキ材 無塗装

海辺に住む我が家の家紋は、
”タコ“ と ”チヌ“ に 決まりである。


タコと、チヌの家紋を持つ夫 
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スズメバチ に 刺されたら !

2007年10月23日 | 大三島での生活

「痛~い
「スズメバチに刺されたあ~

手グワを放り出すや、夫のところに走っていき、
「痛~い! 痛~い! どうしたらいい?」
「毒、早く、吸い取って」

夫は、スズメバチに刺された私の親指を吸い

「毒を中和するのは、アンモニアか」
「とりあえず、石鹸をつけて、中和して」
 と指示した。


家に走り帰り、石鹸をなすりつける。

その間も、ズキンズキンと痛みはひどくなり、指先が熱くなる。、
血液が、早く大量にドクドクと、流れていくのを感じる。

 「毒を中和したらいいの?アンモニアはないの?そしたら、おっしこかけて」

 「アカン、かえって雑菌がはいる」

 「じゃあ~マムシ薬 塗っとく」
 
 我が家では、市販常備薬は、オロナインだけ、
 
ムカデに刺された時は、マムシ薬を愛用している。

「私、ハチに刺されたの2回目やから、なんか抗原抗体反応とかで、
 ショック死するらしいヨ」

 「お父さんが悪いんやからね。
  『何もしてへんハチを殺すのは、気が勧まん』 とか何とか、理屈つけて
  あの”ハチ”やった。あの時殺せばよかったのに! 私は、犠牲者や!」

  というのも 
 
 大きなスズメバチが、地面をヨタヨタと歩いているのを、
 夫は、直前に、発見しているのである 
 
 「変なハチやな。何で、こいつ飛ばヘンのやろ?」
 
 その時、私が、「殺しとき」 と言うのにも関わらず、
 
 「今に死ぬやろ。ほっといたらいい」 と
 
 見逃したのである。 

 ひたすら、夫に八つ当たりし、罵倒して、痛さを紛らわす。 
 
 夫は、黙って、私の罵倒に耐えながら、マムシ薬を塗ってくれ、
 
慣れぬインターネットを検索してくれた。
 ・まず、落ち着いて、うろたえないこと
    ・ 毒を吸い出さないこと。口の中に傷があると、体内に毒が回って危険。
    ・ アンモニアは、全く効果がない。
    ・ 応急処置は、抗ヒスタミン軟膏を塗って、冷やすこと
    ・ 民間療法では、アロエが効くらしい
 
 「どれも、すぐ医者に行けって、書いてある。
  ムカデより、キツイらしいな。
  気持ち悪くなってへんか?」
 
  少し,落ち着き、
  マムシ薬の上から、アロエを貼ってもらい、氷で手を冷やす。

 「ごめんな。お父さん、毒吸ってしまったやん。大丈夫かな」

  薬箱を探すと、
 有効期限切れであろう 抗ヒスタミン軟膏 が出て来たので、塗る。
 
 「お医者さん行っても,毒を抑える飲み薬とかないの?」
 
 「痛みや痒みを抑える対処方法しかないらしい。
  動くと毒が回るかもしれんから、ゆっくりしとき。
  気持ち悪くなったら言いや」

と,夫は再び、ハーブ畑の草刈リに出かける。

スズメバチがいたハーブ園



 「スズメバチ、見付けたら,殺しといてや」

 氷で冷やす為、タオルでグルグル巻きにしているので、何も出来ない。
 


  実は、 5、6年前、滋賀で、
 車を運転中、ハンドルを握っている指先を、ハチに刺されたことがあった。
 運転中なので、目の前で、指先に止まるハチを追い払うことができなかった。
 
 急遽、「ハチ刺されに、すぐ効く薬をください」と薬局に飛び込みんだが、
 
 「ハチ刺されに効く薬はないので、すぐ医者に行って下さい。
 腫れてくるかもしれませんから」と言われた。
 
 しかし、大三島移住直前で、
 
「これぐらいで、お医者さんに行ってては、田舎暮らしはできない」
と、自分に言いきかせ、
 
それ程、腫れもひどくなかったし、アシナガバチのようだったので、、
虫刺され軟膏(有効期限内)だけで直った記憶がある。
 
 しかし、今度は2回目である。

 インターネットによると、
    『2回目以降のハチ刺されは、
    ハチ毒によるアナフィラキシー・ショックを起し、
   迅速に処置しないと死に至る』 と
 
 夫が、時々、様子を見に戻ってきては、
 「大丈夫か?気分悪くないか」
 「ハチ殺しといた。やっぱり、あのスズメバチやった。復讐しといたで」

 
翌朝、すでにアリの餌食となりつつある、スズメバチ
生きているときは、軍手の指位の太さがあった。(伸びた軍手の指と比較して) 
 
