すべてを欲しがるものは、すべてを失う
ーー国境の南、メキシコのボーダーを歩く
越川芳明
テキサス州エル・パソから国境のサンタフェ橋を歩いて渡り、メキシコのフアレス市に入ると、白塗りのシボレーが待っていた。
テンガロンハットを被った中年の運転手が車に乗っていたが、まるで非情なハンターみたいにめざとく私の姿を認めると、外に出てきて、左手でこっちへ来いと合図を送ってきた。
なんだか私は地理の不案内のこの町で、ハンターに言いなりになる猟犬みたいな気持ちになった。
フェデリコ・デ・ラ・ベガ氏はフアレスの大富豪だということだったが、私には面識がなかった。
「ハポネス(日本人)?」と、私が後部座席に乗り込むと、ベガ氏のお抱え運転手が訊いた。
「そう」
「フアレスは初めてかい? なんでまた?」
「まあ、いろいろと。『ボーダータウン』(1)という映画、見ましたか? この町の連続女性殺人事件を扱ったものだけど」
運転手はなぜか、しばらく無言のままだった。「その映画、アメリカじゃ公開されてないらしいよ」
「当局から圧力がかかったってこと?」
「そんなこと、わかるものか」運転手は急に怒ったようにそっけなくいうと、黙ってしまった。
この運転手は、被害者の女性の側に立っているのか、それともモラルのない娘たちが夜遊びして犯罪に巻き込まれただけだとうそぶく警察署長や地元政治家たちの側に立っているのか。
シボレーはフアレス市の東部のほうへ向かっていた。
外の風景も、いつの間にか商店やレストランのはいったビルなどが立ち並ぶダウンタウンから、落ち着いた住宅街へと変化していた。
家という家は防犯のために、まるで動物園の檻のような鉄格子を張り巡らしていた。
フアレスは、サンディエゴの対岸の町ティファナと並ぶ、巨大なメキシカンマフィアの暗躍する町だ。
フェデリコ・デ・ラ・ベガ氏の屋敷の前に着くと、運転手はリモコンを取り出して、扉をあけた。
まるで刑務所みたいに高い白壁に取り囲まれて、中は建物の屋根さえも、まったく見えない。
扉も壁と同じ白ぬりの塀で、どこからどこまで扉なのか、部外者には分からない。
八〇歳に手が届くかと思えるベガ氏は、居間で私を待っていた。
喉をうるおす冷たい水のペットボトルを給仕に持ってこさせると、裏の庭を案内しようといった。
咽頭癌を患っているために首に包帯を巻いて、声が聞き取りにくかった。
若い頃、米国に留学して、マサチューセッツ工科大学で化学を専攻したといった。
英語が堪能だった。
大きな開きガラス窓を抜けて、居間の外に出ると、石のタイルを敷き詰めた二十五メートルプール大のベランダがあり、そのまわりをアリゾナ砂漠で見かける、人間が両手を広げたような巨大サグアロ・サボテンが植わっていた。
テキーラの原料となるアガベ(竜舌蘭)や、雨期に一度だけピンクや黄色など、鮮やかな花を咲かせるウチワサボテンなども品よく配置されていた。
私とベガ氏は、ベランダから石段を降りて、芝生の植わった広大な庭園の細道を歩いた。
道の脇の大石の上を緑色のトカゲが駆けおりて、石の割れ目に逃げ込んだ。
空を見上げると、首から頭部にかけての部分が白色の禿鷲が大きく黒々とした両翼を広げて悠然と旋回していた。
「立派なサボテンですね」
「ありがとう。砂地のどこかにガラガラ蛇にいて、噛まれた使用人もいるよ」ベガ氏はこともなげにいった。
「もうちょっと奥にいってみよう」
そういうと、ベガ氏は私を屋敷から一番遠い、高いチワワ松に囲まれた、薄暗い雑草の生い茂った一角に案内した。
私はまるで、死者の霊が宿っているような不気味な雰囲気を感じた。
スペイン系の大農場主だったに違いないベガ氏の先祖が、謀反を起こした使用人をここで処刑したのだろうか。
