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『おくのほそ道』の魅力

2011-01-16 00:16:17 | 文芸・TV・映画

 休みの日に、少しずつ、芭蕉の『おくのほそ道』を読んでいる。テキストは、講談社学術文庫の久富哲雄著『おくのほそ道 全注釈』である。今日は、ちょうど、「立石寺」の所を読んだ。これで『おくのほそ道』を読むのは、多分3度目だと思う。太平洋側を平泉まで北上した芭蕉と弟子河合曽良は、尿前の関を越えて、山形領に入るところである。ここで、芭蕉のもっとも有名な俳句が登場する。『おくのほそ道』には、芭蕉が46歳のとき、弟子の曾良を伴い、元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川を出発し、全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間かけて東北・北陸を巡って同年8月21日(同年新暦10月4日)頃大垣に到着するまでが書かれている

山形領に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依りて、尾花沢よりとつて返し、其の間七里ばかり也。日いまだ暮れず。梺の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧り土石老いて苔滑に、岩上の院々扉を閉ぢて物の音きこえず。岸をめぐり岩を這ひて仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。
 閑さや岩にしみ入る蝉の声
(久富哲雄著『おくのほそ道 全注釈』・p197より)

 ところで、長谷川櫂は、ちくま新書『「奥の細道」をよむ』で、この「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という俳句について、つぎのように述べている。

 この句はふつう静けさの中で蝉が岩にしみいるように鳴いていると解釈されるが、これでは?が鳴きしきっているのに、なぜ静かなのかがわからない。「閑さや」も「岩にしみ入?の声」も同じ現実の次元のものととして一緒くたに読むからだろう。
「閑さや」と岩にしみ入?の声」は次元がちがう言葉なのではないか、というところからこの句の解釈ははじまる。この句、古池の句と同じ形をしているからだ。

/古池や/蛙飛こむ水のおと/

 古池の句は、蛙が水に飛びこむ音を聞いて心の中に古池の面影が浮かんだという句だった。「蛙飛こむ水のおと」は現実の音であるのに対して「古池や」は心の世界。「古池や」と「蛙飛こむ水のおと」という互いに次元のちがうものの取り合わせ。大事なのは古池という心の世界を開くきっかけになったのが、蛙が水に飛びこむ音だったということ。
(長谷川櫂著『「奥の細道」をよむ』・p157より)

「古池や蛙飛こむ水の音」の句や「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句の解釈の仕方としては、この長谷川櫂の解釈がいちばん素晴らしいと思う。実際、それは、この句ができていく過程を見てみるとよく理解できる。久富によれば、この句は、次のような過程で、最終的に定まったという。

 山寺や石にしみつく?の声(『曽良旅日記』)
 さびしさや岩にしみ込?の声(『初蝉』)
 閑さや岩にしみ入る蝉の声 (『おくのほそ道』)

 この「山寺や」→「さびしさや」→「閑さや」という変化の中に、芭蕉の心の動きが現れている。たぶん、芭蕉は、そこで「岩にしみいる?の声」を聴いていたのだ。そして、そのときは、「山寺や石にしみつく?の声」とよんだのだ。それは、一つの実景を読んだ句である。芭蕉は、『おくのほそ道』を書き上げる過程で、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句を作り上げたのだ。だから、本当は、次のように書くのは、間違いだ。

 その日の午後、芭蕉は立石寺の岩山に立つと、眼下に広がる梅雨明け間近な緑の大地を眺めた。頭上には梅雨の名残の雲の浮かぶ空がはるか彼方までつづいている。そのとき、あたりで鳴きしきる?の声を聞いて、芭蕉の心の中にしんとしんと閑かな世界が広がった。
 そこで芭蕉が感じた静けさはもはや現実の静けさではない。?が鳴こうともびくともしない、宇宙全体に水のように満ちている静けさ。立石寺の山上に立った芭蕉は?の声に耳を澄ませているうちに、現実の世界の向こうに広がる宇宙的な静けさを感じとった。
(同上・p158)

 私たちは、芭蕉が『おくのほそ道』を書いているときの芭蕉の心の世界を見ているのであって、立石寺に佇む芭蕉を見ているのではない。おそらく、立石寺で佇む芭蕉は、「山寺や石にしみつく?の声」というふうに感じていたのだ。そして、『おくのほそ道』を書いているときに、芭蕉は「岩にしみ入る蝉の声」を幻聴のように聞いて、「佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ」と感じているのだ。というより、「佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ」と書いたが故に、「閑さや」という切れ字になったというべきなのだ。

 長谷川櫂の『「奥の細道」をよむ』という本は、とても刺激的で、俳句の面白さを私たちに教えてくれる。芭蕉の言う「かるみ」というものが何だったのか、私はよく理解できなかったが、長谷川櫂は、とても分かりやすく教えてくれる。しかし、この本に不満があるのは、芭蕉の現実の旅と紀行文との乖離の意味であり、芭蕉にとっての書くことの意味について触れていないことだ。「歌枕」についての指摘は、まさにそのことを本当は意味しているのではないだろうか。『おくのほそ道』は、現実の芭蕉の旅を基に、観念の世界で再構成されたものである。芭蕉の俳句は、芭蕉の現実の旅ではなく、書かれた旅の世界に繋がっているのだ。

 私たちが、芭蕉の『おくのほそ道』を読むことは、芭蕉の実際の旅をなぞっているのではない。芭蕉が、観念の世界で作り上げた、風景の中の旅を旅しているのである。それは、どんな紀行文を読むときだってそうだし、紀行文を読むことと物語を読むこととそんなに変わっているわけではない。早い話、『おくのほそ道』には、私たちが普通、旅で経験することがほとんど書かれていない。朝起きて、顔を洗ったり、食事をしたり、トイレに行ったり、風呂に入ったりということが何も書かれていない。だから、ダメだと言うことが言いたいわけではない。別のそんなことを書かなくてもいいのだ。なぜなら、私たちは、現実の旅の話をしているわけではないからだ。

 芭蕉は、この旅の5年後、51歳のとき、大阪への旅の途中で病を得てなくなる。芭蕉の『おくのほそ道』は、芭蕉によって何度も推敲され、芭蕉の死後、1702年に出版された。私たちは、何度も何度も、旅を再構成している芭蕉と向き合っているのだとも言える。私には、曽良の存在が、とても興味深い。芭蕉は、曽良が旅日記を書いていたことを当然知っていたと思う。私たちは、この曽良が旅日記と対照しながら、芭蕉の『おくのほそ道』を読んでいる。そして、芭蕉が、現実の旅から常に逸脱していくの見る。それが、また、愉しい。

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