Netflixで何気なく観た映画
「フジコ・ヘミングの時間」
がとてもよかったので紹介します。
フジコ・ヘミングといえば、誰もが知っている世界的なピアニストです。
その生涯もTVなどで紹介されているので、知っている人は多いと思います。
この映画は、現在のフジコ・ヘミングを追いながら、過去のエピソードも織り交ぜて、現在と過去を行き来しつつフジコの生涯に迫るドキュメントです。
全編に流れるフジコ・ヘミングのピアノが美しい。
80歳をすでに超えた彼女は、見た目はお婆さんですが、まるで妖精のようです。独特のスタイル、髪型も衣装もユニークで、そこにいるだけで存在感が際立つ人物です。
このドキュメンタリーを見て私は、フジコ・ヘミングって、
まれびと
なんじゃないの、と思いました。
まれびと、というのは民族学者折口信夫の用語で、
「時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的な存在(wikipedia)」
フジコ・ヘミングは、この世に何かをもたらすために、他界から派遣された天使、あるいは妖精のような人なんじゃないか、と思ったのです。
「私、だけど本当に16歳くらいの気分よ・・16歳以上になりたくないと思うし、時々自分の年齢を考えるとゾッとしちゃって、もうどうしたらいいだろうと思っちゃう・・」
驚いたのは彼女の活動範囲の広さ。最初に紹介されるのはパリのアパルトマンで、そこを拠点としつつ、東京、パリ、アメリカなど世界各地に家をもっていて、演奏活動で世界を飛び回るとき、それぞれの家に滞在する、というライフスタイルをもっています。
彼女の家には猫や犬がたくさんいますが、常に一人暮らし。留守を預かる友人たちは大勢いて、決して孤独ではないようですが、やはり孤独の影はつきまといます。
フジコ・ヘミングはスウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれましたが、父は彼女と弟が幼い頃に去り、二人を育てたのはピアニストの母でした。
母はフジコをピアニストにするために厳しく育てました。
東京芸術大学に入学しますが、海外留学の直前になって、国籍がないことが判明。第二次世界大戦中の混乱で、長いこと無国籍だったのです。
フジコ・ヘミングがようやく演奏家としてスタートしたのは30歳になろうという頃でした。
ところが、華々しいデビューを飾るはずだったコンサートの直前に風邪をこじらせて聴力を失います。
療養の末、左耳の聴力は40%ほど回復しますが、フジコは長らく失意の中ですごし、日本に帰国します。ピアニストになる夢をあきらめかけていた、ある日、
TV局が彼女の評判を聞きつけて、番組で紹介します。
フジコ・ヘミングは一夜にして有名人になります。
CDアルバムが200万枚超えを記録するなど、クラシック音楽界では異例なことが続きます。
この時、フジコは60代も終わりにさしかかっていました。
フジコ・ヘミングの生涯は非常に波乱に満ちたものですが、音楽のために生まれてきたような人なので、彼女の唯一の伴侶はピアノです。
80歳を超えた今も毎日4時間の練習は欠かさず、世界各地を飛び歩き、精力的に活躍しています。
これって、どこかヨギの修行に似ていますね。
ヨギたちが苦しい修行をするのは、解脱の道を探すためなのですが、実はそうすることによって世界を照らしているのです。
世界には、陰と陽、+と-、北と南、男と女・・というように、対になるものが存在します。
ヨギたちの苦行、艱難辛苦は、一方で、世界を照らす光になりうる。
フジコ・ヘミングも、その波乱の生涯を通して、音楽を磨き上げ、自身の魂を磨きあげ、そうすることによって、世界を照らす存在になったのではないでしょうか。
何より、フジコのピュアな感性がピアノの透明な音に表れています。それは人々を癒し、光の方向に導いてくれます。
スウェーデン人の父親からデザインの才能を、日本人の母親からピアノの才能を受け継いだフジコ・ヘミングは才能あふれる人ですが、その才能を開花させるためには、あまりに多くの苦難と苦行を強いられなくてはいけなかった。
でも、だからこそ、彼女のピアノは人々を魅了するのでしょう。
フジコはリストのピアノ曲「ラ・カンパネラ」に誇りをもっている、と言って・・
「なぜかっていうと、精神面が全部でちゃう。いくらごまかそうと思っても、ああいう死に物狂いで弾く曲だから・・日々のおこないと精神が全部でちゃう。わかる人にはわかる、わかんない人にはみんな同じに聞こえる・・」
最後の方で演奏される「ラ・パンパネラ」は圧巻です。聞いているだけで魂が透明になり光で充たされていくのを感じます。
なお、音楽だけじゃなく、インテリア、彼女の服装、そして室内に飾られているフジコの絵・・どれも独特で一つ一つがアートです。ぜひ注意して見ることをお勧めします。
音楽が好きな人は特に、そうじゃない人にもぜひ見てほしい映画です。
(猫もいっぱい出てくるにゃ)