「ここはサッカーの練習場だった。十年前までプロチームを持ってたんだ」と、ベガ氏は、まるでプロの料理人が上客に秘密のレシピを教えるみたいに、こっそり小声でいった。
それから昔、ゴールポストがあったはずの、奥まった雑草に覆われたあたりを指差した。
その向こうの松林の中で、キジが甲高く啼いた。
「サッカーチームを?」
「ああ、すでに手放してしまったがね」
私はしばらく口が利けなかった。
「メキシコの諺を教えてあげましょう。El que todo lo quiere todo lo pierde.(すべてを欲しがる者はすべてを失う)。
君は『ペドロ・パラモ』(2)という有名な小説を知っているはずだね。
貪欲に土地や富を手にいれまくって、すべてを失った男の話だよ」
「ええ。フアン・ルルフォの原作の『金の鶏』(3)という映画も見たことがあります」
「メキシコ的な無常観とでもいえばいいのかな。 裸一貫で築きあげた富も権力も最後にはすべてゼロになってしまう」
「『黄金』(4)という映画も、タンピコのあたりの山奥で砂金を探り当てたアメリカ人が、自分たちの強欲のために最後は無一文になってしまう話でしたね」
ベガ氏の屋敷を後にして、数カ月後、私はフアレス市の女性殺人をめぐる原稿を書く必要があって、それまでに何度も見たロールデス・ポルティージョ監督のドキュメンタリー作品『セニョリタ・エクトラビアダ(消えた少女)』(二〇〇二年)を見直して驚いた。
あのベガ氏のお抱え運転手が、殺された女性の父親の一人としてインタビューを受けていたからだ。
註
(1)グレゴリー・ナヴァ監督、ジェニファー・ロペス主演。二〇〇八年。
(2)メキシコ二〇世紀最大の作家の代表作。
(3)ロベルト・ガバルドン監督、一九六四年。
(4)ジョン・ヒューストン監督、一九四八年。
(『スタジオ・ボイス』2009年3月号ラテンアメリカ特集号 63頁に若干手を加えました)
ーー国境の南、メキシコのボーダーを歩く
越川芳明
テキサス州エル・パソから国境のサンタフェ橋を歩いて渡り、メキシコのフアレス市に入ると、白塗りのシボレーが待っていた。
テンガロンハットを被った中年の運転手が車に乗っていたが、まるで非情なハンターみたいにめざとく私の姿を認めると、外に出てきて、左手でこっちへ来いと合図を送ってきた。
なんだか私は地理の不案内のこの町で、ハンターに言いなりになる猟犬みたいな気持ちになった。
フェデリコ・デ・ラ・ベガ氏はフアレスの大富豪だということだったが、私には面識がなかった。
「ハポネス(日本人)?」と、私が後部座席に乗り込むと、ベガ氏のお抱え運転手が訊いた。
「そう」
「フアレスは初めてかい? なんでまた?」
「まあ、いろいろと。『ボーダータウン』(1)という映画、見ましたか? この町の連続女性殺人事件を扱ったものだけど」
運転手はなぜか、しばらく無言のままだった。「その映画、アメリカじゃ公開されてないらしいよ」
「当局から圧力がかかったってこと?」
「そんなこと、わかるものか」運転手は急に怒ったようにそっけなくいうと、黙ってしまった。
この運転手は、被害者の女性の側に立っているのか、それともモラルのない娘たちが夜遊びして犯罪に巻き込まれただけだとうそぶく警察署長や地元政治家たちの側に立っているのか。
シボレーはフアレス市の東部のほうへ向かっていた。
外の風景も、いつの間にか商店やレストランのはいったビルなどが立ち並ぶダウンタウンから、落ち着いた住宅街へと変化していた。
家という家は防犯のために、まるで動物園の檻のような鉄格子を張り巡らしていた。
フアレスは、サンディエゴの対岸の町ティファナと並ぶ、巨大なメキシカンマフィアの暗躍する町だ。
フェデリコ・デ・ラ・ベガ氏の屋敷の前に着くと、運転手はリモコンを取り出して、扉をあけた。
