電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「三菱欠陥車事件」と「ウィニー事件」の初公判

2004-09-02 09:24:32 | デジタル・インターネット
 昨日は、「三菱欠陥車事件」(横浜地裁)と「ウィニー事件」(京都地裁)の初公判があった。両方とも、大きな裁判になりそうだ。「三菱欠陥車事件」では、被告側は国交省を相手にして、徹底抗戦の構えだし、「ウィニー事件」では、「ソフト開発」自体には違法性はないということで徹底抗戦すると言っている。

 「三菱欠陥車事件」の場合は、裁判の長期化にたいして、販売現場の方から懸念の声が出ているだけでなく、母子死傷遺族は、無実を主張する三菱側を非難している。マスコミの論調もこの線に沿って展開されているようだ。ある意味では、遺族や社会に対して罪を認めたのだから、裁判で無実を主張するのはおかしいという論調だ。しかし、私は、国交省の責任も当然あるだろうと思う。だから、裁判は裁判として、ルールの問題として、徹底的にやられるべきだと思う。

 「ウィニー事件」の方は、逆に、東大大学院助手の金子勇さんを支援する会ができているように、世間の論調は、必ずしも否定的ではない。しかし、この場合も、世間の評価とは別に、「ファイル交換ソフト」の開発の問題とそれをどう利用したかという問題は、厳密に区別して論じられるべきだ。

 ただし、金子さんの、「技術の進化は止まらないし、止めようとしても止まるものではない。技術そのものを有効活用する方向を目指すべきだ。ソフト開発が犯罪の幇助に当たるという前例が作られれば、開発者には大きな足かせになってしまう。私は無罪です」という主張と、検察側の「匿名性の高いファイル交換ソフトを作れば、警察に摘発されることがなく、著作物の提供者は新しいビジネスモデルの開発に着手することになると考えた」という主張は、微妙にすれ違っており、微妙に交錯しているように思う。

 私には、金子さんの主張も、検察側の主張もおそらく両方とも正当性があるように思われる。なぜなら、P2Pの技術自体については、つまりP2Pを実現できるソフトの開発会社は、著作権幇助にならないというアメリカの判例があり、これは、インターネット時代の趨勢だ。しかし、匿名性の高いファイル交換ソフトをつくれば、著作物の提供者は新しいビジネスモデルの開発に着手せざるを得ないというのも事実であり、おそらくそういう意図もあったのではないだろうか。この辺は、もう少し裁判のなかで明らかに事実が明らかにされないと分からない。

 いずれにしても、コピー機を持ち出すまでもなく、コピーができるからといって、著作権幇助に当たるなどいうことは間違っている。そんなことをいえば、印刷することだってできなくなってしまう。技術というのは両刃の剣だ。どんなに他愛のないソフトでも、正しい使い方と間違った使い方はあり得る。たとえ、間違った使い方があり得るということを知っていたとしても、正しい使い方も知っていれば、そして正しい使い方をめざして開発したと考えるべきである。「原子爆弾」に正しい使い方などないのだ。それは、ただ、破壊するためにだけ存在するからだ。

 ところで、「ウィニー事件」に対する、東浩紀さんの指摘は鋭い。東さんは「ウィニー事件」は二つの問題を提起していると述べています。一つは、
(1)現行の著作権制度とP2Pの可能性の矛盾という問題。これはつまり、モノの複製不可能性を前提とした歴史的な財産権(property)のシステムと、データの複製可能性が引き起こしている矛盾で、きわめて原理的な問題です。
 これに対して、もう一つあるという。
(2)Winnyが現行の著作権制度を逸脱する「反社会的」ソフトだったとして、その反社会的な行為になぜ100万とも200万とも言われる人々が加担したのか、という疑問なわけです。


 前者の問題については、いろいろと意見はあるだろうし、ある意味問題の性格はわかりやすい。しかし、後者の問題は、私はそんな視点があるとは考えもみなかった。東さんは、後者の問題は年金未納問題と同じだという。
……今日の新聞にも書いてありましたが、国民年金の未納者は2003年度も37%。これだけ払っていないひとが多いとなると、僕は、これは、国民の意志と見なすべきだと思うのです。選挙や司法は、国民の意志を国家運営に反映させる唯一の手段ではない。実際、報道や世論調査も大きな役割を果たしているわけですが、こういう集団ボイコットのかたちで示される意志もあると思うのです(ちなみに、この問題は、ずっと前に書いた「降りる自由」とも関連します)。おそらく、未納者のほとんどは、年金制度そのものが必要ないと思っているわけではない。年金は納めたいけど、現行制度はあまりにひどいから収めないわけです。そして、そのせいで自分が年金をもらえなくても、それは仕方ないと考えている。
Winnyで起きたのも、原理的には同じことではないでしょうか。Winnyの流行で示されたのは、単価が高いうえにマイナーな作品が手に入りにくい現行のコンテンツ流通システム全体に対する大きな「NO」だと、僕は理解しています。200万人近いユーザすべてが確信的な犯罪者で、コンテンツなんてカネ払わなくて当然だと思っていたかといえば、それはやはり考えにくい。実際には、あの音楽聞きたいなあ、あの映画見たいなあ、と思ったとしても、CDを買うと不要な楽曲も入ってくるしDVDは無意味に高いしレンタルビデオ屋は遠いうえにハリウッドの新作しか置いてないし、じゃあとりあえずnyで探してみるか、というひとも多かったと思うわけです。


 つまり、東さんは「安価で便利で作品の多様性を保証した課金システムがネット上にあれば、著作権を尊重した行為へと誘導できた」ということを言いたいわけだが、そこまでいうと、Winnyの作者もそれは考えたのかもしれないということになり、検察側の主張と同じになる。おそらく、東さんはWinnyの作者は、「無実」ではないかもしれないが「意味のある行為」をしたと考えているのだと思う。

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