小説の主たる舞台は、家の中だ。
たとえば、アルフレッドとイーニッドの老夫妻の場合は、家の地下室だ。
なぜ地下室なのか?
そこに卓球台があるからである。
作家は、夫婦の諍(いさか)いをただの激情の発露とみなさず、個人を内側から縛っている価値観の争いとみて、「戦争」のメタファーで描く。
それぞれの価値観をぶつけ合う場として、地下室の卓球台が「戦場」として描かれる。
「卓球台は内戦が公然と戦われる場の一つなのだ。戦場の東端では、アルフレッドの計算器が、花柄の鍋つかみや、ディズニーワールドのエプコット・センターで買ったコースターや、イーニッドが三十年前前に買ってから一度も使っていないサクランボの種をぬく道具などに襲撃される。一方、西端ではアルフレッドが、イーニッドに言わせればなんの理由もなく、松毬(ルビ:まつかさ)とスプレーで着色した榛(ルビ:はしばみ)の実とブラジル・ナッツでこしらえたクリスマス・リースを引き裂いたりする」
(つづく)
たとえば、アルフレッドとイーニッドの老夫妻の場合は、家の地下室だ。
なぜ地下室なのか?
そこに卓球台があるからである。
作家は、夫婦の諍(いさか)いをただの激情の発露とみなさず、個人を内側から縛っている価値観の争いとみて、「戦争」のメタファーで描く。
それぞれの価値観をぶつけ合う場として、地下室の卓球台が「戦場」として描かれる。
「卓球台は内戦が公然と戦われる場の一つなのだ。戦場の東端では、アルフレッドの計算器が、花柄の鍋つかみや、ディズニーワールドのエプコット・センターで買ったコースターや、イーニッドが三十年前前に買ってから一度も使っていないサクランボの種をぬく道具などに襲撃される。一方、西端ではアルフレッドが、イーニッドに言わせればなんの理由もなく、松毬(ルビ:まつかさ)とスプレーで着色した榛(ルビ:はしばみ)の実とブラジル・ナッツでこしらえたクリスマス・リースを引き裂いたりする」
(つづく)
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