  夜になると、
  グローブのように腫れて大きくなった手は、握ることもできない。
  肘までも、どんどん太くなり、貼れ続けている。
  大きな氷を、3つもつけても、全く冷たさを感じないくらい、
  ジンジンと痛く、熱くなった。

 一晩中、大きな氷で冷やし続けた効果か、
    翌日、腫れもほとんど引き、痛みもほぼなくなり、今度は痒くなった
     とりあえず、アナフィラキシーショックは、起こさなかった。


24時間後の翌日の右手の様子
まだ少し、腫れは残っていて、痛みも残っているが。
 

 ハブ茶も効果があったのかもしれない。
  
今が収穫期のハブ草とハブのサヤの実






 
 島の主婦は、完全防備で、農作業をする。
 帽子、手ぬぐい、手袋、手甲、脚絆と、
 挨拶されても、誰か見分けがつかない。

「いきなり、草むらに手をつ込んだらあかんョ。
 マムシに,噛まれたら、大事(おおごと)じゃからネ」
 
と、いつも注意されている。

そして
「ハチに刺されたら、2回が限度ジャケンネ」
 
 とも、驚かされた。

  マムシでなくて,よかった。よかった。

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シンボルツリー

2007年10月19日 | ハーブ園

トンボはまだ飛んでますか? 


トンボのブローチとイヤリングのセット ケヤキ材 ウルシ塗り 七曜工房作

ようやく、できました ”トンボのイヤリング” です。 

 
5回も重ね塗りしたウルシもようやく乾き、最後の仕上げの、金具付け。    
ここで、材を割ってしまわないように細心の注意を払って


 朝晩の肌寒さは、気持ちの良い秋を飛び越えて、
  いっきに、冬になってしまうのではと心配になります。

だから、もう台風は日本に来襲しないであろうと願い、
浸水対策中の家財道具を床に下ろそうかと迷う、秋です。

サツマイモ、アキナス、ワケギ、ニラ、トウガラシ
夏の名残りの トマト、ピーマン、ゴーヤ
冬野菜の間引き菜の、コマツナ、ホウレンソウ コカブと

我が菜園の "収穫の秋" を存分に楽しんでいます。


サツマイモの収穫 手前は、ナス 


ハクサイ苗は、モンシロチョウが、卵を産みつけるので しっかり防虫ネットをかけてる

そして、3年経ち少しは大きく育った 果樹苗や庭木苗やハーブ苗が
台風被害に遭わなかったことも、嬉しい秋です。


ミモザ セイヨウニンジンボク ペッパーツリー  オリーブ など


2004年の台風16号と18号で、全滅してしまった
我が家の庭木や果樹苗やハーブ苗ですが、


高潮による塩害を受けたにもかかわらず、
我が家の ”シンボルツリー” として、
見事に蘇ってくれた木があります。

一番海岸側にある、クコの垣根と、4本の立派なウバメガシです。

クコの実が食べたくて、クコ茶が飲みたくて、近所の人に苗木をもらい、植えたクコ。
暴れて、暴れて、茂り、トゲがあって痛いので、幾度も刈り込んでしまうので、
なかなか実をつけなかったが、今年は、沢山の実をつけました。


垣根らしくなり、もっと高く仕立てると、
後ろの木々を、冬の突風や波しぶきから守ってくれるかもしれません。 
クコの後ろは、種から育てたビワに接木して2年経ったもの。
夏からずーっと、センニチコウが咲き続けて楽しませてくれてます。


一杯実をつけたクコ 生で食べると とても苦い



ドライにして、お米と一緒に炊けば、五穀米?


転居当時、大きすぎて、海を眺める邪魔になるので
「切ってしまえ!」 という勢いで剪定した、樹齢30年であろうウバメガシ

近所の人が通るたびに、切っている様子を見て、
「もう,そこで切るのやめとき、下枝は、残しておおき」 と注意してくれた。


ウバメガシの木陰が、とても気持ちのいい休憩スペースになっている 

成程、台風時の高潮などの、防風林の大切な役目を果たしていてくれたのです。
今では、「もっともっと、葉っぱを茂らせて、台風から我が家を守ってください」
と、最も、頼りになる、大切な木となっています。 


鳥たちも、沢山葉っぱが茂ると安心なのか、
キツツキ、イソヒヨドリ、メジロ、キジバト、モズなど、
季節ごとに、訪れてくれるようになり、
バードウォチングを楽しませてくれます。

もう一つは、塩害で枯れてしまったけれど、
とても立派であった、アラカシの木
きっと、我が家を台風から守ってくれ、
力尽きて、枯れてしまったのかもしれません。


枯れた樫の木、これもシンボルツリーかも・・・?

