電脳くおりあ

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津田梅子の卒業生への「塾長式辞」

2006-06-11 22:03:33 | 日記・エッセイ・コラム

 昔、20年くらい前に、津田梅子について調べ、簡単な文章を書いた記憶がある。明治4年(1871年)、5人の少女が選ばれて、留学生としてアメリカに派遣された。津田梅子はその中の最年少で、わずか6歳だった。6歳ではあるが、留学したアメリカから達者な候文で手紙を書いていたから、早熟で利発な子どもだった。それから、11年、ほとんど日本語を忘れてしまって梅子は日本に帰ってきた。梅子たちをアメリカに送り出した、「これからは女性も教育を受けるべきだ」と考えた「開拓使本庁」は既になく、後を引き継いだ文部省は、梅子たちの受け入れ体制など考えてもいなかったようだ。そのときから、梅子の苦難の道が始まる。

 津田梅子とは、津田塾大学を創設した人である。南山短期大学の近江誠教授が『挑戦する英語!』(文藝春秋/2005.12.10)で、第4章「先駆者となる」の中にこの津田梅子の「卒業生へ『塾長式辞』」を取り上げている。これは大正2年(1913年)に、42歳になった梅子が、当初は「女子英学塾」と言った梅子自身が創設した女子高等教育機関での塾生の卒業式での式辞である。まだ残っている雑音に幾分かき消されがちで、どこか遠くでソプラノで歌うかのように流れてくる津田梅子の肉声は、感動的である。約100年近くも昔の声が聞こえてくるのだ。

 実は、日本で初めてレコードが発売されたのは1909年で、津田梅子の卒業式の式辞を朗読したときの4年前である。津田梅子の式辞は、現在のコロンビアミュージックエンタテインメントの前身のレコード会社のレコードに早稲田大学総長の大隈重信など数人のスピーチと一緒に録音されていた。このレコードは、津田塾大学に2枚残っていたが、1枚はヒビが入り、もう一枚は雑音が酷く、とても聞き取れるようなものではなかったようだ。しかし、津田塾大学創立100周年事業の一環で資料を整理していたときに、梅子のスピーチの手書き原稿が発見された。それをきっかけに、津田塾大学では、早稲田大学音響情報処理研究室の山崎芳男教授に、この歴史的な音源を現代に甦らせることを依頼した。

 今私の聞いている津田梅子のスピーチは、そうして聞くことが可能になったものを『挑戦する英語!』に収録したものだ。私は、近江教授の前の本の『感動する英語!』(文藝春秋/2003.12.25)も愛読している。こちらの方には、キング牧師の「I have a dream!」で有名な1963年の演説や、「Old Soldiers Never Die」で有名な、マッカーサーの1941年のスピーチが収録されている。もちろん、そのほかにも、興味深いスピーチが収録されているのだが、本人の肉声が聞けるというのはまた別の興味深さがある。ただし、私の英語力の未熟さから肉声の本当の面白さはまだ十分に味わうことまではできていない。

 津田梅子は、6歳からアメリカに行ったので、11年後に帰ってきたときには日本語を全く忘れてしまっていたと言われている。それは当然で、現在の脳科学の知見によれば、母語が決定づけられるのは10歳頃で、バイリンガルの子どもたちも10歳頃に自分の母国語をどちららにするか悩む時期があるらしい。もちろん、それは、日本語と英語を同時に使っていて悩むのであり、津田梅子のように全く英語で生活を送っていた場合には、母語は必然的に英語になってしまったに違いない。だから、梅子は、日本語より英語の方が堪能であり、式辞も英語のスピーチになったと思われる。

  Graduation from school may be compared to the launching of a ship that starts out to meet the test of wind and wave.(近江誠著『挑戦する英語!』p51)

 梅子は、卒業して社会に出て行くことを、船旅(voyage)に例えている。私には、梅子が未知の国アメリカに向かって横浜から船で出発したときの気持ちがそこに込められているような気がして仕方がない。

  One great beacon light is Truth. It will shine in every one of our souls, if only we do not refuse to see. It points out to us our own shallow attainments, our petty meannesses, our selfishness, vanity or jealousy; and reveals to us the good in others. Thus we may escape the rocks of pride and self-love.(同上p51)

 これは、梅子のアメリカでの体験に裏打ちされた言葉だと思う。人生を導く灯台の明かりの第1に「真理」(Truth)を持ってくるというところに津田梅子らしい生き様がある。

  Follow also the guiding lights of Love and Devotion. In women, these are called instincts, but yet how narrow often is our love, how fickle and shallow, our devotion. Learn to love broadly, deeply and devotedly, and your lives can not fail. With nobler desires, greater earnestness and wider sympathy not limited to just a few, but taking in the many even beyond the home, the weakest of us may attain success.(同上p52)

 梅子はアメリカでランマン夫妻のもとで育てられ、梅子もランマン夫妻も国費で留学しているという責任を感じていたという。そして、梅子とはアメリカで、クリスチャンになっている。梅子が「愛」と「献身」というとき、彼女の脳裏に去来していたのは、そうしたアメリカでの体験やこれからの日本の女性に対する期待が込められているような気がする。当時、「女子英学塾」を卒業するというのは、とても期待されていたに違いない。まさに「You have had wider opportunities than many Japanese women.」だったのだ。

 それにしても、この梅子のスピーチは、少しも古くないことに驚かされる。梅子のスピーチの少し前に、ケネディー大統領の「Inaugural Address」が載っている。そこで敬虔なカトリック教徒だったケネディーが最後に、「Let us go forth to lead the land we love, asking His blessing and His help, but knowing that here on earth God's work must truly be our own.」と結んでいるのを読んだが、津田梅子のスピーチのほうが新しい印象を覚えるほどだ。

 私は、いま、脳の老化のを防ぐ一つの方法として、この『感動する英語!』と『挑戦する英語!』の2冊を毎日少しずつ声に出して朗読したり、ノートに書き写したりしている。それで本当の脳が若返るのかどうかは今のところ不明だが、ここに掲載されている英文は、基本的にスピーチであり、朗読するにはとても適している。そして、何度も読み返している内に話し手の人柄が、少しずつわかってくるような気がしてくるから不思議だ。もちろん、それはほんの一部だが、話し手の一つの歴史的な側面を見ることができて、とても興味深い。


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