電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

松とPine

2009-07-11 22:07:15 | 文芸・TV・映画

 日本語の「松」は、英語では、「pine」という。日本語では、「松」という言葉は、「待つ」という言葉と同じ音で、しばしば掛詞として利用されている。ところが、英語の「pine」にも日本語の「待つ」と同じような意味があるのを最近知った。ちなみに、手元の『小学館プログレッシブ英和中辞典』(1998年第三版)には、名詞としての「松」の意味を持つ「pine」の他に、動詞で、「思い焦がれる、切望する」という意味をもつ「pine」が載っている。これは、おそらく偶然だと思われるが、とても面白いと思った。

 二宮ゆき子が歌っていた「松の木小唄」はおそらくは誰もが知っているに違いない。

松の木ばかりがまつじゃない
時計を見ながらただ一人
今か今かと気をもんで
あなた待つのもまつのうち

 この歌の「まつ」は、英語に訳すなら、「pine」がぴったりだと思う。

 さて、私がこの「pine」について知ったのは、「松の木小唄」の返歌かと間違われそうな『百人一首』に乗っている在原行平の歌のマックミラン・ピーターによるの翻訳を読んだ時だ。行平の和歌は次のようなものである。

立ち別れ いなばの山の 峰におふる
松としきかば 今かえりこむ
(今私は、あなたとお別れして、因幡の国に行きます。でも、稲葉山に生えている松ではないですが、あなたが待っているいると聞いたら、すぐに都に帰って来ます。──筆者訳)

この歌が、マックミラン・ピーター著・佐々田雅子訳『英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ』(集英社新書/2009.3.22)の中で、次のように英訳されていた。

Ariwara no Yukihira

Though I may leave
for Mt.Inaba,
famous for the pines
covering its peak,
if I hear you pine for me
I'll come straight home to you.
(同上・p75)

 「for the pines covering its peak」という表現と「I hear you pine for me」という表現を見た時、私は驚いて辞典を調べた。そして、「pine」に二つの意味と用法があることを知ったのだ。そして、不思議な一致にしばらく呆然とした。しかし、訳者の頭の中では、おそらく日本語の「まつ」と同じように、「pine」という言葉が響いていたに違いない。もちろん、全ての読者がそういう体験をするとは限らない。日本語の和歌を知らない人は、きっと単なる「洒落」だと思うのかもしれない。しかし、その「洒落」の中に、和歌の面白さがあることも事実である。

 私には、この英詩の意味は読み取れるが、どれだけ優れたものかはよく分からない。ドナルド・キーン博士が絶賛しているところから、かなりの翻訳だと思われるが、全体的にとてもわかりやすい訳だと思った。最近時々、『百人一首』を読んでいる。角川ソフィア文庫に入っている島津忠夫訳注の『新版百人一首』と比較しながら、マックミランの訳を読んでいる。いわば、英語の勉強のつもりなのだが、このアイルランドの詩人の訳を通して、和歌の別の見方に気づかされのも面白い。また、百人の歌人たちに思いを馳せるのもまた、楽しい。

 最後に、小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」のマックミラン訳を載せておく

Ono no Komachi

A life in vain,
My looks, talents faded
like these cherry blossoms
paling in the endless rains
that I gaze out upon, alone.
(同上・p68)

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