もしかしたら蘇るのでは、期待をして残していたら、
枯木のウロに、シジュウガラが、毎春巣作りするので、切りそびれてしまっている。


ウロにいるヒナにエサをやりにくる シジュウガラの親鳥 6月初旬


巣から落ちたヒナ 巣に戻してやったら、ちゃんと育った様子 6月初旬


先住人、地元の人の、台風災害に対する知恵はさすがです。 
今では、初めは大切に思わなかった、
クコとウバメガシが
我が家の ”シンボルツリー” となっています。

もちろん 
オリーブ、ユーカリ・ミモザ・スモークツリー・ブラシノキなど 
”日本の地中海である大三島” ならではの南国の木々が
今に立派になり、我が家の ”シンボルツリー” になってくれるのを、
夢見て、大切に育てているのですが。

畑仕事に、庭仕事に、精の出る、気持ちのいい秋です。 



   安心して、喜んでいたら 
   でも、一応念の為 台風情報  をクリックしたら、
ぎぇ~、熱帯低気圧が発生してる~~~ 
どうぞ、台風に成長しませんように 
   10月の次の大潮は、いつだったか 

  やっぱり、家財道具を床に下ろすの辞めよう。
   秋冬物がどこにあるか、探せなくて、
   とてもとても不便しているけれど・・・

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一人で建てる木組みの家~⑬屋根

2007年10月16日 | 『一人で建てる木組みの家』
1.何故、トタン屋根?

屋根材を何にするかは大いに迷った。

美しさや重厚さ,また耐久性の上では 何と言っても瓦が一番だが、
コスト、耐震性、施工性の点で、選択肢からはずした。
また海岸沿いということで金属も避けた。

残ったのが、コロニアルとアスファルトシングル。
コロニアルは、セメント,ケイ砂、天然パルプ(以前は石綿を使っていた)を固めたもの。
アスファルトシングルは、アスファルトと砂を練り固めたもの。
施工性を比べると、アスファルトシングルは、可塑性があって、断然扱い易い。シロウト向きだ。これにしよう
 
しかし、何か気になる。この島でアスファルトシングルを使っている家があるか。
車で走る度に、気をつけて屋根を見たが、どこにも使われていない。
どうも気候に合わぬようなので、とりやめることにして、コロニアルに変更した。
 
カタログや見本を取り寄せて詳細な検討をしている時に、
知り合いの屋根やさんが言った。

「以前コロニアルを施工した時、野地板がスギ板だったので、
日が経って板が乾燥してくると、収縮がはげしく、
釘止めしたコロニアルがガタガタに動いてしまって、
エラい失敗だった」と。

 コリャ、イカン
 
我が家も野地板は15㎜のスギ板。
合板を張る気はないので、コロニアルもダメだ。
 
では、何にするのか。
錆びの点が気になって避けた金属を再考することに。
寺や神社に使われている銅版なら良さそうだが。
だがコストが非常にかかるし、金属加工がどうも難しそうだ。

色んな本を探して浮かび上がったのが、トタン波板だった。
それも今はやりの、ガリバリウム波板だ。

 トタンは,鋼板に亜鉛をメッキしたものだが、
 ガリバリウムは、鋼板にアルミと亜鉛をメッキしたもので、
 耐久性はトタン板の3~6倍あるそうだ。
 トタン板の耐久性を5年(海岸地域で)とすれば、
 ガリバリウム鋼板は15~30年ということになり、結構な耐久性だ。
 またコストが安く、波板なら、平板と違って、
 そのまま釘止めするだけで良く、施工性はとても簡単だ。
 
ただし、波板は雨の音や太陽の熱がまともだ。
そのため、野地板を2重にして、空気層を設け遮音と遮熱をはかることにした。

「これで、屋根は完璧だ」と思った時、妻が言った。

 「トタン板なんて、みすぼらしいわあー。
 ニワトリ小屋や豚小屋の屋根と一緒やん。
 前は、コロニアルにすると言うたやん。
 トタンなんて、絶対にイヤ!」
 
確かに、トタン屋根は仮小屋や動物小屋に使われていて、
台風や大風で吹き飛んだり、めくれ上ったりして、
とてもみすぼらしく、見苦しいものだという印象が強い。

ある知人は、
 「京都の景観作りに関わった者なら、
仮説イメージの強いトタン屋根は止めて、ぜひ瓦にするべきだ」
 と言った。

 近所の人は、
 「瓦は載せんのかねぇ。菊間の瓦は焼きしまっていて最高よ」と言う。
 また、「柱や梁は太くて立派じゃが、なんでトタン屋根なんじゃろうね」 とも。

 妻に限らず、多くの人が、今もってトタン屋根に反対である。
 それでも、トタン屋根は出来上がった。張り上がった。

 ガリバリウム波板は、白銀に輝きとてもキレイだと思った。
 
 ある人が
 「隣の島へ渡る橋の上から、白く光る屋根が、よく見えた」 
 と言ってくれた時はとても嬉しかった。


非難ゴウゴウのトタン屋根を張り終えたのは、
コモンマローが満開の6月1日

2.アスファルトルーフィングを敷く
 
屋根の片面の野地板を張り終えてから、アスファルトルーフィングを先に張った。
早く雨よけをしたかった。
残りの片面の野地板を張り終えてから、
同じくアスファルトルーフィングを張った時には、本当にホットした。
これで、雨の心配がなくなる。


