何と言うか・・ちょっとバタバタしています。
去年まではフィリピン語(国語)を履修する義務がなかったらしいフィリピン大学、
今年から必修科目になったようなのです。
それで1年生の息子は自分の専攻と関係ないと不服気味。
しかも・・先生も多分、今年から全員が必修で戸惑っているんだか
制度が確立されてないんだか知りませんが、
先生によって同じ名前の授業(フィリピン40だったか)なのに授業内容が統一されてないんですって。
あるクラスは文学作品を読まされてそれについて学んだり、
別のクラスはフィリピン人類学みたいなのだったり。
息子の先生はフィリピン人のアイデンティティーと歴史について教えてるそうです。
それで最終試験の代わりにプロジェクトの提出を求められているのだけど
その内容と言うのが「バランガイの歴史と名前の由来」ですって。
バランガイというのは日本語では「町」みたいな意味ですが、
例えば私が住んでいるのはケソン市ですが、ケソン市の中にいくつもバランガイがあって、
それぞれのバランガイに選挙で選ばれた役員達が何人かずついるのです。
近所のいざこざなどはここで解決したりもします。
そうそう、選挙も所属するバランガイで投票です。
バランガイにはこう言った無料の診療所もあり、
並べば無料で診察してもらえますが、曜日によって診療科目が違うようなので注意が必要です。
息子から近所のバランガイの歴史を書かなくてはいけないから事務所に行って
配布資料があるか聞いて来て・・と言われて最初に自分の住むバランガイに行ったのですが、
古いことを書き留めたものは殆どありません。
(隣のバランガイ:運転手と私は迷子になってここを見つけるのに車でウロウロ45分近くも・・)
なんと自分の住む地域の周辺のバランガイ3~8つ分の資料が必要らしくて
資料探しを手伝ってあげているので
とにかくバランガイ(町役場のようなもの)を探すのだけでも一苦労。
以前「あさイチ」で発達障がい専門の医師が何才になってもサポートが必要な部分があると言っていたのと
アスペルガー症候群の人だけを雇って利益が向上している会社ではお客さんとIT技師の間のコミュニケーションを取り持つ人が客と直接を話しをしている、
他人と話すのが苦手な人が多いから・・と取材で話しており、
それでも仕事は出来るし、残業も気にせず目標達成まで不平も言わずに努力するタイプが多いので
他の人と比べて「何故コミュニケーションが出来ないの、皆やってるのに。」と責めないで欲しい・・と言ってたのです。
それ以来、今まで息子は何でも自分でやらないと将来大変・・と焦っていたのが
(今でも本当は焦っているけど)
助けを求めて来た時はサポートしてあげよう・・と思うようになりました。
滅多に助けを求めてこない息子ですが、
元々知らない場所、知らない人が苦手なので
今回は自分で回るのは無理だったんですね。
日本人は昔から記録に残す習慣があったように思うので、
その町の歴史など割と直ぐに見つかるんじゃないかと思うのですが
フィリピンの場合、記録に残すことに意味を感じてない方が多いのか
記録がない・・。
この方が前に大学生が調べた資料を置いていってくれたのを思い出して
出して来てくれましたが、色々なバランガイを回ってそんな資料があったのはここだけでした。
ケソン市役所の図書館にも行ってみたんですが
現在進行中のプロジェクト(ゴミ問題やエコなど)や人口の割合などの資料はあっても
過去の資料は殆どない・・。
息子が探してるのはスペイン統治前くらいの資料もあった方がいいとかで
そんな400年も前のケソン市なんて
ただの森と野原だったに違いないのである筈ないと思うんです。
まあせいぜい戦前でしょうけど、
ケソン市限定って言うのが厄介。
図書館には鞄を持って入ってはいけない決まりで
(本を盗まれるからでしょう)
お財布と携帯だけ鞄から抜いて持って入りました。
こういうの役に立つと思ったけど
そもそも息子が一緒に来るべきなので見当違いを探してたらしく没。
殆どの資料は使えない状態でした。
主人が言うにはそういう先生は博士号取得中とかで
自分の卒論のテーマがバランガイの歴史だったりすると
自分で回るのは大変だから生徒の宿題にしてそれを卒論の資料にしたりする場合が多いとか。
あ~だから息子虎次郎が
「取材した人の名前と年齢も必要」って言ってたのかしら。
本に載っているような内容だと結局役に立たないんでしょうね。
と言うか、結局のところ、記録に残ってない・・ってことなんだと思います。
(ケソン市はかつてフィリピン共和国の首都だったことがあるのです)
私の家が所属するバランガイなんて1980年頃に不法居住区の住民が政府から土地の名義を勝ち取る有名な出来事があったんですが
バランガイの記録にはそれすらなかったです。
バランガイで働いている人も若い人はそんな事知りませんでした。
当時住んでいた人でまだ生きて話しを聞ける人をつかまえて詳しい事を覚えているか、
覚えてなかったら別の人に聞くなど
聞いて回らなくてはならないし、
それだって口答のみなので真実だか分かりません。
これがケソン市役所。
ここの図書館に明日、虎次郎と一緒に行く予定です。
やはり虎次郎も私にお願いしたので文句は言ってませんが
見当違いを探してきたので自分で行かないと駄目だと思ったよう。
それにしても市役所は人で溢れていました。
桃ちゃんが好きな「プト・ブンボン」をお土産に購入。
市役所の駐車場の一角に露店が沢山出てたのです。
虎次郎のレポート、泣いても笑っても締め切りは4月3日。
フィリピン語が去年まで必修じゃなかったので「やりたくない~」って感じですが
そんな風に考えてもやらなきゃいけないのは変わらないわけだし、がんばれ~。
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<どうでもいい菜の花家の食卓>
市販(アメリカ製)のパンプキンケーキの粉で作ったパンプキンマフィン。
材料の分量、水の部分の一部をヨーグルトにしてみました。
右はいつものグラノーラ。
今回はカリカリと上手に焼け、味も今までの中では最高の仕上がり。
フィリピン料理「焼き茄子のトルタ(オムレツ)」なんですが
特産品である白いチーズ(ケソンプティ)を入れてみました。
卵液の中に白いチーズを埋め込んだ方が味が良かったです。
キュウリやピーマンなどを胡麻味噌で合えたもの。