電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「○○本バブル」について

2010-08-21 20:45:18 | 文芸・TV・映画

 そもそも発端は、「ブックファースト・遠藤店長の心に残った本」というコラム
から始まった。この記事を、内田樹さんが読み、ブログに「ウチダバブルの崩壊」という記事を書いた。そして、この記事を中心にして、茂木さんと勝間さんが自分なりの考えを表明している。そして、それらを踏まえて、続きを内田樹さんが書いている。私には、内田さんの主張がよく分かった。茂木さんや勝間さんの主張は、当事者として、これもまっとうな主張であり、彼らはそう答える以外に答えようがないのも確かだ。ただ、著者のスタンスとしては、内田さんの立ち姿が、自覚的で、私には最も心に響いた。

 今最も、売れているらしい著者たちが、自分たちの出版された本について語っていて、とても興味深かった。特に、勝間さんは、自分の本をいかにして売るかというマーケティングも含めて、出版社と緊密な連携の基に出版活動を続けていた。ある意味では、書店にたくさんの本が並び、それなりに売れていくということにおいては、彼女の選択が正しかったことを意味している。その結果をバブルと呼ばれるのは、確かに心外であるに違いない。しかし、自分の本が、数万から数十万にの読者を持つとしたら、それは異常だと思った方がよいと思う。少なくとも、大衆文芸に10年近くかかわり、いかに出版活動を持続できるかということで、新人発掘から著名人の活用までいろいろ考えて、結局は失敗した弱小出版社の元経営者としては、それは僥倖と考えるべきだと思う。

 確かに売れると言うことは、それなりのオーラを持った著者の力であり、この力は、読者の支援と運とに支えられてある時期どこかに集中して現れるものらしい。そして、その流れは、出版社や流通を等して、色々なところに経済的な利益をもたらし、その利益の故に更により利益を求めて活動が拡大していくことになる。もし、この活動が、大手出版社だけの活動であるなら、まあ、彼らは少々のこととでは、大けがはしないのだが、弱小出版社を巻き込むと、どこかにアクセルだけでなくブレーキを踏むという操作を自覚的に行わないととてつもないことが起こりうる。本は沢山発行しただけでは、まだ、利益にならず、最終的には読者が買ってくれないとお金にならない。しかし、売れようが売れまいが、費用は発生してくるからである。

 ところで、何故、いま、茂木健一郎や内田樹や、池上彰や勝間和代さんがこんなに読まれているのだろうか。彼らに共通して見える立ち位置がある。彼らは、それなりに自分の専門としての分野を持っていて、それをバックボードにしながら、文明や文化を批評している。しかも、一応、彼らは、現在のどの政党ともつかず離れずの関係を持ちながら、自分の意見を主張している。勿論、共通の読者もいると思われるが、コアな読者は、多分かなり違っていると思われる。そして、違っているところがまた面白い。

 私は、茂木さんは勝間さんの初期の本は、ほとんど買って読んだ。しかし、ある時期からたまにしか買わなくなった。それは、ブックファーストの遠藤社長の指摘した時期と合っているように思う。しかし、買わなくなったのは、特別に内容が雑になったからというより、内容が啓蒙的なものになり、あちこちの出版社からいろいろな本として出版されるようになり、それらをカバーするのが面倒になったからだ。多分、Webからの情報を見ていれば、彼らの主張はそんなに多くの本を読まなくても分かるようになったからかも知れない。つまり、茂木さんや勝間さんはこの点についてどんなことを考えているだろうかということを知りたくて、本を買うと言うことがなくなったということでもある。

 茂木さんは、脳科学の世界で、ダーウインのようになりたいと言っていたが、まさしく、NHKの仕事などそのためのフィールドワークということが言えるかも知れない。茂木さんについては言えば、1997年に日経サイエンス社から出された『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』の続きが読みたい。また、勝間さんについて言えば、これまた、彼女の出版活動自体が彼女のマーケティング理論の実験のようなところがあり、私としては、2008年に東洋経済新報社から出た『勝間式「利益の方程式」 ─商売は粉もの屋に学べ!─』の続きが読みたい。ある意味では、マーケティングという観点から見た日本論を期待しているのかも知れない。彼女は、おそらく、大前研一さんのようになるのではないかというのが、私の印象である。

 他方、遠藤さんは、内田本についてバブルということは言っていないが、不思議なことに、今のところ、内田さんの本は新刊が出るとほとんど買ってっている。それは、内田さんのスタンスのせいかもしれない。池上さんの本は、余りに急に書店に並び始めたので、どれを読んだらよいか迷っているうちについ買いそびれている気がする。茂木さんと勝間さんと内田さんは、ともにブログの記事をよく読んでいるので、いま、本を読まなくてもすんでいるのかも知れない。そして、内田さんの本が、他の二人より出版点数が少ないので買っているのかも知れない。

 ところで、彼らの本が何故こんなにたくさんの読者を獲得したのだろうか。確かなことは、Web上で流れている、無数の主張に対して、多分、彼らの主張がある種の道標となっていると思われるからだ。彼らは、Webの世界と対応している。ある意味では、Webを通してできたファンクラブが彼らのコアな読者層だといえる。しかし、これは、彼らの著作がWebの世界から生まれているということを意味しない。確かに、内田樹さんの場合は、Webでいろいろ言ったことが、まとまって単行本になっていることもある。だが、彼らの本に内容は、Webとは別のところで作り出されている。少なくとも、彼らは、今、Webの世界も含めた、現実の状況の中で戦っていることだけは確かだ。そして、彼らが戦っている限り私も彼らを見守りたい。

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