2006年5月23日 アスファルトルーフィング張り、南面がもうすぐ完了

ルーフィングは、少し厚めのものを購入。
ロール状のルーフィングはズシリと重く、屋根へ持ち上げて敷くのが思ったより難しい。
じゅうたんを敷くように、真っ平に、敷けるかと思ったが、
敷くうちに辺が伸びてヒダが出来てしまい、
タッカーで止めても凸凹が残ってしまった。


アスファルトルーフィングを、真直ぐに敷くのは難しい

アスファルトに砂を入れて固めたルーフィング材は、
カッターナイフで切ることが出来るが、
一度切ると刃がボロボロになる。
表面はまだにサンドペーパーだ。

この上を歩くのは、野地板の上を歩くより、ずっと楽だ。
滑り止めが効いて歩き易い。
しかし作業手袋は半日で指先に穴があいてしまう。
また膝をついたり、座り込んでの作業なので、
ズボンの膝や尻はすり切れて穴があいてしまった。


2006年5月21日 アスファルトルーフィングの上は、歩き易い

3.ガリバリウム波板を張る。  

波板を張る前に、しっかり基準線を出しておかないと,
真直ぐには張れないようなので、
ルーフィングに墨ツボとチョークで縦横の基準線を書き入れる。
波板は6尺物と7尺もの合わせて114枚。
上から6尺、7尺、7尺と3段張りになる。
縦の重なりは、20㎝、横の重なりは波山が2山半である。
釘は、28㎜のステンレススクリュー傘釘を、多めに打つことにして、
縦は50㎝ピッチで。

 さて問題は、張る順番だ。
屋根の下から張るのか、上から張るのか。
一般的には、重ね合わせのことを考えて、当然下から張っていくものだ。
しかし、屋根勾配がきついので、最下段には足留め材をとりつけておきたいし、
下から張れば2段目3段目は張った波板の上に載って作業をすることになり、
滑り易くて危険だ。
作業の安全性を優先して上から張ることにした。


トタン屋根を上から張り始める

これはやはり張りづらかった。
2段目を1段目の下へ差し込むのが、とても難しい。
波板があまり持ち上がらなかったり、ルーフィングの継ぎ目に当たったりする。
それでも、次の時には差し込み易くするために、釘をあとで打つようにしたりて、なんとか進めることができた。

波板は、横方向には伸び縮みが効くと書いてあったが、
実際には厚みがあったからか、ほとんど融通が効かなかったので、
基準線が大変重要な役目を果たした。

基準線なしでやれば、一度傾けば、どんどん斜めになってしまっただろう。

3段目の最下段を張るときは、
足留め材をはずして、安全ロープをはるこことにした。


トタン屋根張り全景

トタン屋根と言えば、
台風が来れば、必ず吹き飛ばされるものだというイメージがあるので、
釘打ちにはとても気を使う。

釘は、ステンレススクリュー傘釘で抜けにくくなっているが、
野地板に打ちつけるので効き長は板厚の15㎜だけだ。
釘を打っていてスコッと抜ける感じがする時は、
板の継目の節穴にあたった時なので、倍量をずらしてもう一本打つ。
失敗をして何度か釘を抜かなければならない時があったが、大変な力が必要だった。
これなら大丈夫そうだ。
それでも心配なので、重ね部分や端部には、多めに釘を打った。


トタン波板の釘うちの様子

4,棟包み

当初棟包みの意味合いや役割が良く理解できなかった。
またその構造もよく解からなかった。
棟の両側に波板を実際に張ってみてよくわかった。
波板と波板の突きつけ位置にすき間ができる。
それをふさぐものが、棟包みなのだ。目の当たりにして,すべてが理解できた。
とても重要な役割を持つものだ。
構造は至って簡単で、波板の上から下地材を打ち付けて、その上から棟包みをかぶせて、釘止めするだけだ。


棟包み施工途中

棟包みは、ガリバリウム鋼板に塗装した市販品を購入。
屋根の上で見るとボリュームあった棟包みだが、下から見ると細い帯に見えるだけだ。
瓦屋根では、棟瓦を高く積んで、一層屋根を立派に見せる。

