両親の頑張らない介護 ~日々のつぶやき~

継父令和2年7月他界、実母要介護3在宅で介護中、義父平成30年4月他界、義母要介護4施設入所

最期の言葉

2018年05月05日 | 主人の両親
相変わらず、モメモメの兄弟です。
あれだけ、「私の前で自分の親や兄弟の話はするな!!」
と言ったのにもかかわらず、主人の怒りが収まらず、
朝からブチ切れです。


やっと分かってきたのでしょうね、
遅いわ!!(# ゚Д゚)
とは思うものの、怒りたい気持ちはわかるので、
ふん、ふん、と聞くだけ。


経験したら分かるのですよ。
自分の親なのに、どれだけ他人事なのか。
めんどくさいことは全てにおいて完全にシャットダウンで、
都合の良いときだけ登場するズルさ。


わかったか!!
お前んちの義弟たちは、
こんなにムカつくんだよ!!




ーーーーーーーーーー


今日からショートの実母。
今まで気を張っていたのでしょう。
実母をショートに送り出すと、一気に疲れがきました。


ちょうど、一週間前の今頃。
私は義父の施設にいました。


この日、実母はデイサービス。
主人が朝、この日は出勤で支度をしている時、

「もしかして、これが最期になるかもしれないから、
朝イチにお母さんを連れてお父さんの施設に行ってくる。
で、またお母さんの施設に送りとどけるわ」


そんな都合のよいふうに行くかしら?

そんな考えもあり、もしものために私も少し遅れて
義父の施設に入ることを伝える。


案の定、想定内ですね。
出勤ギリギリの時間になり、義母は自分の施設に戻る時間になると、


「いやよ!!
私はここに居る!!」



と言い張る始末。


「はあ?言ったよね、最初にさ。
あのね・・・、
トイレはどうするの?
帰りはどう帰るの?
ここの施設の方々には迷惑はかけれないの」



「だいじょうぶよ」」


でた、でた、
義母の『だいじょうぶよ』だ!!



しばらく親子で言い合いになっていましたが、
折れない義母。
仕方がなく、私が義母を施設に送りどどけることで合意。


しぶしぶ主人は仕事へ行き、義母は終始大人しく、
ずっと帰るまで椅子に座りっぱなし。


これなら、帰ればよかったじゃないか!!


主人が出てから1時間半後、わたしたちも義父の施設を出ます。
義母は諦めたのかすんなり帰る支度を始めます。


帰る車中、葬儀の話ばかり。
まだ、義父、亡くなってないのに(-_-;)




で、夕方。
実母はデイサービスから帰宅します。
実母が帰る少し前から、嫌な予感がします。


夕方‥‥‥義父の施設に行こうかな。


自然と思った気持ちです。
不思議なのですが。


実母の支度を済ませ、実母を置き去りにし、
義父の施設に向かいます。


GW初日、道路は混み、20分で着くはずの施設が、
倍の40分かかり着きます。
実母が居るので、タイムリミットは1時間だけ。


義父の部屋に行きます。
昼間とそう変わらない様子。
しかし、心電図はありえない状態を示しています。


昼間と同様に、義父に声をかけても反応はありません。
しかし、しばらくすると義父に変化が起こります。


目をハッキリとあけ、唇がかすかに動き、
舌もありえないぐらいに動いています。


必死に何かを訴えるような、そんな姿。
目は追視しないので目は見えていません。
が、必死に何かを話していた。


すると、おむつ確認でヘルパーさんが入ります。
会話の途中でしたが、しぶしぶ部屋を出ます。


しばらくすると、血相変えたスタッフが、
「ご家族さま!!
はやく!!はやく!!」



思わず、


えっ?!

やだ!!

マジで??

私が最期の看取りするの?

やだ・・・かも(-_-;)



鬼嫁でしょ、私の本音^^;


部屋に入ると同時に、スタッフが興奮しながら、


「突然ね、

「おーい、おーい!!」

って言ったの、ほんとう、ほんとうに。

初めて聞いた、声を。ハッキリ言ったの。2回呼んだの!!

家族を呼んでるって思って呼びに行ったの!!」



って大興奮のスタッフ。


義父を見ると、先ほどの穏やかな顔とは違い、
目は目玉が落ちるんじゃないかと思うぐらい見開き、
口は歯が折れるんじゃないかと思うぐらいの食いしばり。
脈は平常時は26~30ぐらいだったのが、130台まであがり、
心電図はありえない波形になっていた。


ああ、最期の言いたかったことだね、お義父さん。


「お義父さん、

悔しいね、

こんなはずじゃ、

なかったよね、

やりたかったこと、

いっぱいあったね、

言いたいこと、

いっぱいだよね。

わかってるよ、

わかってる、

悔しいはず!!」



そういうと、すーーーーーっと大きく息をしたと思ったら、
心拍数はみるみる下がり、顔ももとに戻り、
眠るようになる。



これが、義父の最期の姿でした。
これは、私しか体験しておらず、
ずっとお世話をしてきた私への最期の義父の姿でした。


実子ではなく、一番、腹立つ長男の嫁の私でした。
この姿が最期になり、わたしにとっては、義父が、
何を残したかったのかはわかりませんが、
悔いが残らない、義父との最期の時間となりました。


これも、ずっとやってきたからこそ、得た体験であり、
私についでに乗っかってきた、長男でもある主人には、
何一つ親からのメッセージはありません。


皮肉ですね。



ーーーーーーーーーーーーー


今朝、庭の水撒きをしていると、
なんとなく目についた『ピンクビューティー』というお花。






そっと、義父が見ているでしょうか。
今の義母や子供達の状態を・・・・。
コメント (2)
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