死者のいる風景(第一話)
「仮装踊りの夜」(メキシコ・オアハカ編)
越川芳明
メキシコでは、十月三十一日の夜から二夜つづけて「死者の日」のお祭りがある。その日は、ちょうど日本のお盆のように、先祖の霊が現世に戻ってくるので、お墓でお迎えするのである。
僕は、最初の夜、定石どおりに、まるで超人気のバーゲンセールみたいに人で身動きが取れないオアハカ市内のサンミゲル墓地に行き、“砂絵のガイコツ(ルビ:タペテ)”の展示を見た。さらに、それから車で先住民の多い地区に向かい、まるで芋虫の行列のように縁日の屋台がいっぱい繰り出したホホトランの墓地を見物した。
しかし、オアハカの「死者の日」の祭りは、お墓でばかり祝うとは限らない。僕はさらに中央オアハカ盆地を三十分ほど東に車で走ったあたりにあるサン・アウグスティン=エトラの村に向かった。夜を徹しての仮装踊りが見られると聞いたからだ。
仮装踊りと行進は、真夜中すぎてからが本番で、高台の広場に設えられた舞台の上では、バンドの演奏や政治風刺の活劇など、さまざまな演芸が繰り広げられていた。
夜中の十二時をすぎると、ようやく八、九人編成のブラスバンドに率いられた行軍が始まった。まず舞台に近いあたりから、エトラの各地区を訪ねてまわる。集会場で出迎えた婦人たちから温かい飲み物や酒をごちそうになり、集会場の前の小さな空き地で踊る。それが済むと、また山あり谷ありの真っ暗な夜道を歩いて、別の地区へ向かう。
ブラスバンドは指揮者がいないので、ホルンが低音でリズムを刻み、他の吹奏楽器をリードする。だいたいが三拍子のワルツだ。
行軍に参加しているのは、僕のような見物客以外は、仮装した踊り手だ。動物やモンスターの仮面を被ったり、ケバい女装をしたりしている。仮面を付けた上に、鈴を縫いつけた鎧のような上着とズボンを身につけている人も多い。踊り手が飛び跳ねると、鈴がシャンシャンシャンと鳴るので、単調なブラスの音に軽快なアクセントが加わる。
三番目に訪ねた集会場の空き地で、ある若者がカメラを構えていた僕に向かって、これ着て踊ってみない、と鈴を縫いつけた上着を脱いで、差し出した。試しに着てみると、まるで防弾チョッキのようにずしりと重たかった。
ある女性に声をかけられた。さきほど鈴の上着を貸してくれた男の姉で、マリアだと名乗った。その地区に住んでいるらしかった。彼女は肌の色が土色に近い、先住民の血をひく三十代の女性だった。
マリアと一緒に夜道を次の集会場まで歩いた。彼女の家の前を通ったときに、ここが私の家よ、と指さした。誘っているのかな、と思ったが、祭りを最後まで見届けたい気持ちが強かったので、気づかない振りをして通り過ぎた。
僕が結婚していないの?と訊くと、彼女は「家事と育児に明け暮れるような生活が嫌だから、結婚したくない」と、答えた。
十カ所以上の集会場の広場を訪ねまわった頃、僕たちは見晴らしのよい高台に来ていた。東の空が白くなり始めていた。
男たちはオールナイトで重たい鈴の鎧をつけて踊りまくり、疲れきって、みな仮面を脱いでいた。白日のもとに顔をさらしている。夜のあいだ別の人格(ルビ:ペルソナ)を演じてきたあとで、そろそろ元の自分に戻る時刻のようだ。
完全に太陽が昇り、朝の七時頃になると、僕たちの一行は舞台のある坂道を降りた十字路の前に戻ってきていた。そこで別のルートをまわっていたグループと鉢合わせとなった。ブラスバンドがけしかけるような音を出した。
両グループが対面する形で、おしくら饅頭(ルビ:まんじゅう)を始めた。相手が勢いよく迫ってくると、僕らは坂道を後ろ向きに後退する。かなり後退したところで、ブラスバンドが僕らを応援するように音を出すと、僕らは勢いづく。すると、相手の一群が坂道を後退する。バトルは一時間以上つづき、一晩中踊ってきたのに、若者たちはまだまだ元気だ。というより、オールナイトの行進はこのバトルのための準備運動であったというかのように、汗を飛ばして暴れまくっている。
メキシコの「死者の日」とは、征服者(スペイン人)の文化と被征服者(先住民)の文化のぶつかり合いの中から生まれたものだ。七世紀頃からヨーロッパで祝われていたローマカトリック教会の“万霊節”(煉獄にいる死者の罪を浄めるお祭り)と、メキシコの先住民たちの先祖信仰(ご先祖様が神様という発想)が合わさったもので、キリスト教の行事でありながら、きわめて異端の匂いのする行事だ。
その日の午後遅くにも、二日目の祭りがあるらしかった。道中、そのことを僕に教えてくれたのはマリアだった。その祭りを一緒に見ようと約束したが、いま、あたりを見まわしても、彼女の姿はなかった。
オアハカ市内のホテルに帰って、ベッドの上で熟睡した。僕ははからずもマリアとの約束をすっぽかしてしまった。
『Spectator』21号(2009年12月)、146-147頁