銀桟の屋根には、この棟包みがシンプルでよく似合う。


棟包み完成


2006年5月30日 トタン屋根完成


 棟上から屋根のダイジェスト版も、覗いてみてください。
 「堀内さんちの七曜工房」の
 「大三島だより6」と「番外編 銀色の屋根」です

付記 妻・ひろより
 
私は、夫に出来る限りの希望を述べた。

 「ちょっとぐらい合板使ってもいいやん。スレート瓦にしよう」

  しかし、合板を使いたくない。“家の作りは、すべて、ムク材を使う”
という、夫の主張は、揺るぎなかった。

  ガリバリウム鋼板なら、海辺の家でも、錆び難いらしい・・・

  夫が、質実剛健で 合理主義 なのは、充分、知っている。

  夫の屋根材の選択は、
  ガリバリウム鋼板でも、一人で施工できる
  安価な、“波板”しかないようだった。

 しかし、いくら質実剛健主義であっても、
 
トタン屋根を、「心から、銀色に輝いて、美しい」
 と感じているらしい夫は、今もって理解しがたい。

「シンプルで、きれいな、銀色の屋根やなあ~」
「樋を付けたら、見違えるように、よく見えるから」 

 と、妻にも、トタン屋根を美しいと感じるように、強要する。

 そして、建築中の家の中で作業し、古家に戻ってくると

「あっちの家は、全然、雨の音聞こえへんで」 とか

「あれつ、こっちの家のほうが暑いなあ~、
トタン屋根は、涼しいで」
 
と、ことさら、トタン屋根の優位性を、強調する。

  夫に感化され、
 「もしかしたら、シンプルでキレイかな」
 
と トタン屋根を見直すこともある。

 しかし、
 「なんで、トタン屋根にしたんです?」
 「まあ~、そのうち、タンポポハウスのように、草でも生やしたらきれいですよ」
「ペンキでも、塗ればいいですよね」

  と、本気で、慰めてくれる人に出会うと
 
 「う~、やっぱりな」


「一人で建てる木組みの家」のこれまでは、こちらからご覧いただけます。
カテゴリー「一人で建てる木組みの家」からでも、見れます。


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”投網名人” 伝授 です。

2007年10月12日 | 
島暮らしには、色々なことを教えてくれる“名人”がいます。
みかん作り、野菜作り、加工品作り、海のこと、などなど・

魚釣りの好きな夫は、
 "釣り名人"を見つけては、伝授してもらおうと熱心です。

そんな中、元船乗りのAさんは、
季節毎に、なにかと声を掛けては、海遊びに夫を誘ってくれます。
「わしゃあー、船にズッーと乗っとたから、船釣りはもうええんじゃあ」 と、
 海草採り、岩場のサザエ採り、魚釣りに・・・
 地元民のみぞ知る、穴場へと 

70歳は過ぎているAさんですが、実に活動的で、寒さ知らず 
 厳冬の真夜中、「今晩はサザエが一杯とれるんじゃ」
  と夫を誘ってくれたこともありました。
  真っ暗な中、グングンと、足場の悪い岩場を歩いていくAさん、
  「あっ、危ないで」と注意する夫の方が、
   岩につまづき、よろけて危なかったとか {

そんなAさんが、春頃
「もう、脚が痛いから、投網はやらんから、網をやる」と。

そして、投網の投げ方や広げ方も伝授してくれました。
モタモタしている夫より、はるかに、手際よく、パアッ~と網を広げるので、

 「Aさん、まだまだやれるで。投網返そうか」と言っても
 「いや、要らん。持ってたら、やりとうなるから」
  と、固い決心の様子。

しかし、なぜかAさん 
夏頃、真新しい投網を持って、
「投網、一緒にやろう」と誘いにきてくれました。

なんでも、遊びに来た孫が 
「大きい目をした魚が食べたい」 と言ったらしく、
どうも、この魚はメバルらしいのですが、
可愛いお孫さんの願いを叶えようと、投網を再開した様子 

夫が、モタモタと、1回、かろうじて丸く、網を広げる間に、
次々と、5回程も、威勢よく、大きく網を広げるAさん 

夫曰く
 「本当に脚が痛いのかなあ~?」
 「『もう投網はヤラン』  まだまだやれるで」

 10月の大潮の今、
 「投網、やってくるわ。おかずは、アジフライやな」と、
  張り切って、出かけた夫です。

一緒に出かけたハナも、「魚が釣れたかな」と、時々、かごを覗く。



いくら待っても、魚がかかってこないので、諦めて、ウロウロ?


せっぇいのお~   今度こそ 


おっ  うまく、大きく広がったぞ~ 


かかったかも 


ハナも期待して、楽しみに待つ 


釣果は 


ちっぽけな ちっぽけな アジが4匹 



おかずは、超ベジタリアン風になり、



ナスビの煮浸し(一応アジ入り)  ゴーヤチャンブル   梅干し入りヒジキご飯
常備食も、ナスビの梅漬けに、ゴーヤの佃煮

 一方、Aさんは、
 
 「ありゃあ~、かかってしもうたわ。こりゃあ、いかん」 
 
 だったそうです。

初めに1回投げただけで、沢山のアジがかかってしまい、
細かい網目に頭を突っ込んだアジをはずすのに、手間どったのです。

こうなると、もう投網をする楽しみはなくなるそうです。 

オマケに、奥さんのHちゃんからは、
 「こんな沢山の魚、誰がさばくの!!」と、怒られるとか 

  Hちゃんの作った、アジの干物、絶品です。
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木製建具  ストーリーがあるんです~♪~妻から家作り実況版2

