資本主義の「正義」にユーモアの矢を放つ
広小路尚祈『金貸しから物書きまで』
越川芳明
語り手の広田伸樹(三十三歳)は、毎朝、会社に行く前に肩痛と首痛と吐き気に見舞われながら、「死の儀式」を執りおこなう。
きょう一日、会社の中でつつがなく過ごせるように、駅構内のカフェでコーヒー一杯とタバコの一服によって「地獄」に飛び込む覚悟を決める。それは彼にとって、いわば己を殺すための儀式なのだ。
彼は、高校を出てからいろいろな職場を転々としてきた。「必死になって受験勉強をしたり、スポーツなどで根性を鍛えたり、就職活動をしたり、仕事を覚えたりしなきゃならなかったはずの貴重な時間を、ふらふら暮らしてしまった」(9)。
だが、結婚し子供ができると、人並みの生活に憧れるようになる。根性なくふらふらと生きてきた「ダメ男」でも、それなりの報酬をくれるのは、ある中堅の消費者金融会社ぐらいだった。
待っていたのは、劣悪かつ極悪な労働環境。意地悪な直属の上司(支店長)にはねちねち絞られ、もう一つ上の上司(ブロック長)には細かく持ち出されて怒鳴られる。お客に対しては、法律に抵触しないように、あの手この手で応対せねばならない。
広田は述懐する。「これほど客と良好な関係を築くのが難しい職業が他にあるだろうか」(68)と。
会社で働いているあいだ自我を抑え神経をすり減らすしかない。だから、毎朝、「死の儀式」を執りおこなうのだ。
安定した生活が送れない新たな貧困層(プレカリアート)が、日本社会に大勢出現している。この小説はそうした貧困層の側に立つが、社会批評に欠かせない逆説(パラドックス)の顔を持っている。
語り手は「おれには学歴がない。根性もない。特別な才能もない」(9)と告白するが、そうした愚直な語りによってこそ、おおらかなユーモアの才能を披露することができる。
「ああもう、腹立つ。頭が良くて感性の鈍い人とは、きっと話をしてもつまらんだろうな。理屈ばっかで。よかった。おれ、インテリじゃなくて。(中略)そういうつまらないインテリが世の中を仕切ってきたから、このつまらない世の中が出来上がってしまったのだろうけれど、おれには崩せんね、この世の中のシステム。インテリじゃないから」(30)
崩せないシステムの周縁に置かれた男のつぶやきが、むしろ周縁の「豊かさ」をあぶりだす。
「ないない尽くし」を「あるある尽くし」に転化することで、作家は常に強者に味方する資本主義の「正義」にユーモアの矢を放つ。
(『すばる』2012年8月号、100頁)