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世界と日本のボーダー文化

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書評 トム・マシュラー『パブリッシャー 出版に恋した男』

2008年05月04日 | 小説
創意工夫に富む「冒険家」としての出版者
トム・マシュラー(麻生九美訳)『パブリッシャー 出版に恋した男』(晶文社 2006)
越川芳明

 ページをめくるのが惜しいと思われるほど、作家をめぐる面白い逸話やゴシップの詰まった回想録だ。

 それもそのはず、著者は長年イギリスの文芸出版社「ジョナサン・ケープ」のカリスマ編集者としてならし、二〇〇〇年に『ブックセラー』誌から「今世紀の出版界に最も影響を与えた十人の出版人」に選ばれた人だから。

 なるほど英語での出版という有利さはあるにしても、著者が出版にかかわった作家や詩人の中でノーベル賞を受賞した者が十余人! というのがすごい。
 
 著者は、自分の出そうとしている本(特に文芸もの)で、まず売れ行きを念頭においたことはない、と断言する。自分がよいと感じる質の高いものを出版するのだ、と。
 
 それでいて、かつて無名のガルシア=マルケスとは五冊丸ごとの契約を結び、五冊目の『百年の孤独』が大ベストセラーになったとか、ケイプ社で最初に買い付けたジョゼフ・へラーの『キャッチ22』がたったの三カ月で五万部も売れ、アメリカ版すら上回る数字だったとか、すごい裏話がいっぱい出てくる。
 
 どうしてそんなことが可能になるのか。成功の訳を知りたい業界人や、昨今、売れ行きが伸びずに営業サイドから突きあげを食らっている編集者は、本書を読めばよい。
 
 だが、真似をするのは至難のわざだ。というのも、著者の生い立ちからして、非常に特殊だからだ。

 一九三三年、ドイツのユダヤ人家庭に産まれた著者は、父が書籍の販売にかかわり成功を収めていたが、折からナチスの台頭があり、家族は命からがら移住先のオーストリアからニューヨークに逃げようとする。が、船便がなく仕方なくロンドンに移住。トム少年は、イギリスの貴族の家に賄い婦として職を得た母と一緒に、馬小屋のようなところに暮らし辛酸をなめる。

 少年時代に、独立独歩の道を歩むように育てられた。

 フランス語を学ぶために見ず知らずのフランス人の家庭で一夏すごさせられたり、また大学には行かずに、イスラエルのキブツで働いたり、アルバイトをしながらアメリカ大陸の横断を試みたり、その無銭旅行の記事をニューヨークの新聞社に売り込んで、帰りの便の資金にしたりと、すでに創意工夫に富む「冒険家」としての片鱗を見せていたようだ。
 
 本書の中には、百五十人を超える作家が登場する。著者がかかわった作家たちとのエピソードはどれも興味深い。

 ぼくの大好きなブルース・チャトウィンの秘密主義的な行動、カフェのテーブルで無言のベケット、ブッカー賞を逃した席で審査委員長からきみの作品が最高作だったが、最高作が受賞するとはかぎらないと言われて激怒したサルマン・ラシュディ、ゴージャスな避暑地で夏をすごしているウィリアム・スタイロン、『メイソン・アンド・ディクソン』の執筆のために七〇年代にこっそり大英博物館で調査していたトマス・ピンチョンとのランチ、ヴォネガットの妻(写真家のジル)の厚かましい申し出、唯一例外的に儲け優先で「発掘」したジェフリー・アーチャーの不遜な態度など、枚挙に暇がない。

 そんな中でも、ジョン・ファウルズの『フランス軍中尉の女』の映画化にまつわる話がとびきり面白い。というのも、著者は自ら「エージェント」を買ってでて、監督や脚本家の選定にかかわり、映画界で働くという若い頃の夢を果たすばかりでなく、販売促進作戦として通常の書籍でしているように、単に映画資料を五つの新聞社に送りつけるだけでなく、そのうちの二社から稿料をとることまでするからだ。映画会社の宣伝部には思いもつかぬこの戦略も、著者にいわせれば、実に理にかなっている。著者いわく、「無料であげるより売ったほうが本気で受け止めてもらえるからだ」
 
 著者は、フランスのゴンクール賞にならって、イギリスでも書籍の販売戦略として「ブッカー賞」を創設している。そして、候補者をあらかじめ六名発表して、販売に利するようにするという案も考えた。トム・マシュラーというユダヤ人の出版人、アイディアや行動が斬新かつユニークで、ただ者でないということがお分かりいただけただろうか。

(『読書人』2008年5月9日号)

トム・マシュラー 
1933年、ドイツ生まれのユダヤ人。ナチスの手を逃れて、幼くしてイギリスに移住。カリスマ編集者として、英国のジョナサン・ケイプ社を一流の文芸書の出版社にする。