映画「シャドー・メーカーズ」を見ました。
(ローランド・ジョフィ監督作品。1989年公開)
原文のタイトルは "SHADOW MAKERS /FAT MAN AND LITTLE BOY"
言うまでもなく、広島・長崎に落とされた原爆の名前ですね。
ロス・アラモス研究所でオッペンハイマーたちが原爆を開発するマンハッタン計画の話です。
戦争はまるで遠い世界の出来事のよう。
ニューメキシコの山の上にあるロス・アラモス研究所に集められた科学者たち21人は、その優秀な頭脳を結集させて、ひたすら原爆開発に邁進します。
それを統括するのは、ポール・ニューマンが演じるグローヴス准将です。
ポール・ニューマンにしては珍しくタカ派の軍人役で、彼のごり押しともいえる強力な統括のもと、最初は懐疑的だったオッペンハイマーたちも、やがては、原爆が戦争を終わらせる最終兵器になるとの結論に達します。ドイツもまた原爆の開発に血道を挙げていると聞けば、誰しも熱心にならざるをえないでしょう。
話の中心は、研究者グループの中心、オッペンンハイマー。
彼は途中までかなり煩悶します。このような兵器開発に関わってよいのだろうかと。
科学者たち(アインシュタインたち)の嘆願書も読みます。
けれども、狭いところに集団で閉じ込められ、戦争からは遠く、ひたすら研究に明け暮れているうちに、現実世界から遊離していくのは必至です。
原爆が投下された町がどのようになるのか、彼らなら十分想像できたはず。
しかし、オッペンハイマーは恋人の死によりショックを受け、そのショック状態のまま原爆開発に邁進してしまうのです。
ヨーロッパでドイツが降伏し、しかもドイツは原爆開発に成功していないとの情報も流れますが、グローヴス准将は開発をやめようとはしません。
オッペンハイマーは、もう原爆の開発は必要なくなったと主張します。
でも、結局グローヴスに説得され、彼はこういいます。
「原爆は日本を無条件降伏させるための手段だ。もしも、どこか別の場所に投下して原爆の威力を見せつけたとしても、日本が降伏しないなら、ウランが足りなくなるからだ」
そして、こうも言います。
「私たちは装置(原爆のことを指す)を作るだけだ。それを使用する責任はない」
アイヒマンと同じ考え方ですね。私は命令されたことをしただけだ。
やがて、オッペンハイマーはこう言い出します。
「確かに危険なものだが、それ以上に魅力的だ。無限にエネルギーを供給できる。世界を動かす力だ。それが手に入る。新しい世界だ!」
一人の科学者の短い間の変遷が見てとれます。
彼は非常に優秀でしたが、叩き上げのグローヴス准将のように強くない。やはり金持ちの坊ちゃんの脆弱性を持ち、考え方を二転三転させながら、戦争の中で次第に自分を見失っていきます。
同じく戦争に関わった科学者たちの映画で「イミテーション・ゲーム」を思い出さずにはいられません。
アラン・チューリングはドイツ軍の暗号エニグマの解読のために、今のコンピューターの基礎を築いたのでした。
アラン・チューリングとオッペンハイマー、よく似ていますね。
科学者って、どこか人間的な感情そっちのけの好奇心の塊のようなところがありますね。優秀な人ほど特に。
(フリンジに登場するウォルターがまさにそう)
その好奇心に突き動かされて、どこまでも突き進んでいく様は、科学者の業とも言うべきものなのかもしれない。
その先にあるのが、大勢の人の命を救うことなのか、はたまた人類を破滅させる脅威となるのかは、研究対象の違い、だけなのかもしれません。
アラン・チューリングだって、オッペンハイマーの立場だったら、原爆の開発に邁進したかもしれない・・
三人の女性が登場します。
オッペンハイマーの妻、恋人、そして、メリマン(被爆して亡くなる)の恋人。
オッペンハイマーの妻は、なぜ殺すの? と彼を問い詰めますが、彼に答えはありません。
実験が成功した時、グローヴス准将は握りこぶしを作り、神は我々に味方したと言いますが、オッペンハイマーは少し口元をゆがめただけでした。
彼の気持ちはまだ揺れ動き、整理されてはいなかったのです。
それでも、後戻りできないところまで来てしまったので、彼はそのまま突き進んだのでした。
実験成功で、映画は終わります。
でも、重要なのは、新しい世界がここから始まったということです。
人類が核を手に入れた瞬間からです。
オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれるようになります。
広島、長崎に原爆が落とされた事実は、かろうじて最後のテロップに流れます。
でも、実際にどれだけの被害があり、どのような惨状だったのかは、映画では一切語られません。
それは、遠い世界の果ての日本という野蛮な国の都市が二つ消滅しただけの、
彼らにとっては、さほど大きな事件ではなかったからでしょう。
アメリカでは、残念ながら今もなお、原爆は戦争を終結させるために必要だった、と多くの人が信じているようです。
我々人類の行く末は、アラン・チューリングやオッペンハイマーのような優秀なひと握りの科学者たちの手にかかっているのかもしれません。
「イミテーション・ゲーム」はそれを強烈に印象付けてくれました。戦争の実態が何なのかということも。
「シャドー・メーカーズ」はそうした点については曖昧で、消化不良が残ります。特に、私たち日本人にとっては、とうてい満足できる映画ではありませんが、それでも、ロス・アラモスで何が行われていたのかを知るためには一見してもいいかと思います。
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