アーノルド・シュワルツェネッガーが人気を得た作品『ターミネーター』という映画は、3まであり、とても面白い映画だった。私は、未來から送られた殺人サイボーグが、突然機械であることが分かる場面で、とても不気味な思いをした。特に、首が折れたままでも動き回るときなど、目を背けたくなるような不気味さを味わった。2003年の「ターミネーター3」は久しぶりの大ヒット作となり、アーノルド・シュワルツェネッガーの人気の衰えを払拭し、カルフォルニア州知事選挙への再度の出馬を成功させてしまった。ここでも私は、あの、グラマーな女性に変化するロボットが、時にロボットたる証拠見せるとき、不気味な気持ちを抱いた。
この人間にあまりに似たロボットの「不気味さ」について、ロボット工学の世界では有名な説があることを、昨日の(9月18日)の朝日新聞の夕刊の「不気味ですか?『人間そっくり』」という内村直之さんの記事で初めて知った。東工大の森政弘博士が1970年に雑誌に「不気味な谷」と題する論文で発表した「予言」があるという。
アイボなどを開発したことで知られるソニーの土井利忠さんは、「ロボットのキャラクターについてどのようにお考えですか?
」という問いに次のように答えている。
土井さんは、森博士の説を知っており、それを前提とした上で、ソニーのロボットのキャラクターづくりを考えている。さらに、これをふまえて「広い意味で考えると、人型だけがロボットの進む道ではないのでは?」という問いに対しては次のように答えている。
今、ロボット開発企業が、「リアル」より「かわいい」を思考する背景には、こうした考えがあるようだ。確かに、アニメやCGでも、人間そっくりよりはデフォルメした方がヒットしやすい。そうでなければ、無意識のうちに人間だと思ってしまうようなレベルにする必要がある。ATR脳情報研究所のテリー・シャミナド研究員によれば、「見かけが人間に近いアニメの場合ほど、自然な動きに対しても、それを人工的な動きだと見なしやすい」という。
私が、「ターミネーター」で時々感ずる「不気味さ」は、ある意味では、「ゾンビ」に対する「不気味さ」と同じである。そして、人が「ゾンビ」に対して不気味さを感ずるのは、人間の脳が成長過程で作り上げた「違和」への感受性の敏感さによるということになる。おそらく、「共感」することを拒絶されるような感じを抱くのだ。人間というのは、無意識のうちに、キャラクターに共感したり、反発したりしているのだ。そうすることによって、「違和」の感覚を形成していくのに違いない。実際、赤ちゃんは、「違和」を感じないそうだ。
この人間にあまりに似たロボットの「不気味さ」について、ロボット工学の世界では有名な説があることを、昨日の(9月18日)の朝日新聞の夕刊の「不気味ですか?『人間そっくり』」という内村直之さんの記事で初めて知った。東工大の森政弘博士が1970年に雑誌に「不気味な谷」と題する論文で発表した「予言」があるという。
……工業用ロボットより、おもちゃの人型ロボットの方が、親しみやすい。ところが、それ以上人間に似ると、「動く死体」を見たかのように気味悪く感じる。
そこを通り越して、本物と見分けがつかなくなれば、気味悪さは感じようがない。
つまり、人間にある程度似た姿と、見分けがつかなくなるまでの間に、親和感が大きく落ち込む「不気味な谷」がある。(朝日新聞)
アイボなどを開発したことで知られるソニーの土井利忠さんは、「ロボットのキャラクターについてどのようにお考えですか?
」という問いに次のように答えている。
……例えばQRIOのデザイナーには「宇宙生物で8歳の子供」というヒントをだしました。あまり人間に近いデザインにしたくないと思ったのです。その背景にあったのが、日本のロボット工学の基礎を固められた森政弘教授による「不気味の谷」という考えです。これはデザイン的に人間に近づけていくと、あるところから急に不気味になってしまうというもの。だから、人間をイメージさせながらも、少し宇宙人的デザインにしたかったのです。
土井さんは、森博士の説を知っており、それを前提とした上で、ソニーのロボットのキャラクターづくりを考えている。さらに、これをふまえて「広い意味で考えると、人型だけがロボットの進む道ではないのでは?」という問いに対しては次のように答えている。
……そうですね。ロボット自体は人型でなくてもいいですね。ただし、エンタテインメントロボットだと二本足で歩いているほうが、人に感動を与えます。人間は自分に近いものに対して特別な感覚を抱くという特性があります。脳の中にミラー細胞というのがあって、誰かがコップでお茶を飲んでいると、自分がコップでお茶を飲むときに興奮する細胞が興奮する仕組みになっているのです。そういうことがブレーンサイエンスのほうからもわかってきていて、エンタテインメントロボットにおいては二足歩行というのは重要なポイントです。
今、ロボット開発企業が、「リアル」より「かわいい」を思考する背景には、こうした考えがあるようだ。確かに、アニメやCGでも、人間そっくりよりはデフォルメした方がヒットしやすい。そうでなければ、無意識のうちに人間だと思ってしまうようなレベルにする必要がある。ATR脳情報研究所のテリー・シャミナド研究員によれば、「見かけが人間に近いアニメの場合ほど、自然な動きに対しても、それを人工的な動きだと見なしやすい」という。
……シャミドナドさんは、「脳に、『動き』と『見かけ』を関連させながら鋭く関知するシステムがある」と見て、それが不気味の谷を生んでいるという。
人間は、見かけがよりリアルなものに対して、「違和」への感受性が敏感になる、という特性を持っている可能性がありそうだ。(朝日新聞)
私が、「ターミネーター」で時々感ずる「不気味さ」は、ある意味では、「ゾンビ」に対する「不気味さ」と同じである。そして、人が「ゾンビ」に対して不気味さを感ずるのは、人間の脳が成長過程で作り上げた「違和」への感受性の敏感さによるということになる。おそらく、「共感」することを拒絶されるような感じを抱くのだ。人間というのは、無意識のうちに、キャラクターに共感したり、反発したりしているのだ。そうすることによって、「違和」の感覚を形成していくのに違いない。実際、赤ちゃんは、「違和」を感じないそうだ。
「不気味の谷」のことがすぐ浮かび、見ました。
番組の内容は災害救助ロボットを中心に、歩行補助、食事補助などの機能を持ったロボットのことで、人間型では(今のところ?)ないタイプのロボットでしたが。
食事補助ロボットは初めて見ました。一見、人の手による食事介助のほうが不自由しないのでは、と思いましたが、違いました。
このロボットによって、向かい合っていっしょに食卓につけるのは素晴らしいことなのですね。いっしょに、「熱いね」「冷たいね」と食事の温度も共有しながら食卓を囲めること、それをロボットが可能にしたのです。
胸が熱くなりました。
28日は、夜、神楽坂で飲んでおりました。
だから、残念ながら、『日経スペシャル』は見られませんでした。
面白そうな番組ですね。
ロボットは、息子が大好きで、ロボットコンテストなどは、欠かさず見ています。
これから、ロボットもどんどん進化していきそうですね。