ヒット作や受賞作ばかりが“名作”ではない。公開当時に酷評され、現在では当然ストリーミングでも観ることが叶わない『天使の復讐』は、後に多くの作品へ影響を及ぼしたカルトムービーだ。サム・レヴィンソンによる『ユーフォリア』で女子高生が主演ゾーイ・タマリスの尼僧姿を仮装していた他(そんなZ世代いるのか?)、スタイリングの洗練と殺人鬼の組み合わせは『キリング・イヴ』のヴィラネル、プロットラインはエメラルド・フェネル監督作『プロミシング・ヤング・ウーマン』への影響が色濃く見られる。
縫製会社がひしめくNYの工場街。御針子として働くろうあの女性サナは、1日で2度も強姦される。“物言えぬ”女性に向けられた性的搾取の眼差しは今も変わらぬ光景であり、サナは警察に行くこともできないまま内に恐怖を抱き、やがて銃を手に夜の街へと繰り出していく。いわゆる“レイプリベンジムービー”として公開時にB級扱いされた本作は、しかし監督アベル・フェラーラが当時のパートナーである主演ゾーイ・タマリスから終生のパフォーマンスを引き出し、観る者を圧倒する。彼女のサイレント演技によって強烈な眼光はスクリーンを射抜き、復讐者と化してからのスタリッシュな立ち振舞いはまさに死の天使の如き美しさである。しかし暴力によって洗練を増すサナがアイコニックな尼僧姿に扮する頃には、そこにナルシシズムも漂い始める。ここにはニューシネマが描いてきた暴力の代償、一線を超えた人間が元には戻れなくなってしまうことを描いた厳しさがある。
現在の再上映は多分に政治的正しさで語り直してしまいがちだが、見逃してはならないのがある男の存在だろう。妻の浮気を疑い、後を追ったこの男は彼女が女性同士の情事に溺れる様を目撃し、絶望の末、妻の愛犬を絞め殺したと告白する。荒んだ街では男もまた自らの有害さに蝕まれ、疲弊している。トッド・フィリップスの『ジョーカー』は1970〜80年代のNY映画が映していた都市の荒廃を主人公の心象としていた。『天使の復讐』の再上映はスクリーンに映された81年NYのランドスケープこそ注目すべきである。ラストシーン、復讐者に残されたわずかな優しさに、胸が締め付けられた。
『天使の復讐』81・米
監督 アベル・フェラーラ
出演 ゾーイ・タマリス
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