今日、息子と従姉妹を連れて、東武川越スケートセンターに行った。先月の30日に行ったときは、空いていたのに、今日は三連休の最終日であり、その上子どもたちにとっては冬休み最後の日でもあるせいか、とても混んでいた。入り口で並んでいたのには驚かされた。それでも、ほぼ開場時間に着いたので比較的早いほうだった。先月に引き続き最近二回目のスケートだが、これまで20年近くは滑ったことがなかった。それでも、子どもが「パパはすごいね!」と感心させるくらいは滑ることができた。
子どもの頃、岐阜県の中津川ではスケートが流行っていた。近くの溜め池に氷が張り、村の青年団の人たちが、氷の状態を確かめ、整備し、スケート場を開いていた。今はほとんど氷が張らないし、はったとしてもスケートができるほど厚くならないそうだ。40年近く昔の話だ。そのころは、今よりかなり寒かったと思われる。1月と2月くらいはスケートができたような気がする。そこで、小さな頃からスケートをした。
そのころは、今のような貸し靴があるわけではないし、子どもにスケート靴を買ってくれるわけでもない。実際、子どもの足はすぐ成長し、靴を毎年買い換えなければならなくなる。だから、当時は下駄スケートというのがあった。靴の代わりに下駄になっていて、鼻緒に足を入れ、ひもでしっかりと固定して滑るのだ。しかも、スピードスケート用のエッジが着いていた。フィギュア用があったのかどうかは分からない。とにかく、一回買って、その下駄スケートをずっと使っていたような気がする。
従兄弟が高校に入り、スケート部に入ったが、彼も高校に入ってから靴を買ったのだと思う。まあ、私たちにとっては、その下駄スケートで十分間に合った。私は、従兄弟ほどではないが、それでもそこそこ滑ることができた。もちろん、フィギュアではないので、早く滑ることだけで、あまり芸は無い。コーナリングができたり、バックで滑ることができたりする程度だ。それでも、今のようにゲーム機があるわけでもないし、漫画が沢山あるわけでもない田舎では、とてもスリリングなスポーツだった。
スキー場は少し遠く、行くまでが大変だった。スケートは、休みの日にはいつもやっていたように思う。平日は、学校があり、スケート場は大体午前中しかできなかった。午後になると、氷が柔らかくなり、あぶない。実際、私の同級生は、氷が割れて落ちたことがある。私が中津川で身につけたスポーツはそれが唯一のスポーツだったように思う。中学校から、私は文化系のクラブ活動で、体育系は苦手であった。しかし、高校を卒業してからは、中津川から離れ、時々お遊びで友だちとスケート場に行って滑る程度だ。
そんなわけで、東京へ来てからは、ほとんど滑った記憶がない。息子が大きくなり、体操教室でスケートに行き、あまり滑れなかったことが悔しくて、練習したいといい、昨年初めて連れて行った。そして、三時間ほど滑り、一応自分ひとりで、リングを一周できるようになった。よほど自信がついたのだと思う。今日は、従姉妹を誘った。私は、先月の久しぶりのスケート場が本当のところ心配だった。こういうスケート場では、大体フィギュア用で滑ることになる。スピードスケートをやっていたので、ちょっとだけなれるまで大変だった。それでも、まあ、子どもの手を引いてやるくらいは滑ることができたので信頼されたわけだ。
息子は、一日で自転車に乗れるようになったことと、スケートを滑ることができるようになったことで、私にとても感謝している。それ以外のことでは、たいてい子どもにバカにされていることの方が多いが、それでもいくつかは、まだ子どもに教えてとねだられるうちは華だと思う。そういう思いで、子どもを連れて遊びに行くことも大切な親の勤めだと思うようになった。ただ、年とともに、それがハードになってくるのは確かだが。
子どもの頃、岐阜県の中津川ではスケートが流行っていた。近くの溜め池に氷が張り、村の青年団の人たちが、氷の状態を確かめ、整備し、スケート場を開いていた。今はほとんど氷が張らないし、はったとしてもスケートができるほど厚くならないそうだ。40年近く昔の話だ。そのころは、今よりかなり寒かったと思われる。1月と2月くらいはスケートができたような気がする。そこで、小さな頃からスケートをした。
そのころは、今のような貸し靴があるわけではないし、子どもにスケート靴を買ってくれるわけでもない。実際、子どもの足はすぐ成長し、靴を毎年買い換えなければならなくなる。だから、当時は下駄スケートというのがあった。靴の代わりに下駄になっていて、鼻緒に足を入れ、ひもでしっかりと固定して滑るのだ。しかも、スピードスケート用のエッジが着いていた。フィギュア用があったのかどうかは分からない。とにかく、一回買って、その下駄スケートをずっと使っていたような気がする。
従兄弟が高校に入り、スケート部に入ったが、彼も高校に入ってから靴を買ったのだと思う。まあ、私たちにとっては、その下駄スケートで十分間に合った。私は、従兄弟ほどではないが、それでもそこそこ滑ることができた。もちろん、フィギュアではないので、早く滑ることだけで、あまり芸は無い。コーナリングができたり、バックで滑ることができたりする程度だ。それでも、今のようにゲーム機があるわけでもないし、漫画が沢山あるわけでもない田舎では、とてもスリリングなスポーツだった。
スキー場は少し遠く、行くまでが大変だった。スケートは、休みの日にはいつもやっていたように思う。平日は、学校があり、スケート場は大体午前中しかできなかった。午後になると、氷が柔らかくなり、あぶない。実際、私の同級生は、氷が割れて落ちたことがある。私が中津川で身につけたスポーツはそれが唯一のスポーツだったように思う。中学校から、私は文化系のクラブ活動で、体育系は苦手であった。しかし、高校を卒業してからは、中津川から離れ、時々お遊びで友だちとスケート場に行って滑る程度だ。
そんなわけで、東京へ来てからは、ほとんど滑った記憶がない。息子が大きくなり、体操教室でスケートに行き、あまり滑れなかったことが悔しくて、練習したいといい、昨年初めて連れて行った。そして、三時間ほど滑り、一応自分ひとりで、リングを一周できるようになった。よほど自信がついたのだと思う。今日は、従姉妹を誘った。私は、先月の久しぶりのスケート場が本当のところ心配だった。こういうスケート場では、大体フィギュア用で滑ることになる。スピードスケートをやっていたので、ちょっとだけなれるまで大変だった。それでも、まあ、子どもの手を引いてやるくらいは滑ることができたので信頼されたわけだ。
息子は、一日で自転車に乗れるようになったことと、スケートを滑ることができるようになったことで、私にとても感謝している。それ以外のことでは、たいてい子どもにバカにされていることの方が多いが、それでもいくつかは、まだ子どもに教えてとねだられるうちは華だと思う。そういう思いで、子どもを連れて遊びに行くことも大切な親の勤めだと思うようになった。ただ、年とともに、それがハードになってくるのは確かだが。
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