まるで刑務所みたいに高い白壁に取り囲まれて、中は建物の屋根さえも、まったく見えない。
扉も壁と同じ白ぬりの塀で、どこからどこまで扉なのか、部外者には分からない。
八〇歳に手が届くかと思えるベガ氏は、居間で私を待っていた。
喉をうるおす冷たい水のペットボトルを給仕に持ってこさせると、裏の庭を案内しようといった。
咽頭癌を患っているために首に包帯を巻いて、声が聞き取りにくかった。
若い頃、米国に留学して、マサチューセッツ工科大学で化学を専攻したといった。
英語が堪能だった。
大きな開きガラス窓を抜けて、居間の外に出ると、石のタイルを敷き詰めた二十五メートルプール大のベランダがあり、そのまわりをアリゾナ砂漠で見かける、人間が両手を広げたような巨大サグアロ・サボテンが植わっていた。
テキーラの原料となるアガベ(竜舌蘭)や、雨期に一度だけピンクや黄色など、鮮やかな花を咲かせるウチワサボテンなども品よく配置されていた。
私とベガ氏は、ベランダから石段を降りて、芝生の植わった広大な庭園の細道を歩いた。
道の脇の大石の上を緑色のトカゲが駆けおりて、石の割れ目に逃げ込んだ。
空を見上げると、首から頭部にかけての部分が白色の禿鷲が大きく黒々とした両翼を広げて悠然と旋回していた。
「立派なサボテンですね」
「ありがとう。砂地のどこかにガラガラ蛇にいて、噛まれた使用人もいるよ」ベガ氏はこともなげにいった。
「もうちょっと奥にいってみよう」
そういうと、ベガ氏は私を屋敷から一番遠い、高いチワワ松に囲まれた、薄暗い雑草の生い茂った一角に案内した。
私はまるで、死者の霊が宿っているような不気味な雰囲気を感じた。
スペイン系の大農場主だったに違いないベガ氏の先祖が、謀反を起こした使用人をここで処刑したのだろうか。
「ここはサッカーの練習場だった。十年前までプロチームを持ってたんだ」と、ベガ氏は、まるでプロの料理人が上客に秘密のレシピを教えるみたいに、こっそり小声でいった。
それから昔、ゴールポストがあったはずの、奥まった雑草に覆われたあたりを指差した。
その向こうの松林の中で、キジが甲高く啼いた。
「サッカーチームを?」
「ああ、すでに手放してしまったがね」
私はしばらく口が利けなかった。
「メキシコの諺を教えてあげましょう。El que todo lo quiere todo lo pierde.(すべてを欲しがる者はすべてを失う)。
君は『ペドロ・パラモ』(2)という有名な小説を知っているはずだね。
貪欲に土地や富を手にいれまくって、すべてを失った男の話だよ」
「ええ。フアン・ルルフォの原作の『金の鶏』(3)という映画も見たことがあります」
「メキシコ的な無常観とでもいえばいいのかな。 裸一貫で築きあげた富も権力も最後にはすべてゼロになってしまう」
「『黄金』(4)という映画も、タンピコのあたりの山奥で砂金を探り当てたアメリカ人が、自分たちの強欲のために最後は無一文になってしまう話でしたね」
ベガ氏の屋敷を後にして、数カ月後、私はフアレス市の女性殺人をめぐる原稿を書く必要があって、それまでに何度も見たロールデス・ポルティージョ監督のドキュメンタリー作品『セニョリタ・エクトラビアダ(消えた少女)』(二〇〇二年)を見直して驚いた。
あのベガ氏のお抱え運転手が、殺された女性の父親の一人としてインタビューを受けていたからだ。
註
(1)グレゴリー・ナヴァ監督、ジェニファー・ロペス主演。二〇〇八年。
(2)メキシコ二〇世紀最大の作家の代表作。
(3)ロベルト・ガバルドン監督、一九六四年。
(4)ジョン・ヒューストン監督、一九四八年。
(『スタジオ・ボイス』2009年3月号ラテンアメリカ特集号 63頁に若干手を加えました)