越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

グラウベル・ローシャ(1)

2011年06月16日 | 映画
民衆の歌と共に広がるアフロ・ブラジルの世界
      没後三〇年グラウベル・ローシャ特集に寄せて  
越川芳明

 ブラジルの北東部バイーア州サルバドールは、アフリカから船で運ばれてきた黒人奴隷が売買される港だった。

 いまでも、カンドンブレと呼ばれる西アフリカのヨルバ系の信仰(占い・儀礼の歌や踊り)、カポエイラと呼ばれる、ダンスを装った武闘術の盛んな土地柄である。

 グラウベル・ローシャは、少年時代にその町に移り住み、プロテスタントの教育を受けた。

 後年ローシャ自身が語った言葉によれば、図式的なプロテスタントの演出よりも、アフロ信仰の儀礼のダイナミズムに魅了され、こう言っている。

 「ブラジルの真の歴史と社会学は、書物に書かれている以上に、ブラジル音楽の中に発見されうる。

 黒人たち、つまりリオのサンバの作者たちがブラジルの歴史を作り、すべての批評を築いた。

 黒人たちの音楽には民衆の精神構造が脈打っている。

 音楽の世界でも、詩の世界でもブラジルの最も進んだ芸術家は黒人たちである」

 そんなアフロ・ブラジルの精神をみごとに再現しているのが、ローシャの長編第一作『バラベント』(一九六二年)だ。

 貧困をもたらす社会不正への抵抗という、六〇年代「政治の季節」に特有の一見ありきたりなテーマを題材にしていながら、これまでなかったブラジル特有の映画文法を創造しようという堅固な意思が窺われる。

 「ブラジルの真の歴史と社会学」がその中に発見されるといった「ブラジル音楽」が、この映画の中で、どのように表現されているのか。

 言い換えれば、どのようにカンドンブレの踊りと音楽が使われ、カポエイラが機能を果たしているのか。
 
 舞台は、バイーア地方のある漁村だ。

 一人の不良青年フィルミノが都会から警察に追われ故郷に帰ってくる。

 そして、どん欲な白人の網元に抵抗するように、地元零細漁民(黒人)たちを覚醒しようとする。

 しかし、漁民たちは立ち上がろうとしない。
 
 女性司祭マエ・ダダに導かれて、白装束に身を包んだ女性たちのカンドンブレの儀礼の歌が流れる。

 空や波の打ち寄せる浜辺のショットと共に歌われる「海の女神イエマンジャに捧げる歌」から、白人の血を引いたために、不幸な人生を歩む娘ナイーナの憂鬱を取り除くマエ・ダダによる儀式と占い、チコという有能な漁師とナイーナの養父の死を悼む儀礼にいたるまで、太鼓と鉦にリードされたアフロ信仰の歌が物語を牽引するだけでなく、黒人漁師たちの無意識(恐怖・畏怖)を支配する世界観を提示する。

 一方、漁師同士の意見の対立が起こったとき、その決着をつけるためにカポエイラが使われるシーンが二度ほど出てくる。

 ベリンバオという素朴な弦楽器や、打楽器カハやタンバリンが響かすサンバのリズムに合わせて、改革派と保守派の二人は優雅に舞い、そして激しく戦う。

 一度は、抵抗をあおるフィルミノが敗れるものの、二度目は勝利する。
 
 網元が採れた四〇〇匹、親方が四匹をそれぞれ受け取り、残る漁師たちは一〇〇人で一匹の魚を分ける。

 こうした信じがたい圧政に立ち向かう契機をカポエイラが与える。

 敗者となった漁の英雄アルーアンは、真のリーダーになるべく変身を遂げる。

 一年間マエ・ダダに仕え、都会に出て働き、皆のために網を買う決心をするのだ。
(つづく)