2007年10月09日 | 妻から「家作り実況版」
夫の「一人で建てる木組みの家」は、
すべてムク材をつかうことが、とてもとても重要・・・・らしい。

したがって、夫は
「窓は、当然アルミサッシを」 と 願っていた妻の期待を裏切り、
「窓も、建具も総て木で作る」 と宣言。

「そんなことしていたら、いつになったら、出来るかワカラヘン」
と、あきらめ半分で、待っていたら、
ようやく、窓も建具も出来つつあります。


ガラス戸枠の木取り中 ヒノキの香りがする
  

掃き出しガラス戸の框作り
 



掃き出しガラス戸の框組立て中

 建具作りは、家具作りの手法が生かせる
 夫の得意とする分野でした。
 色々なデザインを考えて、楽しんで作っています。


まずは、大小 30枚にもなる、ガラス窓
ネットで購入したガラス板は、5㎜と厚く、とても重量があります。


東側ガラス窓完成

 五行説では、
 「東西南北は、青春、白秋、朱夏、玄冬と位置づけられることから
 方角ごとに“青(緑)、白、赤、黒 ”の色を押え縁に塗っている」
 と、得意顔で、こーしゃくをたれる夫です。


   
 西側の窓用に ”白秋”で、押さえ縁を 白に塗る


東側ロフトの窓に ”青春”で緑色に塗った 押さえ縁 を取り付ける

そして
押入れ、トイレ、居間、寝室、など10枚程の
引き戸 と 扉は
少しずつ、デザインに変化をつけて製作中。

 
土間から居間への引き戸製作中 


障子にする 寝室の引き戸 をクランプで締めて 組立て中


左から 押入れ、寝室 居間の引き戸 


出来上がった階段下収納の扉 取っ手はアメリカンチェリー

中でも
一番力を入れたのが、土間の外扉
我が家には、玄関がなく、土間が玄関代わりになりそうなので、
玄関扉の意気込みで、作っています。


土間(玄関)扉組み立て中


土間扉を、クランプで固定して、組み立て中
取っ手は、ブラックウォールナット

夫が、色々楽しんで考えたデザインの木製建具 
ちょっと、凝ってみたくなり、
 
きれいな装飾型色ガラス や 装飾摺りガラスをはめ込もうと
 ネットで見つけた、フランス製ガラスを見積り中です。
   
 緑色や青色の摺りガラス、鳥の羽模様の摺りガラスは 

 土間の扉や 居間への引き戸と欄間に、はめ込んで


土間の上がり框の通風孔には、
 波とカモメのくり抜き模様が、ほどこしてあり



 漆喰壁には、オハジキをはめ込み 波模様の通風孔



これは、百均のオハジキです。
貝がらをはめ込みたいという妻の意見は却下されました。



森の緑、海や空の青、白い波と鳥・・など
ちょっと、なにか”ストーリー”が楽しめそうな 

それはさておき、
ヒノキ材を使った建具は、
どれも すご~く重厚なものになりました。

さすが、計算マニアでキッチリ屋の夫 の苦心作、
ピッタリ、すき間なく、しかも,滑りのよい建具の出来上がりです。

残るは、雨戸と網戸
雨戸を閉めるのは、台風の時だけ、網戸もこれからは不要と
ゆっくり、作るそうです。

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一人で建てる木組みの家~⑫ 屋根下地

2007年10月06日 | 『一人で建てる木組みの家』
1.垂木
棟上げが済んで、早く屋根をかけて雨から守りたいところだったが、
ゴールデンウィークに入り、何人かの訪問者があったり、
みかん畑の草刈りをしなければならなかったり、
思わぬ葬式があって、その手伝いがあったりと、
1週間が過ぎてしまった。

垂木は、軒の出を90㎝と長くしたので、45㎜×105㎜と背の高い材を使っている。
棟から軒まで1本で通すと長くて重く、扱いにくくなるのだろうと、
2本に分けることにした。
一の母屋のところで、斜め相欠きで継ぐことに。
背の低い垂木ならそぎ継ぎのようだが、高い垂木はどうするのか 
よく分からないので、こうすることにした。


2006年5月8日 垂木掛け

棟上げまでは釘や金物を使わずに組んできたが、これからは釘を多用していくことになる。
釘打ち作業は、進捗が早い。
棟木、母屋、桁に垂木を125㎜の釘で斜め2本打ちする。
これまでに、125㎜と言うような長い大きな釘は、打ったことがなかった。
大きな玄能で大きく振りかぶって、思いっ切り強く打ち込む。
打ち応え充分。 
これだけの効きがなければ、屋根が風で飛んでしまうだろう。
節に当たれば、釘が曲がってしまう。
真直ぐに起こして注意深く少しづつ少しづつ打ち込めば、また入っていってくれる。


