越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

ロベルト・コッシーのサッカー部長日記(19)

2015年09月17日 | サッカー部長日記

8月12日(水)

 夜の6時より長居フィールドで、3回戦の東洋大戦があった。

 お昼すぎにホテルから四天王寺まで20分ほど歩き、明治の必勝祈願をした。四天王寺は、聖徳太子が建立したと言われている古いお寺。境内には櫓(やぐら)が建っていて、ちょうど、きょうの夜には盆踊りがあるようだ。河内家菊水丸が出演するとのぼりに書いてあるではないか。

 いちど、河内音頭を生で聴いてみたかった。しかも、河内音頭の名人、菊水丸師匠の音頭である。しかも、場所は、原日本の風景が幻視されるかもしれぬ、四天王寺である。

 中沢新一の名著『大阪アースダイバー』によれば、盆踊りには古代人の思考が宿っているという。

 「夏至を中に含む真夏の頃、昼と夜の長さが極端にアンバランスになる季節には、死者の霊が生者の世界に大挙して訪れてくる、と考えられた古代から、人々は広場に集まって、音頭取りの乗る櫓を中心に、円陣をつくって踊りを踊った。生者と死者が、いっしょになって環を描きながら踊るのである。それは仏教行事などがはじまるよりも、ずっと昔からおこなわれていた、この列島の真夏の祭りであった」(49-50頁)

 さらに、中沢新一によれば、河内音頭の中でも有名なのは、「俊徳丸(しゅんとくまる)」の物語らしい。内容は、長者の息子、俊徳丸と、別の長者の娘、乙姫とのあいだの悲恋と再会。俊徳丸の母が亡くなり、父が後妻をめとると、後妻は自分の子を跡取りにしようと、俊徳丸に呪い(丑三つ参りをして、わら人形に5寸釘を打って)をかける。その呪いによって、俊徳丸は足腰が立たなくなり、しかも盲目になってしまう。

 「父親はしかたなく、病気の俊徳丸を四天王寺に捨てた。四天王寺はそのような場所として知られていたからである」(中沢の同掲書、52頁)

 しかし、「弱法師(よろぼし)」となった俊徳丸のことを知る乙姫は、四天王寺にたどり着き、感動的な再会を果たす。二人は清水寺に参って、呪いを解いてもらう。病気の癒えた俊徳丸は乙姫と結ばれ、有徳の人となる。後妻には報復が与えられる。

 こうした物語をゆっくりゆっくり語り聞かせるように歌うのである。その歌を聴きながら、環を組んで、同じテンポで延々と踊るのである。

(写真:四天王寺の盆踊り 8/12/15)  

 さて、東洋大戦は、ユニバーシアードに出た、FWのエース和泉竜司(政経4)も右サイドバックの室屋成(政経3)も欠場。脚を負傷したFWの木戸皓貴(文2)の代わりに土居柊太(政経2)、初戦に唯一の得点を挙げた富田光(文1)の代わりに小谷光毅(政経4)、ボランチの差波優人(商4)の代わりに、伊池翼(商3)、右サイドバックには室屋の代わりに鈴木達也(商4)が入った。

 (写真)ミーティングで綿密な指示をだす栗田大輔監督(手前)と三浦祐介ヘッドコーチ

  しかも、彼らがはじけたような大活躍をしてくれた。前半は0-0で折り返すも、後半4分には、藤本が右に抜けでて、サイドライン近くからセンターで折り返し、詰めていた小谷がうまく体を回転させて、左足でシュートを放ち、ゴールを決めた。アミノバイタルの朝鮮大学戦、天皇杯予選の国士舘戦を彷彿とさせる小谷の瞬間芸だった。さすが4年生である。

 その後、18分には藤本がキーパーと一対一になり、落ち着いてゴールを決めて2点めをもぎとる。さすが4年生である。

 鈴木も室屋の代役というより、前半は攻撃で、後半は守備で輝きを放ち、っなんども未然にピンチを防いだ。さすが4年生である。 

 初戦を休んだ左サイドバックの高橋諒(文4)は、東洋の右からの攻撃を完全に押さえ込み、何度もボールを奪って、FWへフィードするなど、すばらしいできばえだった。さすが4年生である。

 DFを統率する小池佑平(経営4)は、最初から最後まで、声を出しつづけ、バックスだけでなく、フォファードとも守備の連携を取りまとめた。さすが4年生である。

 このところ、持ち味の俊足をいかんなく発揮してグラウンドを所狭しとかけまわっている瀬川祐輔(政経4)、きょうも右から飛び出しをかけて、鈴木のフィードに反応。栗田監督や三浦コーチからは、失敗しても何度もしかけろ、相手は嫌がるから、と檄が飛ぶ。さすが4年生である。

 確かに、前半40分に、キーパー服部一輝(商3)が不用意な反則を犯して、ゴール前で間接フリーキックを与えて先制点を取られそうになり、そこから前半終了まで東洋大の時間帯になった。また、後半も最後に東洋のチャンスがありはしたが、全員が体を張って凌ぎきることで、相手を完封することができた。全員で守れば、そう簡単に点を取られるものではない。守備の時間帯に、割り切って我慢できるか。連続2試合の失点ゼロで、徐々に守備が安定してきることが証明されるかもしれない。次は、14日6時からヤンマースタジアムで、流通経済大学戦である。春のリーグ戦では、三苫元太(政経4)の終了間際のゴールで引き分けに持ち込んだが、ほとんど負け試合であった。フィジカルな試合をしかけてくる相手なので、フィジカルで負けないだけでなく、きょうの試合のように、メンタルでも勝って、決勝に進んでもらいたい。

 個人的な事情になるが、14日夕方には、成田をたってキューバに向かい、当地で一カ月ほどアフロ信仰の調査をおこなう。栗田監督をはじめ、スタッフの皆さんには「自分の魂」はチームと一緒にいる、と12日の試合のあとの食事会で伝えた。飛行機の中から、カリブ海の島から応援を送りたい。

 

おまけ;京山福太朗「河内音頭:十人斬り」

貧乏人の熊太郎が、貧乏のため別の男に女房おぬいを取られ、しかも間男(うわき)した男の兄にあたる松永の親分に貸した金も返してもらえず、その親分一家に仕返しをする物語。 物語の途中、女房おぬいの母おかくばばあによる叱責というか逆ギレがあり(お前が甲斐性なしだから、女房が間男するんじゃ。わしの頃は30人ぐらい間男がいた!と)面白い。また、死んだ父親によるアドバイス(いくら頭よくても、貧乏していると、世間から馬鹿にされる。酒や博打や女もいいが、いざと言うときにモノを言うのはカネや!)を思い出し、「親の説教と冷酒は、ゆっくりあとで効いてくる」と述べる件もいい。どうぞ最後まで聴いてみてください。

 

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