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書評 半沢隆実『銃に恋して 武装するアメリカ市民』

2009年02月21日 | 小説
なぜアメリカ市民は銃規制に積極的にならないのか?
半沢隆実『銃に恋して 武装するアメリカ市民』(集英社新書、2009年)
越川芳明

 二〇〇七年のバージニア工科大学での乱射事件など、米国では銃犯罪が頻発しながら、銃規制の運動はなかなか盛りあがらない。

 そんな武器依存症のアメリカの実態に迫った本書が採用するのは、映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』でM・ムーアが採った銃=悪といった単純な図式ではなく、現場主義者のクールな文体だ。

 イラク戦争やロス暴動も取材したことがある新聞記者の著書だけに、統計的な数字とインタビュー取材に特徴がある。

 著者自らロサンジェルスの射撃訓練場で銃を撃ってみたりさえする。
 
 数多く挙げられた統計の中で驚かされるのは、アメリカ市民が二億二千三百丁の銃器を所持しているという事実である。

 それは国民の七五パーセントが銃を持っていることを意味する。

 さらに、銃犯罪による経済的損失を計算すれば、年間で一千億~一千二百億ドルになり、それは二〇〇五年夏にルイジアナ州などを襲ったハリケーン・カトリーナの被害額に匹敵するという。
 
 銃規制に反対する団体に全米ライフル協会(NRA)と米銃所有者協会(GOA)がある。

 著者は彼ら銃愛好者への取材からある「理屈」を引き出してくる。

 彼らが「革命権」なるものを信じている、と。

 銃は圧政(たとえば、かつて自分たちの独立を阻もうとしたイギリス政府)に立ち向かう道具であるという考えだ。

 そこでは、銃は民主主義のシンボルともなり、銃で武装することは神が与えてくださった基本的人権とさえなる。

 しかし、十九世紀末以来、米国政府が中南米の農民革命を軍事力で潰してきたのは歴史的事実であり、銃愛好者たちがそれに異論を唱えたことはない。

 著者が指摘するように、最大のアイロニーは、テロリストに射撃訓練場をつかう機会を与えたり武器を流出させたりして、現代アメリカははからずも「テロの支援国家」になってしまっているということだ。

 銃による犯罪が絶えることがないのに、なぜアメリカ市民は銃規制に積極的にならないのか? 

 本書は、オバマ大統領の暗殺計画説が巷に燻るキナ臭いアメリカ社会の真相を知る絶好の書だ。

(『青春と読書』(集英社)2009年3月号、74頁)