2006年5月8日 垂木掛け

少し長めに取り付けた垂木の長さを揃えて切る。
30cmほど長めにしていたので、この時には、軒の出は約120㎝あった。
見た目は、軒が深くて家自体のバランスも良く、とても気に入った。
切らずに、このままにしておこうかと思った。

しかし、この長さでは風に耐えられる自信は全くないので、
やはり、計画通りに切ることに。
水糸を張って、一本一本に印をつける。
この大きな断面積の垂木を手のこで切るのは大変だから、電動丸ノコで切ることにしたが、
足場の悪いところで、丸ノコを扱えるのだろうかという不安があった。
ヘタをすれば大ケガだ。
脚立にのって注意深く、注意深く、丸ノコを扱う。
思ったより、うまく切れた。
刻みで修練ができてたのだろうか。


2006年5月9日 垂木の鼻切り 脚立に乗って電動丸ノコを扱う

次々と気持ちよく切り落として、短時間で完了。
合計ちょうど100本の垂木掛けに要した日数は3日。


2006年5月9日 垂木掛け完成 南側より


2006年5月9日 垂木掛け完成 妻側西側より

2.面戸板、広小舞、淀、

 今日は朝から雨。

建ち上った骨組みが雨に打たれるのを気にしながら、
屋根下で、面戸板(メンドイタ)広小舞(ヒロコマイ)、淀(ヨド)、の加工。カンナがけや穴あけをする。


面戸板は、軒桁と垂木と野地板との間にできるすき間を埋める板。
1枚1枚寸法を測ってキッチリと収めた結構メンドーな板だっが、
野地板が済んで屋内から見るとキッチリと収まらずにすき間だらけだった。
このすき間埋めにはあとで苦労させられた。

後で知ったが、垂木に小穴をあけておいて 
(小穴というのは、プロが使う言葉で穴ではなく切り欠き程度の溝のことをいう) 
面戸板を差し込めば、両サイドのすき間はなくなる。

垂木の加工は、メンドーだが、垂木の背がもっと低くて、
小屋組が天井板で隠れるのなら、このすき間は全く気にならないのだが、
ここでは小屋組部分が現しとなるため、もう少しの工夫が必要だった。

翌日から面戸板のとりつけを始める。
昨日の雨で垂木がふくれており、
晴れの時に寸法取りをして加工した面戸板が入りにくい。
固定は、5寸釘を脳天打ちした。1スパンずつ、脚立を移動させての上り下り作業。
垂木の風による吹き上がりが、気になっていたので、面戸板と垂木を90㎜の釘で連結した。
また妻側の軒は面戸板の替わりに背の低い横木を打ちつけて、垂木と115㎜の釘で連結し、
やはり吹きあがりの防止策とした。
これがどれ程、有効なのかはわからないが。


2006年5月12日 面戸板

広小舞と淀は、垂木の外周にとりつける、縁取り木である。 
広小舞を垂木の先へ釘留めする。
垂木の背が高いので苦労なく釘が打てると思っていたが、バウンドしてだめだった。
カケヤで垂木の裏を押さえれば良いと書いてあるので、一人でやろうとしたが、とうてい無理だ。

めんどうだが、仮支柱を立てることに。


2006年5月12日 広小舞の取り付け 仮支柱を立てて

胴縁用材を垂木の先にあてがい、地面と接する方に板切れを敷いて高さを調整する。
これは大正解だった。
とても釘が打ち易い。移動手間はかかるが、慣れれば早い。
妻側へ移り、広小舞を取り付けたら、クネクネと曲がりくねって、とても不細工だ。
垂木に合わせて、取り付けたのが失敗だった。
打ち付けた釘を抜いてやり直すことに。
水糸を張って直線をだすことにした。
妻側は棟の一番高い所まで上っての作業になるので、
水糸を1本張るだけで、上り下りに時間がかかり、作業はなかなか捗らない。


2006年5月12日 妻側の広小舞の取り付け

手間をかけた分だけ、広小舞はキレイに収まった。

続いて淀も取り付ける。


2006年5月14日 広小舞と淀のコーナー部


2006年5月15日 広小舞と淀のコーナー部



面戸板・広小舞・淀完成

3.野地板 
野地板は45㎜のすき間をあけて、15㎜のスギ板を上下2枚張る。
小屋裏は現しとするために天井板は張らない。
そのため、この下の野地板が、見上げると見えるので,相欠きとカンナ仕上げをしている。
化粧野地板と呼ぶ。
上の野地板は45㎜×36㎜の垂木を挟み込んで15㎜のスギの荒板を突き付けでとめる。
断熱材は設けない。
雨が気になる。棟上でまでに1回。その後3回。計4回も雨打たせの状態だ。
早く野地板をかけて雨を防ぎたい。木が黒ずんで来る。
下の野地板を貼った時に、ビニールシートをかけたものの、
その後完全に屋根が仕上がるまでに、走り梅雨が来て,7回も雨に降られた。

