越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

辺野古(5)

2010年07月30日 | 小説
雨が止む気配はありません。

夕方5時半から、那覇で比嘉豊光さんのシンポジウムがあります。

ゆっくりできません。

このまま帰るか、「テント村」に寄っていくか。

自動販売機で、サンピン茶のロング缶を二本買いました。

「テント村」に行って、サンピン茶を差し入れしてから、帰ろう。


「テント村」には、女性が2人しかいませんでした。

サンピン茶を差し入れです、どうぞ。

ビラなどが載っている背の低いテーブルの上に置くと、あら~、と手前にいた年上の女性が応えてくれました。


「テント村」といっても、村ではありません。ただのテントがふたつ並んでいるだけです。運動会のようなテントです。

ただ雨が吹き込まないように、背後にも雨よけがあります。

その手前に、米軍基地の写真などが展示してありました。



女性の一人、篠原孝子さんがチラシをくれて、説明を始めました。

普天間基地と辺野古案がまったく関係であること、

米軍はすでにグアム統合案を実行に移しているので、辺野古の滑走路を真剣に必要とはしていないこと、

民主党の提案しているV字型滑走路を一番喜んでいるのは自衛隊であること、

座り込みをはじめて丸6年経つこと、

地元の住民は近所付き合いの上から、声高に反対を叫びにくいこと、

そういったことを丁寧に説明していただいた。

詳しくは、ウェブでも。→「辺野古浜通信」http://henoko.ti-da.net/


その後、もう一人の女性、顔が真っ黒で、いかにもダイバーといった感じの「みっちゃん」と少し話しました。

その間にも、雨はやまず、かえって本降りになってきました。

と、「みっちゃん」がボート乗ります? と聞いてきました。湾内から米軍基地を見てみますか、と聞いているのだと解釈しました。

時間がないからね、と一度は断りました。でも、少し考えてーー

せっかくだから、お願いします、でも、5時半には那覇に帰らなきゃならないのでちょっとだけ、と念を押しました。

「みっちゃん」は、僕のために別の小屋にカッパを取りにいき、戻ってきました。

それから、雨で滑る岩場を歩いて、テント村から100メートルほど離れたところにつないであるボートまで先導しました。

ボートに乗ると、ドックの中も外もまったく波がなく平穏そのものでした。

ドックを出て行くとき、さっき見えた神社の森のそばを通りました。

沿岸沿いを走らせながら、みっちゃんが説明してくれたのは、

V字型滑走路を作る前に、すでに米兵の新しい宿舎が作られているということでした。

遠くからでも、大型のクレーンが見えました。

国や国際政治という怪物のような圧倒的な力に対して、住民の力は虫けらのような印象を受けるかもしれません。

でも、イナゴの大集団には、さすがの人間もかなわないように、虫でも負けないことがあります。

そんなこと感じながら、那覇に向かって50CCを走らせました。




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