雨が止む気配はありません。
夕方5時半から、那覇で比嘉豊光さんのシンポジウムがあります。
ゆっくりできません。
このまま帰るか、「テント村」に寄っていくか。
自動販売機で、サンピン茶のロング缶を二本買いました。
「テント村」に行って、サンピン茶を差し入れしてから、帰ろう。
「テント村」には、女性が2人しかいませんでした。
サンピン茶を差し入れです、どうぞ。
ビラなどが載っている背の低いテーブルの上に置くと、あら~、と手前にいた年上の女性が応えてくれました。
「テント村」といっても、村ではありません。ただのテントがふたつ並んでいるだけです。運動会のようなテントです。
ただ雨が吹き込まないように、背後にも雨よけがあります。
その手前に、米軍基地の写真などが展示してありました。
女性の一人、篠原孝子さんがチラシをくれて、説明を始めました。
普天間基地と辺野古案がまったく関係であること、
米軍はすでにグアム統合案を実行に移しているので、辺野古の滑走路を真剣に必要とはしていないこと、
民主党の提案しているV字型滑走路を一番喜んでいるのは自衛隊であること、
座り込みをはじめて丸6年経つこと、
地元の住民は近所付き合いの上から、声高に反対を叫びにくいこと、
そういったことを丁寧に説明していただいた。
詳しくは、ウェブでも。→「辺野古浜通信」http://henoko.ti-da.net/
その後、もう一人の女性、顔が真っ黒で、いかにもダイバーといった感じの「みっちゃん」と少し話しました。
その間にも、雨はやまず、かえって本降りになってきました。
と、「みっちゃん」がボート乗ります? と聞いてきました。湾内から米軍基地を見てみますか、と聞いているのだと解釈しました。
時間がないからね、と一度は断りました。でも、少し考えてーー
せっかくだから、お願いします、でも、5時半には那覇に帰らなきゃならないのでちょっとだけ、と念を押しました。
「みっちゃん」は、僕のために別の小屋にカッパを取りにいき、戻ってきました。
それから、雨で滑る岩場を歩いて、テント村から100メートルほど離れたところにつないであるボートまで先導しました。
ボートに乗ると、ドックの中も外もまったく波がなく平穏そのものでした。
ドックを出て行くとき、さっき見えた神社の森のそばを通りました。
沿岸沿いを走らせながら、みっちゃんが説明してくれたのは、
V字型滑走路を作る前に、すでに米兵の新しい宿舎が作られているということでした。
遠くからでも、大型のクレーンが見えました。
国や国際政治という怪物のような圧倒的な力に対して、住民の力は虫けらのような印象を受けるかもしれません。
でも、イナゴの大集団には、さすがの人間もかなわないように、虫でも負けないことがあります。
そんなこと感じながら、那覇に向かって50CCを走らせました。
夕方5時半から、那覇で比嘉豊光さんのシンポジウムがあります。
ゆっくりできません。
このまま帰るか、「テント村」に寄っていくか。
自動販売機で、サンピン茶のロング缶を二本買いました。
「テント村」に行って、サンピン茶を差し入れしてから、帰ろう。
「テント村」には、女性が2人しかいませんでした。
サンピン茶を差し入れです、どうぞ。
ビラなどが載っている背の低いテーブルの上に置くと、あら~、と手前にいた年上の女性が応えてくれました。
「テント村」といっても、村ではありません。ただのテントがふたつ並んでいるだけです。運動会のようなテントです。
ただ雨が吹き込まないように、背後にも雨よけがあります。
その手前に、米軍基地の写真などが展示してありました。
女性の一人、篠原孝子さんがチラシをくれて、説明を始めました。
普天間基地と辺野古案がまったく関係であること、
米軍はすでにグアム統合案を実行に移しているので、辺野古の滑走路を真剣に必要とはしていないこと、
民主党の提案しているV字型滑走路を一番喜んでいるのは自衛隊であること、
座り込みをはじめて丸6年経つこと、
地元の住民は近所付き合いの上から、声高に反対を叫びにくいこと、
そういったことを丁寧に説明していただいた。
詳しくは、ウェブでも。→「辺野古浜通信」http://henoko.ti-da.net/
その後、もう一人の女性、顔が真っ黒で、いかにもダイバーといった感じの「みっちゃん」と少し話しました。
その間にも、雨はやまず、かえって本降りになってきました。
と、「みっちゃん」がボート乗ります? と聞いてきました。湾内から米軍基地を見てみますか、と聞いているのだと解釈しました。
時間がないからね、と一度は断りました。でも、少し考えてーー
せっかくだから、お願いします、でも、5時半には那覇に帰らなきゃならないのでちょっとだけ、と念を押しました。
「みっちゃん」は、僕のために別の小屋にカッパを取りにいき、戻ってきました。
それから、雨で滑る岩場を歩いて、テント村から100メートルほど離れたところにつないであるボートまで先導しました。
ボートに乗ると、ドックの中も外もまったく波がなく平穏そのものでした。
ドックを出て行くとき、さっき見えた神社の森のそばを通りました。
沿岸沿いを走らせながら、みっちゃんが説明してくれたのは、
V字型滑走路を作る前に、すでに米兵の新しい宿舎が作られているということでした。
遠くからでも、大型のクレーンが見えました。
国や国際政治という怪物のような圧倒的な力に対して、住民の力は虫けらのような印象を受けるかもしれません。
でも、イナゴの大集団には、さすがの人間もかなわないように、虫でも負けないことがあります。
そんなこと感じながら、那覇に向かって50CCを走らせました。
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