野地板の長さは、現場合わせとなるため、屋根の上でののこぎり作業となる。
そのことを考えて、野地板は左から右へ張ることに。
板の左端は下で丸のこで切っておいて、上に持ち上げてから垂木に合わせてのこぎりで切り、釘を打つ。

大工が右利きか左利きかによって、この作業位置や順序は大きく違う。
作業能率を上げ、安全でキレイな仕事をするには、このことがとても重要だ。

軒先2枚分は下からはしごで作業し、
3枚目から上は仕上った野地板の上にのって作業をする。


2006年5月15日 化粧野地板張り始め

化粧野地板は、片面のみをカンナ仕上げの指定をしていたが、
相欠きをするとなるとモールダー(切削機械)仕上げでは 
両面ともがカンナ仕上げとなるようだ。

入荷した板をみると両面ともキレイに仕上げられ、とても得をしたように思っていたが、
イザ屋根の上へ上げてその上へのると、すべり良いのが難点だった。
6.5寸の勾配はキツイようだ。
ゴム底靴なら滑らずに立っていられるが、
尻をつけて足裏を離すとユルユルと滑り出す。
軒の淀がストッパーの役目をしてくれる。

しかし、上に行くに従い、滑り出せば、滑台のようで止まらない感じがするので、
真中より少し上で、足留めの角材(45×60㎜)を打ち、
安全ロープを張ることにした。
安全ロープは作業時には、邪魔だし、誤ってロープを踏むと滑ってひっくり返りそうになり、
本当に安全かなとも思うが、気持ちの上ではとても安心感がある。


2006年5月15日 化粧野地板張り 安全ロープをつけ、滑り止め材を打ち付けて


化粧野地板張り 安全ロープをつけて 

しかし、屋根の上の作業は、気が抜けない。
注意を集中していないと、いつ転落するかわからないので、緊張しっぱなしだ。
 それでも、妻は、そんなことには無頓着に、
大した用事もないのに、下から声をかけてくる。

「高い所で作業する時は声をかけてくれるな」
と 言ってあるのに、忘れてしまうのだ。
エライ、迷惑だ。

片面が仕上がったところで、ビニールシートをかけることに。

明日は雨のようだ。
2間×3間のブルーシート6枚をビニールひもと釘で固定。
夜8時頃まで、懐中電灯をつけて作業。
風が吹いて、シートが飛ばされなければ良いが。

残りの片面は、問題なく2日程で完了。

この後は、スペーサーがわりの垂木(45㎜×36㎜)を打って、
上にもう1枚の二段目の野地板を取り付ける。


2006年5月19日 一段目化粧野地板張りを完了後、垂木も打ち終わる


一段目の化粧野地板は、乾燥したものを加工してあったので、扱い易かったが、
二段目の野地板は生木状態のものが多く、乾燥したものに比べると,倍程も重く、
釘を打つと水が飛ぶこともある。
反りも大きく、すき間があいた。それでも問題はなさそうだ。
野地板を下から運び上げては、切って釘で打ちつける。
作業に慣れると、最初よりもずっと早く出来てくる。


2006年5月20日 二段目野地板張り 野地板を担いで運び上げる。


2006年5月21日 二段め野地板張り 

それでも、雨にたたられて野地板張り(上下2枚)は8日間を要した


5月22日 2段目野地板張り中の新居と古家の全景
満開のカモミールも枯れてきた頃。

付記 妻・ひろよろ
 
  5月中、夫はほぼ、屋根の上で過ごしていたかもしれない。
  高所恐怖症の夫だったが、この頃になると
  「慣れとは、エライもんや! 高い所にいても、お尻がムズムズしなくなった」
  と、ちょっと得意気だった。

  畑にいると、屋根の上の夫は、どこからでも、よく見える。
 だから、いつでも、すぐ声がかけやすい。

 骨組だけのスケスケの屋根ではなく、野地板を張った屋根の上の夫は、
 高い所で、ちょっと、気持ち良さそうに見えたけれど・・・

 そうか やっぱり、まだ、怖がっていたんだ

 妻でさえ、なかなか理解しにくい “夫” である。

 この屋根作業に使用する、
 “何種類かの釘の使用本数リスト”を手渡されて、
  金物店へ買い物を、頼まれたことがあった。

  プロは、5k箱単位で買うので
  店員さんは、本数で買う人には、かなり手間取っていた様子。

  家を建てるのに、釘を○百本使うと、
  夫は、計算したのだろか 


 「一人で建てる木組みの家」①~⑫は こちらから、ご覧ください。
 カテゴリー「一人で建てる木組み家」からも、見ていただけます。
 

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